なぜ「ZIMA」は、20年間も最先端のエンターテイメントを若者に提供できたのか?

1996年、米国から上陸したアルコール飲料「ZIMA」。自らトレンドを生み出し、その時代の若者へ向けて最先端のエンターテイメントを提供してきました。しかし上陸当初は、全くの無名。日本に馴染みがなかった”透明のビール”は、いかにして全国に広まったのかーー。その背景を、20年間の歴史とともに紐解きます。
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アメリカからやってきた、”透明のビール”

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「ZIMA」がアメリカから海を渡り、日本にやってきたのは1996年。当初”透明のビール”と呼ばれていたアルコール飲料は、グラスに注いで飲む従来のビールとは違い、瓶にレモンを挿してラッパ飲みをする新しいスタイルを日本国内にもたらしました。

実はこのスタイルは、「若者に最先端のエンターテイメントを提供する」という、モルソン・クアーズ・ジャパン(以下、MCJ)の挑戦の一環で広まったものです。

当時の日本は、インターネットが普及したばかりで、現在のようなWEBプロモーションもなく、TV-CMをはじめとしたマス広告が主流の時代。そのような時代、まだまだ小さな会社だった私たちMCJに、新たなミッションが与えられました。

ZIMAを日本全国に広げるべく、少ないメンバーで今は当たり前になっている「ラッパ飲み」スタイルを全国へ広げなければいけない。

大手の競合他社に囲まれるなか、無名のアルコール飲料を定着させるため、私たちは3つの方針を立てます。TV-CMは出稿せず、飲食店を主なターゲットとして販売すること」「地方から攻めること」そして、「全国に散らばる営業メンバーの成功をシェアすること」。

今となっては都会的なイメージが強いZIMAですが、実は地方の飲食店から展開開始されました。地元の若者が集う飲食店を巻き込んだイベントの開催、自治体イベントへの協賛など、わずかな人数の営業メンバーが走り回り、地元との関係構築をしてくれました。

大手メーカーでは拾いきれない“小さな声”に文字通り密着し、ZIMAならではのイベントを作る。そしてお客様もまた、ZIMAと共に楽しみながらイベントをつくりあげてくださいました。

その努力の甲斐もあり、ブランドサポーターとしてお店が協力をしてくれるように。たとえば、MCJのお客様である飲食店が自ら提案し、仲間の飲食店に声をかけて1ヶ月にわたる「ZIMA夏祭り」を一斉に実施。従業員の方が徹夜で、店内をZIMA一色にしてくれた飲食店もありました。店舗あたりで、1ヶ月 7,000本以上もの売り上げをたたき出すことも。

札幌、富山、魚津、前橋、名古屋、広島、高松、小倉……。いつしか私たちのまわりには、全国の地方都市をはじめとして、一緒にZIMAを広めてくれる“サポーター”の輪が広がっていったのです。

トレンドは追うものではなく作るものーー若者に“楽しい体験”を提案した「三種の神器」

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ただトレンドを追っているだけでは、大手企業に勝てるわけがない。それならば、自分たちでトレンドを作っていくしかないーー。それが私たちの考えでした。それは、規模にとらわれず可能なことに挑戦していくというMCJの強みでもあったのです。

そこで登場したのが、”三種の神器”です。夜の飲食店でひと際目立つ「ネオンサイン」「光るコースター」「光る携帯ストラップ」……店内が暗い飲食店を狙って、これらを使った体験を積極的に展開すると、“光る販促品”の目新しさが大きな反響を呼びました。

透明なZIMAは7色に光り、暗い店内を彩ります。ZIMAを飲んだことがない人も、光る販促品を見て、「なに、アレ!?」と注文が殺到。中には光るグッズ欲しさに来店し、結果的にZIMAの注文が増えるというエンターテイメントの連鎖がつながっていきました。

「その場にいるだけで楽しい」。お客さんだけでなく、店舗スタッフも7色に光る演出を喜び、ZIMAの“サポーター”はますます増えていくことになります。

イベント時には、店内にポスターを貼り付けるなど、装飾作業も営業担当が自ら実施。土日に行われるイベントには、休日返上で自身の家族をも巻き込み運営スタッフとして参加したものもいたほどでした。ZIMAブームの裏では、社員一人ひとりのこうした活動の積み重ねがあったのです。

しかし、こうしたZIMAブームを支えてくれたのは、”三種の神器”だけではありません。これまで日本国内になかった新しいスタイル、そしてブランドへのこだわりが、ZIMAの確固たる地位を築き上げることになります。

後発の競合商品は“ZIMA系”ーーブランド確立により、飲食店から家庭へ販路拡大

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ブランドを確立するに、「味をほかのものに例えないこと」の徹底は欠かせません。ZIMAという“体験”や“味”は他のなにものでもない、“ZIMA”だからこそ。

そのこだわりを持ち続けた結果、後発で出てくる競合商品が“ZIMA系”とカテゴライズされるように。それは、ZIMAが“透明のビール”ではなく、「ZIMA」として認知されるようになったことを意味するものでした。

加えて、「斬新で新しい飲み方がカッコイイ」というスタイルが若者に浸透。フタを開けてレモンを刺すだけで提供できるオペーレーションの簡易さが飲食店を助けたこともあわさり、またたく間に全国へ広がっていったのです。

そして2000年には、大手コンビニエンスストアから店舗販売のオファーをいただきました。これまではオファーがあっても、「体験を提供すること」を大事にしていたので、店舗での販売はお断りしていた。しかし先方からの強いオファーを受け、生産体制を引き上げることによって、コンビニでの店舗販売を実現します。

コンビニ側から販売のオファーがあることは、アルコール業界ではめったにないこと。まさに異例中の異例ともいえる出来事でした。これにより、ZIMAは「業務用」から「家庭用」に一気にステップアップしていくことになります。

大変厳しい環境でもある店舗販売。少しでも売り上げが落ちるとすぐに販売停止となってしまいます。毎月毎年定められた基準の売上を達成し続ける努力を続けても、競合他社の商品がぞくぞく姿を消していく……。

しかしZIMAは、10年以上にわたり今もなお変わらず店頭に並び続けています。

ZIMAが提供するものは常に、若者の新しいエンターテイメント

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しかし、日本全国の若者から愛されるための道のりは、決して平坦なものではありませんでした。「出る杭は打たれる」。大手企業が、ZIMAと類似した競合商品を売り出し、マス広告を用いたプロモーションを仕掛けたこともあります。そして、若者が求めるエンターテイメントは、常に移り変わります。

それでも、今もなお愛され続けている理由は、ZIMAという味や透明という色を誰も真似ができなかったこと。そして、時代とともに変わりゆく若者のトレンドに合わせて、最先端のエンターテイメントを提供してきたこと。それに尽きると言えるでしょう。

たとえば、レゲエやヒップホップ全盛期の2000年代には、アーティストとコラボしたイベントを企画。ゼネラルモータースの四輪駆動車「 HUMMER(ハマー)」にラッピング広告をして街中を走る「ZIMA HUMMERキャンペーン」を実施して、ワイルドでカッコいいブランドを構築しました。

さらに2010年代には、カッコよさに加え“遊び心”を訴求し、「Kiss A-ZIMA」を企画。商品に人気女性芸能人の実物大シリコン製唇が付いてくるキャンペーンを実施し、売上が前年比150%アップ。最近では、急拡大する音楽フェスのユーザーに向けたZIMAカクテルを猛暑対策として提供し、従来のレモンではなく、塩レモンを瓶に挿して飲むスタイルも人気です。

このように、いつの時代にも若者に受け入れられる “楽しさ”を絶えず追求し、これからやってくる新たなトレンドをいち早く取り入れることができるのは、MCJの本髄である「液体ではなく、ZIMAから広がるさまざまなワクワクする“体験”そのものを提供する」という強い想いがあるからこそ。

仕事を自ら楽しむ、他人と違うことで自分たちの価値を発揮する「自立喜働」の精神は、MCJ社員の世代を超えて受け継がれています。

ZIMAを100年続くブランドにーー。今後、時代や若者が変化していっても、私たちは、ZIMAをはじめとするアルコール飲料の“楽しさ”を提供し続ける、エンターテイメント企業であり続けます。

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