華やかなエンタメ業界にあこがれて

▲東京タワーが見える、ライヴクリエイティヴ本部のフロアにある打合せ用のミーティングスペースにて。

映像や音楽などのコンテンツを取り扱うエンタメ業界は、創造する魅力を知った人たちを惹きつけます。関もそんなひとり。子供のころから音楽の世界で生きることを漠然と思い浮かべていたといいます。

関 「幼稚園~中学生までエレクトーンを習っていたんです。そのころからエレクトーンの先生など音楽に携わる生き方を漠然と考えていて、就活時期にはポニーキャニオンを第一志望にしていました」

関が短大を卒業した1993年当時。ポニーキャニオンからは、CHAGE and ASKAやとんねるずなどがCDを出していました。人気絶頂のアーティストをそろえたレーベルに、エンタメ業界の華やかなイメージを重ね、憧れを強めていたといいます。しかし、関を惹きつけた理由はそれだけではありません。

関 「当時から、ポニーキャニオンでは多くの女性が活躍していました。当時のCHAGE and ASKAのディレクターは女性で短大卒の先輩だったんです。私も短大卒だったので、その女性のように活躍できるんじゃないかって期待があったんですね」

念願のエンタメ業界へ飛び込むにあたって、「結婚は後回しになるだろう」と関は考えていました。

関 「家庭はいずれ持つものという思いがあったので、ぎりぎりまで仕事をしたいと思っていました。要は晩婚を望んでいて周りにも公言していたんです。とはいっても当時の感覚で、です。27歳ぐらいまでにと思っていました。実際に結婚したのは38歳になってしまいましたけどね」

がむしゃらに働いた若手時代

▲左:エンジニア時代 右:宣伝部・雑誌担当時代 がむしゃらに働いたけど楽しかった。

晴れてポニーキャニオンに入社した関は、最初、ミキサーやマスタリングエンジニアが所属する録音録画部(現在の制作技術部)に配属されました。

関 「まずはデスクとして事務作業をしていました。いつかは、宣伝部へと夢見ていたのですが、たまたま部署内でマスタリングエンジニアのポジションが空いたんですよ。専門でもない普通の短大卒の私に声がかかり、マスタリングエンジニアになったんです。自分の方向性がいきなり変わりましたね」

しかし、その担務変えは関にとって渡りに船でもありました。

関 「正直デスクの仕事にマンネリを感じ始めていましたので、音源を編集したり音質を調整する仕事には魅力を感じましたね。ここをいじったら、こんな音になるんだとか、実際夢中になりました」

一方で、音響技術者としてキャリアを築いていくことに疑問も感じていたといいます。

関 「マスタリングエンジニアになって3、4年が経った25歳のときには、転職などでキャリアを築きなおそうかと考えることもありました。そんなとき偶然、宣伝部への辞令が出たんです。ずっとアピールをしていた甲斐がありましたね」 

アーティストをプロモートする宣伝部には、コンテンツを作ることとは異なる喜びがありました。

関 「テレビ担当を2年に雑誌担当を7年と、計9年も宣伝部に在籍しました。自分が決めたブッキングに対して、友達や同僚が「見たよ」と反応してくれる嬉しさがありましたね」

一方、業界特有の苦労もあったといいます。

関 「メディアはコントロールできないんですよ。まずプロデューサーと話すことが難しい。特にテレビ局の場合、アポなんて取れるものじゃないんです。忙しく働くプロデューサーに何とか近づいて、声をかけてアーティストを売り込むんです。時には相手が忙しいとは分かっていても、あえて鈍感なふりをして、『(アーティストを)番組に出演させてください!』ってお願いすることもありましたね(笑)」

やりがいとプレッシャーが同居する毎日だったと振り返ります。

関 「宣伝部の戦略として、あるアーティストをどの番組に出そうと決まったら、それを実現させなくちゃなりません。断られるにしても、ブッキングの土俵に乗せなければ話になりませんから。メディア別に担当が別れていたので『このプロデューサーに話を通せるのは私だけなんだ』というプレッシャーとの闘いでした」

プロデューサーと話をするために、食事に誘われやすい時間帯を狙って会いに行くなど、コミュニケーション量を重視した営業スタイルで成果をあげていった関。そんな忙しい毎日のなかテレビ番組の企画で、素人ながらCDをリリースするなど、ポニーキャニオンでも伝説的な活躍を見せます。

ライフステージに合った働き方

▲出産後、長女の”お宮参り”すくすく成長中!!

エンタメ業界にどっぷりとつかって仕事に明け暮れていた関にも、あるとき転機が訪れました。

2011年、関は結婚をしました。時を同じくして、ファンクラブ事業の立ち上げに参画することとなり、宣伝部を離れます。ファンクラブ事業では、サイト運営や、会報・ファンクラブ限定グッズの制作などが主な仕事でした。

関 「結婚を機に、働き方にも変化がでることを見越されて異動が決まったのかもしれません。宣伝部のプロモーターに比べれば、内勤も多く働きやすさがありました」

その3年後には子供を持ちました。部署の異動が仕事とプライベートの両立を助けたのかもしれません。関自身、これまで仕事へのモチベーションやライフステージに変化が起きるたびに、辞令が下ってきたと振り返ります。

また、関は、宣伝部の頃にも、一時期家族が体調を崩したために、プロモーターの仕事を離れ、秘書をしていた時期があります。

関 「仕事が煮詰まってきたなと思うぐらいの頃に、ささって気分をリフレッシュさせてくれるような異動が行われるんですよね。ポニーキャニオンって。そうしたことが働き続けてこれた理由の1つかもしれません」

どこに行っても経験は活きる

▲グッズディレクターとして、毎日アンテナを張り、流行りそうなグッズ情報の引き出しを増やすのも仕事だ。

関にとって、異動はキャリアの断絶を意味するものではありません。産休と育休を経てファンクラブ事業へ復帰したのち、2019年に関はライヴクリエイティヴ本部へ異動して、そのことを強く感じています。

関 「ライヴクリエイティヴ本部のなかにグッズを制作するセクションができ、その立ち上げメンバーとして入ったんです。この異動は私のキャリアを買われてのことだったのかもしれません」

新しい部署で、宣伝とファンクラブ事業で得た経験が、フルに生かされていると感じることがそう考える理由でした。

関 「ファンクラブ事業のときからグッズを作ってきましたし、通販のサイトも運営していたので、ライヴグッズのEコマースを管理することができています。媒体と仕事をすることもあるのですが、媒体さんの特徴を宣伝部での経験から分かっているので、先方との話し方のコツなどがわかりますね。今までの経験がほぼほぼ生きていることを、ありがたいと感じます。今は、グッズディレクターとして携わった商品が、ライヴ会場等に並び、お客様に買っていただけることに、やりがいを感じています」

ポニーキャニオンで働く女性のロールモデルともみられている関ですが、このように働き続ける自分を、入社当初は想像できていませんでした。

関 「私が入社した時代は、活躍している女性が多いとはいっても、それこそ27歳位で寿退社みたいな感じでしたからね。今は普通に、結婚しても子どもを産んでもバリバリ働いている女性が増えた。そもそも、この業界に入ってきている人たちって、忙しく働くことが好きな人たちだと思うんです。『いや~、バタバタしちゃって』って言いたいみたいな(笑)」

育ち盛りの子供を持つ関は、フルフレックス制度も活用し、忙しくも柔軟な働き方を実践しています。しかし、そうした制度や、タイミングを見計らったような異動辞令だけが関を支えてきたのではありません。仕事とプライベートでどんなに忙しくても、エンタメ業界が好きで働くことが楽しい。いつだってその気持ちが彼女の原動力です。