建具職人の3代目、紆余曲折の末、「社内報」のアップデートに腕を振るうと決意する

「古賀はどんな男か?」と聞かれて社員みんなが連想するのが「ストイック」「負けず嫌い」などという言葉。2018年7月、PR Tableに入社した古賀圭一郎。今の彼を形成しているのは、幾度となく訪れた人生の転機となる経験でした。
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九州男児の父親と逆をいくように生きてきた

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▲幼少期の古賀(左)と福岡県久留米市の実家(右)

福岡の久留米市で生まれた古賀は、本当だったら「古賀建具店」の3代目。しかし彼は、大学卒業後も東京で就職をすることを選び、PR Tableで働いています。

古賀 「中学時代から、会社を継いで欲しそうな父の想いはなんとなく感じていました。でも僕は、中学卒業時に”継がない”と約束をして、高校を卒業する時には自力で生活する力を身に付けたくて。故郷を離れ東京の大学への進学を決めました」

二階が自宅で、一階が職場。周りにはいつも父の会社で働く職人がいて、男性社会の中で幼少期を過ごしてきた彼。そんな育った家庭環境からは考えられないぐらい、女性コミュニティのなかで生きてきました。

古賀 「PR Tableが初めての男性コミュニティなんですよ。姉ふたりのところに生まれて、高校から大学もほぼクラス全員女子。新卒で入社した会社も同期の8割が女性。だから、男性的なコミュニケーションが多いPR Tableには、ちょっと戸惑いが多かったですね(笑)」

また古賀は、育った家庭環境について、このように語ります。

古賀 「昔から、父親って偉大だなと思っていたんですね。あー、勝てないなって。だからこそ、父親に追いつくためには、勝つためには違うことをしないとと思っていました」

このようなルーツがあるからなのかもしれません。古賀が社会人になるまでに、彼の「ちょっと歪んだ負けず嫌い」なエピソードの数々生まれていくことになります。

髪の毛が抜けて、腸に穴があくほどストイック

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▲ストイックになりすぎて学生時代に髪の毛が抜けたことも

中学までバスケットボールに明け暮れた古賀。しかしそのバスケ人生を閉ざしたのは、ある出来事がきっかけでした。

古賀 「中3の最後の大会で僕はテクニカルファウルで退場になったんですよ。勉強できないことは知っていたので、バスケで高校に拾ってもらうつもりだった。でも、その高校の先生が観にくる前に退場になって……アピールもできず、僕のバスケ人生が終わったんですね」

頼みの綱としていたバスケでのスポーツ推薦の道が途切れた瞬間。それと同時に、一気にグレてしまいます。学内で問題が起これば真っ先に疑われるのは自分。「なんでこうなってしまったのか」ーー自問自答した結果、”学業の成績が悪い”ということが原因だと悟ります。

それを機に勉強に励んだ古賀は、その勉強方法や勉強量の成果、特待生として高校入学を果たします。

古賀 「学校の先生には目をつけられていたと思います。だから、見返してやりたいという一心で勉強を頑張ったんです。一握りの人しかなれない特待生じゃなきゃ意味がないって」

ここから、彼の「ストイック」「負けず嫌い」が見え隠れしてきます。その後、新しいことを学ぶ感覚に楽しさを覚えた古賀は、高校に入学してから、まるで別人のように勉強に打ち込みます。

中3の頃にはアルファベットすら知らなかったのに、高校進学後すぐ学内1位の成績を出せるようになり、3年後のセンター試験では満点もとるレベルまで急成長します。

結果として、青山学院大学の英米文学科に入学できるまで成長した彼は、次なる自問自答を始めます。

古賀 「親元を離れる選択をした今、自分で稼いで自立した生活を過ごしたい。そのためには何をしたら良いのか」

そこで彼は、大学での勉学の傍さまざまなアルバイトの日々をスタート。大学での専門を生かした英語の通訳や翻訳、飲食店でのホールスタッフや新聞社での広告代理店対応、医学部向け家庭教師派遣会社の本社スタッフなど社会人になっても活躍できるフィールドを探そうとさまざまな場所でアルバイトをしました。アルバイトも勉学も順調。充実した大学生活を送っていたように見えた古賀ですが、ここで新たな転機が訪れます。

古賀 「大学3年のときですね。勉強とか仕事とかめっちゃやってたら、髪の毛が抜けちゃって。円形脱毛症が多発的に起きる多発性円形脱毛症っていうんですけど、1週間くらいで本当に全部なくなって。両脇だけ残ったのでまさに波平さん状態、それで両脇も剃ったんですけれどね。そのときに初めて気づいたんです。俺、身体無理してたんだなって」

目指すものがあると、とことん向き合ってしまう彼だからこそ、直面した出来事でした。そんな状態を面接官にみられて、”メンタルが弱いやつ”と見られるのを嫌った古賀は、就職活動を中断。就職を一時見送り、大学院への進学を目指します。幸いにも勉強が好きだった古賀は、ここで専攻外の文学や教育学もイチから勉強し、大学院進学への道も固まってきます。

でも、頑張りすぎちゃうところが玉に傷。勉強し過ぎで腸に穴があき、入試直前に緊急入院。手術を終え、目を覚けるとすでに試験は終わっていました。結局、一年留年して就職を目指すことになります。

社内報と出会い、ストイックさに拍車がかかってしまう

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▲社内報の仕事で訪れた奈良公園で、鹿に取材する古賀

就職を考えた時に、まず一番に古賀の頭をよぎったのは、大手広告代理店での仕事でした。

古賀 「あるCMを見たとき、『俺、これを作りたい』って思ったんです。でも、調べれば調べるほどそこは狭き門。仮にここに入社できても、その分野で一番になることはできないんじゃないか? そう思ったんです」

そこで古賀が出会ったのが、”社内報”という媒体、そして日本ビジネスアートという会社でした。

古賀 「会社が社員に対してコミュニケーションを取っていくための媒体、という所に魅力を感じて。それにニッチな領域だから、頑張れば業界で5本の指に入れるんじゃないかって。
当時23才の若者が、一部上場企業の社長に取材して、その思いを全社員に伝える役割を担うことができ、デザイナーと一緒に企業ブランディングのツールを作ることができるところに、すごく魅力を感じたんです」

古賀の期待通り、その会社はさまざまな経験を積み、成長できる場でした。経営者や会社の思いを伝えるために、社内報ディレクター・古賀の奮闘記が始まりました。

古賀 「とにかく毎日がジェットコースターで、あっという間に1日が終わりましたね。お客さんのためになるなら、あれもこれもやりたい。喜ばれるのも、自分の成長を実感できるのも楽しかったんです」
怒涛の日々の中で、1〜4年目まで順調にステップアップした彼。でも業務量の多い会社だからこそ、いつの間にか上司や先輩がいなくなってしまい、それと比例して彼が感じられる刺激が弱まってきてしまいます。

「俺がやってるのはPRだった」転職を機に新たな世界を知る

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▲2019年現在の古賀
1月1日。それは古賀が毎年、その年の自分のあるべき姿について考える日でした。2018年同日。彼はある決断をします。


そうだ、転職をしようーー。

刺激が弱まり、自分自身の成長速度が鈍化してしまったように感じた古賀は、4年目にしてついに転職を決意します。そこで出会ったのが、PR Tableでした。

古賀 「最初の面談でパブリックリレーションズの説明図を見せられて。『俺がやってた社内報(Employee Relations)もパブリックリレーションズだったんだ』っていうのをそこで初めて知りました」

自分が心血を注いできた、社内報のひとつ上の概念。社内だけに発信するのが社内報なのに対して、社内と社外を分けない。すべてのステークホルダーに裏表なく発信するという考え方に、カルチャーショックを受けた反面、大きな可能性を感じたのでした。

「“閉じない社内報”という社内報2.0を作っていきたい」。こうして古賀は、PR Tableへの入社を決意します。

古賀 「自分が頑張って、新しいことを知ることで、わかりやすくステージが上がっていくのが面白い。自分が好きと思うものに、とことんのめり込んでいきたいですね」

古賀のストイックさは、好奇心が原動力。それは勉強においても、仕事においても同じです。これからも彼は、好きなものにのめり込み、その腕に磨きをかけていくことでしょう。

父親から受け継いだ職人気質は、思わぬかたちで活かされているのかもしれません。

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