高卒、床屋、自分探し……孤高の人生のなかで初めて芽生えた“会社への愛”

PR Tableに10人目の社員として入社した石渡航平。幼少期から物事の意思決定は自分自身。成長のためには未経験なことでも臆せず挑み、自分に試練を与え続けてきました。また、嫌いになるのが怖くて、自分のいる場所に執着をしてこなかった石渡。しかしPR Tableに入社し、初めての気持ちが芽生えていきます。

自分で意思決定をすることが、なによりも大事だった

▲小学校の運動会。日差しを防ぐ石渡

東京の赤羽で、鋳造業を営む両親のもとに生まれた石渡航平。運動が好きで、怪我も多かったわんぱく少年は、小学校から中学校まではサッカーに夢中でした。幼いながらも、やる!と決めたのは自分自身。

石渡 「僕は、人に指示されるより自分で決めたほうが、ものごとの納得度が高いんです。中学に入って部活でサッカーをやり続けるかどうかを決めるという時に、親から『サッカー続けたら?』と言われていたら、多分『嫌だ!』と言っていたと思います。


『自分で決めたことは、自分に責任がある。だからその責任は全うしよう』という気持ちが小さい頃からあったような気がします」


その後、男子校へ進学。何も考えず「そこそこ頭良さそうな高校へ行っておこうか」くらいの気持ちで行ったところ、半年後に後悔をすることに……。

石渡 「男子校でも大丈夫!と思ってたんですが、やっぱり女の子がいた方がいいんです(笑)それに気づいてからは、バンドをやったり、バイクに乗ったりと、モテたいがために、全部やりましたね(笑)」
とにかく遊びまくった毎日は過ぎ、やがて進路を考え始める時期に差しかかります。自分は大学に行っても、きっとこのまま遊ぶだけ。それでは何も意味がない……。

今まで充分遊んだから、ここからは自分を律し、人生の準備をしよう。そして、いわゆる“手に職”を得るべく、美容理容専門学校への進学を決めます。

石渡 「基本的にみんな大学進学をする感じの高校だったので、専門に行くと言った時はみんなから猛反発を受けました。でも、自分でもう決めちゃったので……。行くならなにがあっても休まず行こうかなと。


あと、厳密に言うと美容師ではなくて理容師を選びました。当時、理容師は全く人気なくて、ブルーオーシャンだったんです。みんな理容師ってダサいと思って、誰もやらないんですよ。だから、慢性的に人手不足。そう考えると、逆張りしたほうがおもしろいなと思って」


その決意を胸に入学した専門学校。「自分を律する」と決めた石渡は、何があっても絶対に無遅刻無欠席を貫き、皆勤賞で卒業します。

4年半の理容師生活で見つけた、次のステージ

▲理容師を辞めたあと、農業もやっていた石渡

実は、計画的に進んだ理容師の道。

石渡 「就活も思惑どおり、引く手数多。職場見学に行けばその場で内定みたいな感じで、高級店でもどこでも選びたい放題でした。それなら、自分の友達が来ないであろうお店に行こうと思ったんです」
選んだのは、いわゆる“紳士”しか来ないような高級店でした。その理由も、同世代の友達は多いけど、“おじさん”の友達はいないから。人生の先輩からは、これからの自分に必要なことをたくさん学ぶことができるはず……。

最初の配属先は、銀行や証券会社関係の方が多く来店する神田。そこでは理容師の技術以上に、刺激的な学びがありました。

石渡 「理容師は一概に、腕がいいだけの理由で選ばれるんじゃないんです。キャラが気に入られたり、話の距離感が気に入られることもある。だから、この人は居眠りしたい人だ、とか、話したい人だとか、お店に入ってきた雰囲気で見抜くんです。


それに、神田という場所柄、堅い会社の方が多い。お話相手もするので、知識のインプットは相当やってました。 20歳の頃には本当に多くの知識が貯まってたと思いますし、それもあって、理容以外のビジネスへの興味ももちましたね」


そして、ひとりの紳士との出会いが石渡を動かします。

石渡 「僕はその方のオーラが好きで。寄せ付けないオーラではなく、包み込むオーラなんですよね。大企業の社長さんなのに、お店のメンバーの名前も全員覚えてる。運転手付きの高級車に乗っているんですけど、お店の前に停めないで、遠くに停めて歩いてくるんです。真摯な対応から、大人の所作みたいなものを学びました」

そんな社長に言われたのは「そのくらいの歳で1度、日本以外の国を見た方がいい」という一言。もともと、休みがあれば国内外へ旅をしていた石渡は、「それなら1年くらい住んじゃおう!」と4年半勤めたお店を退職。オーストラリアへ旅立ちます。

コネも金もないところで、なにかを成し遂げたい

▲オーストラリアで自分を探している石渡(前列右)

それまで、ずっと実家で暮らしてきた石渡。ある程度ピンチになっても、住む場所はある。日本にいれば、孤独になることもない。海外に来た目的は、文化の違う人たちと話をすること、それ以上に、自分を窮地に追いやることでした。

石渡 「大ピンチになっても、自分でなんとかしなきゃならない状況にしたかったんです。だから、親にも『音信不通になっても、お金は一切送らず、連絡もこっちからするから』と伝えて出てきました。心のどこかでピンチを求めていたんですね」

70万円を手にオーストラリアへ。語学学校に60万円、残り10万円……。早速のピンチに陥ります。

日本人のいないシェアハウスに住みながら、レストランでアルバイトをするも、給料日までの1週間を200円で過ごすということもありました。80円のパンを買って、庭に生えている葉っぱを切って(食べられる葉っぱ)、ソースをかけて食べる。そんなことをしていると、栄養失調で倒れる……。

お金の大切さ、サバイバル能力のなさを痛感し、今まで自分に甘い人生を送ってきたことに気づきます。

そこから快進撃。レストランの立ち上げの手伝いや、異文化パーティーの幹事。ブログを開設し、旅系のメディアに執筆ーー。気づけば、貯金が70万円ほどになっていました。

石渡 「この経験でいろんな仕事がおもしろいと思えて、サラリーマンになりたいと思ったんです。それに、理容師時代に『サラリーマンのお客さんは一体何をしてるんだろう?』、『こんなに人がいるのに、なんでこんな忙しいんだろう?』って思ってて、その好奇心が戻ってきたんですよね」

サラリーマンになる道を決意し帰国。いわゆる“サラリーマン”として企業に勤めながら、内装系の仕事や記事のライティングも平行しておこなっていました。そのなかで、記事を書く・編集することが楽しくなってきます。

石渡 「オーストラリア時代から、『これ、もしかしたらいけるかも?』みたいな手応えはあって。今まであんまり褒められたことなかったんですけど、記事書くと褒められるんですよね。だったら、これを仕事にするのもありかな……?と。


いわゆる The・サラリーマンも楽しかったんですけど、次はベンチャー企業にも興味が出てきて、ベンチャー ×ライティングで仕事したいなって思ったんです」


そして出会ったのは、当時盛り上がっていた、オウンドメディアをつくるコンテンツマーケティングの会社。やればやるだけ結果が出る世界で、仕事をするのは石渡にとっていい環境でした。

1年でリーダーに、その後半年で10名程度のチームを束ねるマネージャーへと昇格します。また、そのなかで、ゼロから高いPV数を誇るメディアをつくる目標も達成するなど、順風満帆でした。結果を出すことが好きで、自分のプライベートの時間を削ってもよかった……。

しかし、憧れと自己成長への期待をもって入社した分、思っている以上に頑張ってしまった石渡。オンオフの切り替えスイッチが機能しなくなり、土日も仕事三昧に……。体調を崩し、ご飯も満足に食べられない状態になってしまいます。

石渡 「その時は結構大変でしたけど、それもそれで気持ちよかったんですよね。ここで、自分は仕事好きな人間なんだと気づいたというか。もっと仕事してぇな!と思い始めたんです」

その頃、ベンチャーでバリバリ働きたいというような同僚が多かった同社が、大手新聞社に買収され、徐々に会社に安定感が現れます。それに伴って、社風も少しずつ変化していきました。

ヒリヒリしない……。もっといろんなことに挑戦したい。そんな想いが募り、退職を決意します。

PR Tableへ参画。経営陣に任せているだけでは、会社は良い方向には進まない

▲経営陣との合宿中、ハイヤーの手配をさせられる石渡

退職後、これからどうしようかと考える日々のなか、前職時代に出会ったライターに勧めてもらったPR Table。

石渡は今まで自分を律するために、いろいろな経験をしてきました。理容師から、ライター・編集へのジャンプアップができたなら、まだ見ぬ仕事へのジャンプアップも必要。

PR Tableに編集者として入社すれば、のちに編集者ではないポジション、今までにできなかったことをやれるかもしれない、そして何より、ヒリヒリするような超スタートアップを経験できる。そして、2017年9月25日、晴れて10人目の社員になります。

仕事で認められるため、目の前のことを必死に頑張る日々のなかで、ある感覚に気づきます。

石渡 「これまで、自分の居場所に対して、そこまで深入りしないほうが自分を傷つけないだろうと思ってたんです。愛しすぎて憎んじゃうみたいなのが、嫌だったんですよね。


それなら、しっぺ返しを食らわない程度の、程よい距離で見ておいた方が、自分の気持ちもバランスが取れるんだろうなと思ってました。仕事にはコミットするけど、組織にはコミットしない。それがいいなって」


しかし、入社して1年。カスタマーサクセスとしての成果を認められ、いつしかマネージャーを任せられ、自ずと経営陣と事業のことについて、密にコミュニケーションをとるように。

そんなある時、経営陣3人の意思決定に対して、彼らの会社だからと言って任せすぎたら間違った方向性に行ってしまうこともあるんだということに気づきます。その決定が嫌だったわけでもなく、“会社として”良くないと思った瞬間がありました。

そして彼は、勇気を出して提言します。「その意思決定は、現場と乖離があります。会社をまっすぐ成長させたいなら、違うやり方がいい」と……。結果、石渡があげた代案は採用。そこで、また自分自身の新たな気持ちを“発見”するのです。

石渡 「僕は自分の意見が採用されたことより、その意見が “会社として良くない ”と思えた自分の感覚に、なんて素晴らしいんだろうと思えたんです」

これまで、会社や所属する自分の居場所に対して、無意識に「いずれ辞める自分の成長の場所」と捉えていた石渡。しかし、入社してからさまざまな経験を重ねていくなかで、どんどん気持ちに変化が現れていったのです。

石渡 「今までは、自分の成長軸に目が向いていました。でも PR Tableに入社して 1年経って、だんだん認めてもらえてきた時に、会社を大きくしたという気持ちが芽生えたんです。


この感覚がなんで出てきたんだろうと思った時に、自分が今いる居場所、会社を愛し始めたんだなと思ったんですよね。


僕は縁を切るのがうまい。母校も卒業したら 1回も行かないし、同窓会も興味ないんです。友達はいるけど、組織や固まりに属するのが嫌い。戦隊でいうと、赤でも青でもない、黒がカッコいいと思っているタイプで(笑)


でも、そんな僕が仲間も含めて自分の居場所を愛するということを知れたのが、 PR Tableなんです」


これまで成長のために自分を律し、ひとりで戦っていたけれどーー。今は仲間とともに“愛する会社”で戦っています。

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