人の信念が原動力ーー誰もが前向きになれる世界のためにできること

音大卒業後、長野県のラジオ局と福島県のテレビ局でアナウンサーを経験し、2019年現在はPR Tableで活躍する藤原梨香。表現することを常に求められてきた彼女が信じるのは、言葉の力。さまざまな人たちとの出会いと言葉を大事にしてきたこれまでを振り返ります。
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自分を表現するためのピアノーー音楽に打ち込んで得られた自信

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▲小学生のころの藤原(写真左)。ピアノの発表会の後、妹と撮った1枚

企業・団体の想いや魅力を表現するストーリー。そのストーリーをより伝わりやすくするために執筆のサポートをしているのが藤原です。

彼女はPR Tableに入社するまで、ラジオパーソナリティやアナウンサーなど、放送を通して情報を伝える仕事をしてきました。

その経歴を見ると、人前で話をすることが得意、明るくハキハキとした印象を抱く人も少なくないでしょう。しかし、幼少期の彼女は自分を強くアピールするのが苦手だったといいます。

藤原 「小さいころはなかなか自分を表現するのが苦手な子だったんです。そんなとき、親の勧めで小学校からピアノを始めました。
おしゃべりは得意ではなかったんですが、ピアノで表現することで周りから認められて、学内選抜で行う合唱コンクールの伴奏を任されたり。ピアノを通じて初めて自分を知ってもらえた気がして、もっともっとうまくなりたいと考えるようになりましたね」

「ピアノ」という手段を使って、表現方法に磨きをかけ、年を重ねるごとに演奏者としてチャレンジしてみたいという気持ちが高まっていきました。

徐々に将来をイメージし始めた高校時代、意を決して親と当時のピアノの先生に「音楽の道に進みたい」という胸の内を打ちあけます。

するとこんな答えが返ってきたのです。「今の時代、音楽だけで生計を立てるのは難しいから先生になった方がいいよ」と……。

藤原 「冷静に現実的なアドバイスをもらいました。最初は納得できない部分はもちろんあったのですが、振り返ると中学時代は学級委員など何かしらチームをまとめる役割になっていて、メンバーを引っ張っていく事は嫌いではないし……といろいろ思い始めたんですよね」

葛藤はあったものの、音楽の先生という道に徐々に興味を持ち始めます。どうすれば先生になれるのか?自分に足りないものはなんなのか?と考えるように。

それから「学校の音楽の先生になるために、音楽大学を目指す」ことが目標に定まるまでそう時間はかかりませんでした。

そこからは、一日も欠かさずピアノを弾きつづけ、地元の岩手から東京へレッスンに通うなど、目標に向けて一直線に突き進みます。

家族や先生のサポートも受けながら、努力をつづけた結果、晴れて国立音楽大学への入学が決まり、音楽の先生になるためのステップを順調に進んでいく……はずでした。

初めて自分から挑戦してみたいと思えたアナウンサーという「けものみち」

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▲アナウンサーを目指していたころ。試験で全国を飛び回る日々を送っていた

目標としていた音楽大学に無事入学を果たし、いざ勉強が始まると、先生という立場で生徒と向き合うことが本当に自分がやりたいことだったのか?と自問自答するようになります。

藤原 「音楽の先生を目指したのも、きっかけは親とピアノの先生。勧められたときにイメージしていた先生像と、実際に大学で学んだ先生という仕事にギャップを感じたのは間違いありません。
父も学校の先生でしたし、自分自身もこれまでに多くのことを先生から学んで、サポートをしていただきました。すばらしい職業ですが、自分がそのときになりたいかは考えることができませんでしたね」

まだ自分も気づいていない、見えていないものをつかむようなチャレンジングな仕事がしたい。

そんなとき、当時同じ大学に通っていた、加藤綾子さん(現在はフリーアナウンサー)がテレビ局のアナウンサーになるという情報を友人を通じて知りました。

藤原 「それまでアナウンサーを仕事にするなんていう選択肢は考えもしていませんでした。
でも中学、高校のときからよくテレビを見ていたので、いろいろなところに取材にいって世の中の人に伝える、他にはない刺激的な仕事にとても興味を持ちました。できることならチャレンジしてみたいと」

加藤さん本人からアドバイスをもらい、大学3年生になる頃からアナウンススクールに通うことに。その道が平坦なものではないと頭では理解していたものの、実際にスクールで出会うライバルたちと接するなかで、その難しさを目の当たりにします……。

藤原 「スクールに来ている子たちは他の学生と明らかに違って見えました。一流大学に通い、当たり前のように頭脳明晰、容姿端麗。そして何より、自己分析もできていて、社会への洞察も深い。あらゆる物事を自分ごととして語ることができるんです」

他の生徒にくらべ、アナウンサーを志した日も浅く、なかなかうまく自分をアピールできないと考え込んでしまう日々……。しかし、リポートやニュース読みなどの授業を通して徐々に自信を取り戻していきます。

藤原 「あるときスクールの先生が『あなたは話をする能力が高い』と褒めてくださったことがあったんです。緊張が外に伝わりにくく、周りに比べて言葉がポンポン出ていった部分がよかったのかなと思います。
でもそれは裏を返すと一つひとつの言葉に重みがないとも言えるので難しいところではありますが(笑)。ただそういった評価の言葉をもらえて少しづつですが自信を得ることができましたね」

とはいえ、アナウンサーの仕事に就くということは想像していたよりも難しく、生易しいものではありませんでした。

実体験があるからこそできる自分らしい表現

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▲アナウンサーとして、初めてニュースを読んだときの写真

アナウンサー試験を受け始めたものの、書類審査や1次面接で落ちてしまうなど、なかなかいい感触は得られませんでした。自分がアナウンサーになるためには何が必要か……ライバルたちの言葉や行動を観察する日々がつづきます。

藤原 「私は表現力や自己分析力に課題があると気づきました。選考を進んでいる人たちは、自分をどのように表現すれば魅力が伝わるかをしっかり考えている。
学生時代のエピソードを通じてなぜ自分はアナウンサーになりたいのか?そこで何をしたいのかが、それぞれハッキリしていたんです。でも私は『アナウンサーになる』ということで頭がいっぱいで……。なぜなりたいのか、アナウンサーになって何をしたいのかという基本的な部分が抜けていたんですよね」

自分を表現するためには、自分らしい経験を積み重ねなくてはならない。そう考えた藤原は、選考を通じて情報を知った長野のラジオ番組パーソナリティの仕事に挑戦することを決めます。

しかし、いざ現場に出てみると自分のキャラクターを十分に出すことができず、契約期間1年で不完全燃焼のまま終えることに……。

自分らしく伝えるとは何かーー藤原は、その答えを探すため、さまざまな現場に足を運びます。自分の目で見て肌で感じることで、その答えが見つかるかもしれないと感じたからです。

高校野球やBリーグなどのプロスポーツの現場、東日本大震災の被災地……。
特に心に残ったのは、福島県の川内村でした。

藤原 「避難区域の現状を見ることで、伝え手として何ができるかを考えたいと思い、訪れたんです。川内村は、原発事故の影響ですべての村民が避難をしていましたが、いち早く帰村宣言をした地域。この情報を聞いて、大変な地域……という勝手なイメージを抱いていました。
でも、実際に訪れてみると、のどかな自然が広がる“美しい村”という印象が強くて。震災前と変わらぬ風景を残し、そこで一生懸命に生きている人がいる。そんな、当たり前のことに気づくことができたんです」

現場に足を運ぶことで、見えるものがある。私はそんな現場の“空気”や“想い”を伝えていきたいと思うようになるのです。自分が心からやりたいことを見つけた藤原。偶然にも、福島県のテレビ局からアナウンサーとして内定をもらいます。配属先は、報道部でした。

自分が助けられたように、言葉でたくさんの人を支えていきたい

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▲2019年現在の藤原

アナウンサー兼報道記者として、県内各地を取材する日々。なかでも、初めて避難区域を取材したときの出来事が、藤原の心にもっとも印象強く残っています。

藤原 「住民の方が私に『ふるさとに帰りたいとは思っていない』と言ったんです。避難先で生活の基盤もできていますし、原発事故の前と後では街も変わってしまったから。
でも、当時メディアで取りあげられがちだったのは『ふるさとに帰りたい』という声だったんです。取材を進めるうちに、本当は迷っているのに『ふるさとに帰りたい』という伝え方をされて、苦しんでいる人もいることがわかりました。
放送によって切り取られる場面は、ときに取材相手の人生まで左右するんだなと……」

さまざまな人に出会い、取材を通して、そこにいる人の“本当の声”を伝えたい……。もっと人の人生や信念にフォーカスし、自分が伝えることで、誰かを助けたい、という想いを持つようになります。

そう感じた藤原は、アナウンサーに限らずそれを実現できる仕事があり、より多くの人に出会える東京でのチャレンジを決心します。そんな挑戦ができる仕事はないかと探していたときに出会ったのがPR Tableでした。

藤原 「これまでの現場取材を通して、その人の本当の声を届けたいという気持ちがありました。PR Tableの『企業が本当に伝えたいことを伝えていく』というコンセプトにとても共感したんです。
実際に働いてみて、今までまったく知らなかった業界のことを知れたり、社員の方の人生や想いに触れることができたり。毎日、新しい発見があってワクワクします」

また、PR Tableでさまざまな取材を通して新しい発見を重ねていくなかで、見えてきたものがあります。

藤原 「企業の中に埋もれるストーリーを伝えていくうちに、世の中には自分の仕事や選択に誇りを持っている人たちがこんなにたくさんいるんだ!と感動したんです。だからこそ、人がどんな “想い ”をもって働いているのか、生きるうえでの信念をどんどん掘り起こしていきたいです。
どうしても働くことに後ろ向きだったり、つらさを感じてしまったりする人もまだたくさんいると思うので、そういった人たちに “自分らしさ ”ってなんだろう?って考えてもらえるきっかけがつくれたら嬉しいです」

自分に嘘がつけない。誰に対しても正直でまっすぐに向き合うのが藤原らしい生き方。世の中の人たちが楽しく前向きに生きられる世界を目指して、これからも人が大切にしている“想い”を紡いでいきます。

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