これはPR Tableの、あるいはPRの夜明け前──ブログ時代〜創業1期目

「ポスト2020の日本社会にハートのある技術をインストールする」を掲げるPR Table社。2018年には大規模PRカンファレンスも成功させ、次なる道を進んでいます。ただ、ここまでは手探りの連続でもありました。代表取締役の大堀航・海兄弟、最初期メンバーで取締役の菅原弘暁が、その歩みを振り返ります。

匿名で始めたブログに感じた、わずかな手応えを頼りに

▲PR Tableはブログからはじまった

すべての始まりは、2013年12月。当時、ベンチャー企業の広報職に就いていた大堀航が趣味ではじめたPRパーソン向けのブログでした。今でこそ「PR=Public Relations(以下、PR)の未来」を考え、PR Tableを経営する立場ではありますが、立ち上げのモチベーションは「暇だったから」というシンプルなもの。最初から起業を志向してはいませんでした。


大堀航(以下、航)「事業会社の広報職を経験してみたくて、大手PR会社から転職したんです。別のキャリアも見てみたかった、くらいの動機で。ただ、追われるほどの仕事もなく、そのうち『何かしたいな』と思うようになりました。

同じくベンチャー企業の広報仲間から『PRは何からやればいいのかわからない』という声を聞くようになり、それなら僕がリアルに体験していること、やっていることをベースにしたPRノウハウを書いてみようかと思ったんです」

かくして立ち上がった、PR Table(その後、PR Table Blogに改称)。

「頑張る全てのPRパーソンを応援する!」という想いもありながら、その根底には既存のPR業界に対する“感情のマグマ”が燃え始めてもいました。当時を知る菅原は振り返ります。

菅原「情報の非対称性で儲けるPR会社のビジネスモデルは意外にダサいのでは?と言いはじめた時期だったと思います(笑)。原価がかからないものを、買い手側が知らない情報を元に、ずっと高い値段で売るような仕組みで。ただ、そのやり方が通じなくなってきた時期でもありました」

航と同じPR会社の出身であった菅原も、会話をする中で危機意識を高めていったのです。

航は、菅原だけでなく、フリーランスのPRパーソンだった実弟の大堀海にも声をかけ、3人は現業にも配慮し、匿名でブログを書くようになります。名前は豆柴、ボーダーコリー、ドーベルマン……をローマ字で表記したもの。今になって振り返れば、“Mameshiba”は人名のようでも、単なるユーザーIDのようでもあり、親しみやすさと匿名性を両立させられました。

匿名で荒野に放たれた3人が綴るブログは、SNSなどを通じて人知れず届き始めます。

航「あの時に少しでも反応があったから、今もこの事業を続けられているかもしれません。インターネット大好き!って思いましたね(笑)。当時は誰が、どの名前とは公表してませんでしたから、メンバーは今でも『あなたがドーベルマンさんですか!』って言われたりしますよ」

そして、事業会社と匿名ブログで新たな居場所を見つけた航の言動は、徐々に菅原の心を揺るがしはじめてもいました──。「自分が手がけた施策の先で起きている事」に立ち会えないような代理店ならではフラストレーションが募っていきます。

一方で、航の奥底でも、PR Tableで起きた日常の変化の先に、次なる可能性を求める産声が聞こえていました。

大堀航、入籍のすぐ後に起業を志してしまう

▲創業当初に描いていた構想。実現にはまだまだ程遠い

2014年の9月に入籍し、ライフスタイルに変化のあった航、31歳。しかし、胸のうちには「起業」の2文字が浮かんでいました。

彼らがまず設計したのは、上記のサービス図でした。

2014年12月、株式会社PR Tableを登記。また同じ頃、ベンチャーキャピタルのEast Venturesが六本木に構えていたシェアオフィスを、面談の上で2席借りることに。初期のメルカリ、BASE、4MEEEといった企業と同じ場所で、事業アイデアを形にするフェーズへと入りました。

航「ストーリーを掲載するプラットフォームを作り、それと同時進行でフリーランスのライターや編集者を集めるコミュニティを設計していきました。また、サービスやウェブサイトのグロースハックを、日本や世界の熟達者に依頼してサポートする仕組みを持つKaizen Platformがスタートアップ業界の寵児になっていました。同じように、僕らはPRのプロフェッショナルが企業の情報発信をサポートするサービスが作れたらいいのではないかとも考えたんです」

まずはコミュニティを軸としたマッチング事業を推し進め、PR領域での事業を検討し始めます。

海「企業側は、案件を頼める良いPRパーソンをいつも探していました。そこで企業とPRパーソンを繋げないかと思ったんです」

しかし、これらのアイデアは、当時の社外取締役であった日比谷尚武からの指摘もあり、マネタイズの観点から難航。まずは、「企業の“ちょっといい話”を届ける、ストーリーテリング・サービス」としてのリリースを目指すことになります。日比谷から紹介されたエンジニアの芹沢孝広や、デザイナーの近藤享亮と共に、サービスの開発が急ピッチで進行していきました。

開発の最中、大堀航は2015年の1月から6月くらいまで、知名度アップを兼ねて、数多の広報向けイベントの開催や登壇を繰り返す日々を送るのでした。

そして、いつからか航に、仕事も資金も「巻き込まれるようだった」海にも、心境の変化が訪れていました。当時、大型の案件を手がけ、傍目には忙しいながらも成功しているPRパーソンのように映っていたはずの海も、進路の行く先を悩みはじめます。

海「たしかに忙しかったけれど、自分としては受託仕事をずっとやっていくイメージもなくて。たまにルノアールとかで、怪しいPRおじさんが電話なんかしているけど、そうはなりたくないし……(笑)。だから、当時賭けられるとしたら航の行く道しかなかった」

資金は乏しいけれど、胸に描いた起業の熱で突き進む航。資金はあるけれど、自らの行き先に不安を抱いていた海。兄弟は足りないところを埋め合うように、PR Tableのサービス開発にのめり込んでいきました。

キーパーソンを決断させた「謎の売り上げ45万」

▲プリメーラ道玄坂 209号室に入居した初日。6.57坪だった

2015年10月1日には、シェアオフィスから渋谷の「プリメーラ道玄坂」へ移転。はじめての自社オフィスを構えました。そして、やや遅れること10月26日に、いよいよストーリーテリングサービス「PR Table」を正式にリリースします。

しかしながら、世の中で「ストーリーテリング」という手法そのものが、それほど認知や指示を得ていたような状況ではありません。航は、サービスリリースに備え、中学・高校の同級生が在籍していたスタートアップ企業から受注を得て、オープン時のストーリーを制作。

これが後にも語り継がれる「PR Table第1期の謎の売り上げ45万円」です。しかし、この体験こそが、PR Tableにとって転機になる人材の採用につながっていくのでした。

菅原「航が制作したストーリーは、後にも先にもそれだけなんですけど、エモさや情緒なんてまったくないし、直したほうがいいと思える箇所がたくさんあったんです。その時に、航から『そういう人が必要だからやってくれないか』と。僕はそれまでコンテンツ制作の現場に立っていたわけではないけれど、航がやるよりはマシだろうと思いました(笑)」

PR Tableの成り立ちを、大堀兄弟のそばで見ていた菅原が、いよいよ参画することに。ただ、それ以前から続いていた深い交流ゆえに、菅原の胸の内は「遅かれ早かれ」でした。

航「僕らは、当時一緒に住んでいた半蔵門のシェアハウスで、よく深夜の2時や3時までPRについて話し込んでいたんですよ。あれは良い、これはイケてない、とか。それは僕らがPR Tableを立ち上げるよりずっと前、2013年くらいから続けていたことで」

自分の仕事で感じたモヤモヤ、あるいは今後のPR業界について、自らの考えるPR論について。それはさながら彼らにとっての“PR梁山泊”、あるいは“PRトキワ荘”のように働き、共通言語の擦り合わせや意識を醸成する場として機能していったのでした。

ただ、「ストーリーテリングをビジネスにする」という勝算は、誰もがはっきりと持てていないままの船出でした。

人事領域を攻め始めて戦況が変化。未来食堂のヒットも

▲リリース当初の「PR Table」トップページ。コンテンツ数が少なく、サムネイル画像の表示が大きかった

菅原が入社した頃、PR Tableはストーリーテリングを企業の広報担当に活用してもらうことを考えていました。しかしながら、営業の成果は芳しくないまま。

そんな折に、日比谷から紹介を受けたのがネットジンザイバンク(現在のフォースタートアップス)の志水雄一郎さんでした。志水さんはPR Tableの面々に、「広報ではなく人事領域を攻めてみては」とアドバイスを授けたのです。

菅原「人事のツテは全くありませんでしたから、知り合いの広報さんから人事部を紹介してもらったり。すると、広報よりもずっと食いつきが良い。ただ、とにかく無料アカウントで、まずは書いてみてほしいと伝えてみたのですが、なかなか動きがなくて。そこで思い当たったのは『サンプルがないから作れないのだろう』と。そのサンプルで作ったのが、PR Tableの知名度を一気に上げたともいえる未来食堂さんのストーリーだったんです」

ここから、PR Tableは事業としてドライブを始めます。次第にユーザーが増えると共に、ストーリーの投稿も見られるようになっていきました。ストーリーの制作代行も請け負うようになり、その際に依頼したフリーライターのひとりが、後にストーリーテリング事業の力強いパートナーとなる大島悠でした。

そして、2015年12月には、海が自らの事業を譲渡して、正式にジョイン。PR Tableに最後のピースが合致したのです。

2013年に立ち上げたブログから始まり、法人化、サービス開発、そして人材採用まで。濃密な2年間を過ごす中で、PR Tableは社としての第1期を終えました。しかし、それは次なる試みへのきっかけでもあります。事業をよりドライブさせ、あるいは継続していくための、銀行やベンチャーキャピタルからの融資へのトライが始まるのです──。

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