日の出はまだ遠い…PR Table初期の綱渡りと苦しみ──創業2期目

「ポスト2020の日本社会にハートのある技術をインストールする」を掲げるPR Table社。2018年には大規模PRカンファレンスを成功させ、次なる道を歩む中、代表取締役の大堀航/大堀海兄弟、最初期メンバーで取締役の菅原弘暁が軌跡を振り返ります。ローンチに続き、彼らが直面したのは「資金」の壁でした。
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編集者やライターとつくる「ストーリー工場」構想のはじまり

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▲山田車体工業での工場見学。「相手の立場で考える徹底した品質管理」「不良品を次工程に渡さない」といった標語に胸を打たれた

大堀航と海、菅原弘暁の3人が正式にジョインして走り出したPR Table。2013年に立ち上げたブログから始まり、法人化、サービス開発、そして人材採用まで。濃密な2年間を過ごす中で、会社としての第1期を終えました。

そして、2016年も早々に、3人にとっては思い出深い機会が舞い込みます。静岡県に本社を置く「山田車体工業株式会社」を紹介され、オペレーションの整った「工場」を見学したのです。

菅原「僕らは当時流行っていた『下町ロケット』にも影響されていて(笑)、工場内に掲げられた行動規範などを見て感動していたんです。そのときから、僕らも制作の工程を改善することを強く意識し始めました。トヨタ自動車のカイゼンを学んでみたり、下町ロケットに登場する“キーデバイスの内製化”というワードから自社の強みを見直してみたり。そこで、僕らがストーリーをつくる上では『美しいオペレーション』がキーデバイスになる……言い替えればコアコンピタンスなのだと考えたんです」

2019年現在も使われている社内ダッシュボードの制作プロジェクトを「ガウディ計画」と当時呼んでいたのも『下町ロケット』からの影響の名残です。また、「ミスマッチのない社会を実現する」という標語もこの頃に生み出されるなど、PR Tableの新たな地固めが進んでいきました。地方の企業からも依頼が届き、菅原は出張を重ねるなど多忙になっていきます。

「ストーリーの制作代行が売り物になる」というそれらの成功体験をベースに、自らを“掲載プラットフォームを持つ編集プロダクション”と定義し、オペレーションを磨き込んで営業を増やせば拡大していけるはずだ。菅原の頭には、フリーランスの編集者やライターと「ストーリー工場」をつくるイメージが浮かんでいました。

しかしながら、見通しはあっても3名のPR Table社員の給料を賄うことさえ難しい状況は続きます。2016年1月の受注金額は76万円、その後も100万円程度と、赤字が続く苦しい環境が待っていました。一方で、3人揃ってもともとPRの代理店業を経験しており、大手企業からの受注も成功したことから、「このまま3人でファミリービジネスのように手がけていくこともできるかもしれない」という未来の予感も得ていました。

“4人目の社員”の登場、そして初の資金調達へ

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▲佐藤が入社したばかりの頃のオフィスの様子。男だらけでデスク周りが汚かった

そこへ現れたのが、飲み仲間でもあり、後にPR Table4人目の社員となる佐藤隆昭でした。事業がゆっくりと前進することの空気を変えたい思いもあり、航は佐藤に声をかけます。

航「佐藤はベンチャー企業などで10年ほどのキャリアを重ねていて、ちょうど前職を辞めるタイミングでした。彼と飲み会をしていたときに『それならウチに来いよ!』と声をかけたら、彼もどうやらまんざらでもなく……(笑)。佐藤が入社する以上は給料もしっかり払わないといけない。ファミリービジネスのままではいられない、会社としての在り方もさらに拡大していくべきだと考えたんです」

PR Tableに興味を持ってくれたエンジェル投資家との交渉はうまく行かず、結果的には政策金融公庫からの借り入れを実施。「受注している企業リストと熱量だけでなんとか成功できた」と海は振り返ります。こうして当面の資金を得ると共に、新たな仲間と共に舵を切ることに。今ではPR Tableの“名物”ともいえる、ロックバンドのアーティスト宣伝素材のような社員の集合写真も、この頃にファーストショットが撮られました。

佐藤が7月に入社する前後から、さらなる資金調達をすべく、知り合いのツテを通じてベンチャーキャピタルやエンジェル投資家とも面会を重ねるようになりました。しかしながら、彼らの思惑は外れ、厳しいコメントと共に事業計画を突き返されるシーンも。ある投資家からは持参した事業アイデアに対して、開口一番に「もっと商売をやろうぜ!」と発破をかけられました。

紆余曲折を経て、2016年10月28日には大和企業投資、みずほキャピタル、エンジェル投資家数名を引受先とする第三者割当増資の実施に成功。初のシードファイナンスを実現させます。しかし、この資金調達の裏側には、厳しいPR Tableの懐事情が渦巻いていました。

航「最近、株主との面談で言われたんですけれど、最初のほうの提案は経営者として全く見込みがなかったそうです。“コンテンツを作るコツ”みたいなレイヤーの低い話をとくとくと説いてしまうような……ただ場数を重ねて、熱量だけはあったので、それに後押しされた面もありました。なによりPRという領域の可能性を感じてもらえたのと、僕らのことを買ってくれたのだと思います」
菅原「でも、この増資がないと本当にまずかったです。社員がもうひとり増えて5人になったにも関わらず受注の伸びも奮わず……おまけに大口案件の支払い遅延もあったりで、最後に僕はガスも電気も全部止まってしまって、2週間くらいは真っ暗な風呂で水浴びしてましたね」

まさに首の皮一枚でつながったような状態でしたが、さらなる問題も噴出します。キーデバイスに掲げた「美しいオペレーション」に歪みが生じ始めたのです。

美しきオペレーションが招いた歪み、そして新たな仲間の加入

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▲はじめての資金調達を完了し、株主との会食を終えたあとの2次会

2016年10月の資金調達から3ヶ月ほど遡る夏頃。主に制作面を担当していた菅原は、それまでの経験から「インタビュー写真の在り方」について発信し、反響を得るなどの手応えを感じていました。

菅原「Appleの採用動画をヒントに、いわゆる“ろくろ写真”はおかしいんじゃないか?と考えるようになったりと、企業が自社発信するコンテンツについての『あるべき像』が徐々に固まってきました。それをオペレーションに落としていくようにしていたのですが……いつからかオペレーションを作り込み過ぎてしまっていたんです」

一度決めたルールを厳守する姿勢で、「取材後の原稿納品までの期日」など、進行管理を含めて綿密なステップを踏むように作り上げていったオペレーション。その作り方は、振り返れば「菅原ひとりであれば適応しやすい仕組み」となっていました。

しかし、ストーリーテリング事業の力強いパートナーとなったフリーライターの大島悠をはじめ、関わる人が増えるごとに、制作陣にはある種の制約として働く面も出てきたのです。菅原としては考え抜かれたものでも、ある人にとっては窮屈で、時に「大きなストレスを与える」ようなものになっていたのです。

菅原「受注が増え始めたのもあって、編集者によって裁量を変えられるようにオペレーションを変更していったんですね。これは今の制作体制にもつながっています。僕が”編集長”として外部のイベントなどで露出し始めたのも、この夏頃からだったように思います」

折しも2015年ごろから一層の盛り上がりを見せたオウンドメディアを活用したリクルーティング施策をはじめ、企業が自社発信のもとに採用広報を行う事例が増え始めていました。PR Tableもその出稿先の一つとして、じわじわと知名度を上げていったのです。

制作陣の稼働率も上がり、資金調達も経て、まさにここから成長軌道を描こうと意気込みを増すタイミングがやってきます。2016年11月には、海が以前から懇意にしていた顧問税理士事務所に勤めていた金子峻司がジョインを決めます。セールス体制を強化するために、もっとも営業成績のよかった海の時間を増やすために、担っていたコーポレート業務を棚卸しすることが目的でした。

海「出会いは彼が20才くらいのとき。金子は務めていたのが体育会系の色が濃い事務所で、どこか肌に合っていないような感じも受けていて、目をつけていたんです。PR Tableがメンバーを採用する余裕がないころから、冗談半分で『いつかうちに来てよ』って誘ってましたから。それで、今がそのタイミングだ!と思って」

金子がジョインして海が営業に注力できるようになったのもつかの間、これもベンチャー企業の醍醐味と割り切るしかないのでしょうか……うまくいかないことが続きます。

PR Table恒例行事「空気を変える引っ越し」のはじまり

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▲移転初日の朝礼。30坪のオフィスは、たった6名の社員には広すぎた

受注が増える好循環ということは営業活動に拍車が掛かるタイミングで、メンバー間で仕事に対する成果のギャップが生まれてしまっていました。中でも、佐藤は受注を決めきれない状況が続き、自身でも「会社の足を引っ張ってしまっていると自覚できた」というほどです。

迎え入れたはずの社員がワークしない。一方で、思うように成長曲線を描けず、資金もじりじりと目減りしていくことが見えてきた。じわじわと、“悪い気の流れ”がメンバーを包み込んでいきました。

航「空気を変えるという意味も込めて、オフィスを引っ越しすることにしました。ちょうどいい物件が六本木で見つかったんです。この『空気を変えるための引っ越し』はPR Table社の定番のようになっているかもしれません」

社員6名で手狭になったのも後押しになり、渋谷のオフィスに別れを告げ、PR Table社は12月に30坪ほどに増床して六本木オフィスへ移転しました。

菅原「六本木に移るぐらいから内装や照明の見え方を考え始めたんですよね。『見た目がカッコいいとモテるから』って航が言い始めたのを覚えてる(笑)」
航「そうだね。常にそこは大事にしているかな。やっぱり第一印象は大事だから」

移転によって空気を変えようとしたのと同じ頃、まさにPR Tableを取り巻くインターネット業界もひとつに潮目を迎えていました。医療系情報を扱うキュレーションメディアを発端に、情報の信頼性を問う声が急浮上。企業の情報発信についての姿勢が問われるようになったのです。

菅原「その頃ぐらいから『PR Tableはしっかりしている』と言われ始めたんです。ライターさんへの発注の仕方、書き起こしを担当してくれる方たちとの関わりなどを評価してもらうことが増えました。どうやら、ずっとクラウドソーシングで作っていると思われていたようで……。でも、僕らは初期の頃から、ライターやアシスタントの方たちと1対1で関係を作ってきました。口コミが効いて執筆希望者も増え始めましたね」
海「ただ、やっぱりちょっと背伸びして移転してしまったから、想像以上にキャッシュの減りも早くて。このままでは2017年6月頃にはキャッシュアウトする事態が見えてしまったんです」

時流に乗り、移転を経て、傍から見れば順調そうなPR Table社。しかし、資金面を含めれば、内情の苦しさは依然と残ったままで第2期を終えました。そして、会社としてさらなる成長痛を伴っていくことにもなるのでした。

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