「舞台裏」で踊り続けようーー。新卒からPR一筋、二児の母が選んだ次のステージ

前職のPR会社で、代表 大堀航と取締役 菅原の先輩だった寺川奈央。彼女は、PR Table 9人目のメンバーとしてジョインします。幼少期は、バレエ、ピアノ、という「表舞台」。社会人になってからは一転、PR会社という「裏方」にまわりました。彼女はなぜ広報の仕事を選び、その後ベンチャーに入社したのでしょうか?
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「表現で人の心を動かしたい」バレエを通して感じた想い

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▲バレエに目覚めた小学校1年生の頃

寺川 「舞台で踊っていると、時々お客さんの心の動きみたいなものが見える時があって。それって広報も同じで、自分の伝えたいことを伝えて、伝わって、心が動く。それが大きくなっていくと社会や世論が動く……。そういうのを感じられる仕事をしたいなって、大学のときに思ったんです」
2019年、PR Tableの「取締役直轄・特殊部隊員」として働いている寺川奈央は大学時代のある日を振り返りこう語ります。

「人の心を動かしたい」。そう思ったきっかけは、3歳から高校卒業まで続けていたバレエでした。

寺川 「最初は親に勧められてはじめたんですが、もうバレエが大好きになってしまって。辞めたいなんて少しも思わずに15年続けました。

舞台に上がる楽しさ、表現する難しさ、人の心の動かし方。バレエを通して本当にたくさんのことを感じ、学びましたね。その中で、あるオーディションを受けたんです。何回も受けたけど全然受からない。悔しくて、自分を否定されたようで、人生初めての挫折を味わいましたね」

表に出るって大変なことだ。そして、私にはそんな技術力がなかったんだ。そう感じた寺川は、高校時代で一旦区切りをつけ裏方に回ることを決意。舞台芸術の学科があるの大学に進学します。

寺川 「自分が舞台に立たなくても、何かで舞台に関わっていたいなって想いがやっぱりあって。だから、仕事に通じたりする、より身近なことを学べるところにと思って進学しました」

舞台のことを日々学んでいくうち、「日本をブロードウェイみたいにしたい」という想いが芽生えます。

海外では映画を観るように舞台を観る習慣があるのに、日本では舞台を観ることの敷居が高すぎる。生の舞台だからこそ味わえるあの高揚感をもっと多くの人に知ってもらいたい。そのためにはまず必要なこと、それが舞台の良さを“伝えること”でした。

朧気ながら見えてきた将来やりたいこと。そんなとき、偶然、大学の講義で出会ったのが「広報」でした。

寺川 「舞台のパンフレット見てても『広報』の担当の人がいる。なんだろう?これ?って。当時、父はまだ現役で広告代理店にいたので、広告なら近しいとこにいるんじゃないかと思ってきいてみたんですよね。『広報ってなに?』と。そしたら『え?広報のこと知っているのか?』って。ちょうどその時、広報の部署に異動したばかりだったらしくて(笑)。色々聞けたんですよ」
舞台の良さを伝える前に、まずは自分がした情報発信で人の心を動かせる仕事に就きたいーー。そうして、就職活動の時期がやってきます。

休職を乗り越えて、出会った「PRにアツい男の子」

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▲大堀と同部署時代(真ん中が寺川、その左隣が大堀航)
とはいえ、就職活動を始めたときは「広報一本」というわけではありませんでした。

寺川 「もちろん、広報も良かったんですけど、同じ伝えるという手段で最初に受けていたのはテレビの制作会社でした。自分がつくったものを、伝えることによって、世の中や人の心が動くという感覚をつかみたかったんです。

でも色々見て、考えた結果、この人と働きたい!と思う先輩がいたオズマピーアールにしました」

もし、寺川がオズマピーアールを選んでいなかったら、PR Tableにいなかったかもしれません。それは、ここオズマピーアールで、大堀航と海、菅原と出会うことになるから。
でもそれは、少しあとの話。

寺川 「1年目は学校の延長みたいな感覚だったし、何をしても初めてで楽しかったんですが、入社3年くらい経った頃に、自分の人生の中で最もキツイ時期がやってきたんです。

プロジェクト数十件回すみたいな感じで、目の回る忙しさ。終電で帰るのは当たり前。でも、子どもの頃からたくさん習い事をして、毎日それで埋まってるような生活をしてたので、忙しさは好きだった。そして、この大変さを『乗り越えてやろう!』という気持ちで頑張ってたら、プロジェクトリーダーになったり、一人で回せるような仕事がメインになってきたんです」

朝イチからアポで埋めたメディア回りも、人と会うのが好きだったから。どんなにキツくても自分の持っていった企画が記事になり、オンエアされる、それを通じて誰かが知り、行動や購買に繋がっていく感覚がモチベーションになった。

それは、やはり「人に何かを伝えたい」という想いが強かったからでした。

寺川 「それでも、一度休職しちゃったんですよね。十数件のお客さんを担当して、日中はメディアを回って、会社に帰ってきたら資料を作って。精神的にも肉体的にもきつくなっちゃって……。

1ヶ月くらいの期間だったんですけど、戻ってきたら部署が新体制になったんです。そこに大堀航もいたんですよね。

でも、出会いはその3年前くらい。会社に新聞や雑誌のバックナンバーが置いてあるメディアルームという部屋があったんですけど、そこに先輩から調べごとを仰せつかって、わからずに泣きそうになっている男の子がいたんです。

『これ、教えてください』って何か聞かれた記憶があるんですよね。その時は、分からないながらもすごい頑張ってる子だなと思った。それが、大学卒業できなくて、インターンとして入社してた大堀との出会いでした(笑)。

それから3年位経って、気づいたらめちゃくちゃ頼れる存在になってましたね」

大堀航の印象を寺川は「PRにアツい子」だったと振り返ります。

寺川 「なにやらせても成功させる。1いえば10返ってくる、完全に仕事ができる人の典型でしたね。イケてる先輩にはずっとくっついていたり、あっち行ってきます!こっち行ってきます!みたいな感じで、興味あるなしに関わらず、貪欲に仕事をする好奇心旺盛な印象。あとやっぱり、PRのこと好きでいつも考えているなって、当時から思ってました」

出産と退職。そして復職。そこで感じた仕事への疑問

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▲やんちゃな子どもたち

寺川 「そんな中、2011年の大震災が起きたんです。その時私は妊娠6ヶ月で。ほぼすべての仕事がキャンセルになりました。

私は、初めての妊娠、出産、育児を経験するのに、後悔したくなくて、もともと2011年の3月で退職する予定だったんです。でも、本当に辞めていいのか悩んだこともありましたが、この震災を経験して、明日何が起こるか分からないから、これでいいんだと思いました」
その後、無事出産し、専業主婦として子育てをしていました。今までの忙しさとは少し違う日々の中、ふと、こんなことを思います。

寺川 「専業主婦っていう、イチ生活者に戻ったとき『仕事をしてる時は、この気持ちって全く持っていなかったな』と気づいて。

そもそも、働いていた時はテレビや新聞を見て何か商品を買うとか、企業からのメッセージに心を動かされたりとか絶対なくて(笑)。世の中をすごく職業的に見てたなと思ったんです。仕事から離れたからこそ、感じることがたくさんあったんですよね」
1年半の「社会」から離れた生活――。もともと、子育てが落ち着いたら何かしたい。そう思っていた寺川はある決断をします。

寺川 「初めての子育てだし、仕事に専念したように子育てに集中したいと思って会社を辞めたものの、生活していく中で社会と繋がってないと、自分が衰退していくような、そんな気がしてきたんですよ。

社会との接点をいつの間にか求めてた。だから、2013年にオズマに戻ることにしたんです。働き方を少し変えて、時短として。そしたらいたんです、今度は背の高い人が(笑)」
ここで、出会ったのが取締役の菅原でした。

寺川 「第一印象は、『でかい弟』(笑)。今ほど頼れる感じではなくて、頭の回転が早いとは思ったんですけどね……。

ガッツリ一緒に仕事するというよりは、舞台好きっていう所も合ったから、同僚というより“お友達”みたいな感じでした。

そして、職場の仲間同士で時々遊びに行くときになぜかいたのが、大堀航の弟の海でした。この時点で3人にはすでに会っていたんですよね」
PR Table創業メンバーの3人に出会った寺川。仕事も順調に進んでいる中で、2人目の男の子を妊娠。しかし、トラブルが起こってしまいます。

寺川 「妊娠6ヶ月に入った時、切迫流産で、4ヶ月くらいご飯とトイレ以外は横になっていなくてはいけなくて。産休入る前から動けなくなってしまったんです。

無事出産できて復帰しようと思ったんですが、1人目で子育てに少し慣れたからか、2人目で余裕が出てきたからか、子どもふたりともが凄い愛おしくなっちゃって。できるだけ離れたくないなって思いはじめたんですよね。

男の子ふたりだし、いつか母という存在が邪魔になる時期がやってくるのも分かってる。それなら、子どもたちが私と一緒にいたいと思っているうちは、この子たちを中心に考えたいなって思ったんです」
子どもの近くにいたい。ライフステージが変わっていく中で、このままこの仕事でいいのか?と疑問を持つようになっていきました。

「PRにはアップデートが必要だ」共通の課題感が回した歯車

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▲2019年現在の寺川
寺川 「時短で働いていると、途中で誰かに仕事を任せて帰ることも多かったんです。中途半端な感じが、もう嫌で嫌で……。

あと、新卒からPR会社にずっといても、業界に革新的な変化や進化を感じられなかった。『この業界をいつかアップデートしなきゃ、PR会社もなくなっちゃうんじゃないか』と思うようになっちゃうんですよね。何十年もの間、少しずつの進化はあるにせよ、根本の考え方ややり方に変化はなくて。

いつの間にか、私の得意領域になってしまうくらい、とにかくメディアプロモートばかりの日々でした。新聞やTVに露出さてくださいという仕事を担当することが本当に多かったんです。

だから、もっともっと企業の中に潜んでる価値や情報を、ダイレクトに届いて欲しい人に届けたいとずっとモヤモヤしてたんですよね。

そんな時、大堀と菅原がPR Tableを立ち上げたと知って。掲載されているストーリーを読んでみたんです。そしたら、心の底からめちゃくちゃ共感しちゃって。何か手伝えることはないかって連絡してみたんです」

こうして、歯車が回り始めます。でも、当時PR Tableの社員数は7人。もちろん、資金に余裕はありません。

寺川 「できたてのベンチャーだから、『30代半ばのPRしかできない二児の母』は無理だろうなって思ったんですけど、『何か考えるね』って言ってくれて。

私の状況も考えてくれた上で、リモートでもいいよって言ってくれたんです。上の子がちょうど小学校に上がるタイミングだったので、リモートができれば、子どもを近くで感じながら仕事できるし中途半端で終わらない。そうして、正式に迎えてくれたんです。

子どもが家に帰ってくるときに『おかえり!』って言えることが、私にとっても、子どもにとっても嬉しかったし、みんなには本当に感謝しかありませんでした。やっぱりいい子たちだなーって(笑)」
当時を振り返り、取締役の菅原は「決して温情処置ではなかった」と話します。

菅原 「過去にリモートワークを許可して全然仕事をしてくれなかったという失敗もあったので、当時は色々考えましたね。でも、きちんとやり遂げてくれる人だってわかっていたから、信じることにしたんです。お互いに"約束"を守って、対等に仕事できればなって」
寺川 「だからこそ、私はPR Tableにいる女の子たちや、これから入ってくる女性に対してのモデルケースになれればなと思ってるんです。3人がつくった愛すべき会社なので、子どもが生まれて働きづらくて辞めていくとか、そういうのは嫌だから。きちんと道をつくっていけたらいいですよね」
表舞台から舞台裏へ。女性から母親へ。

さまざまな「ステージ」に立ってきた寺川は、PR Tableという舞台で挑戦を続けます。

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