誰よりもPRの可能性を信じているから、今日も会社のストーリーを作り続ける

PR Tableでは2015年11月にストーリーテリング・サービスを開始して以来、250本以上(2017年1月現在)のストーリーを作成してきました。現在その中心を担っているのは、共同創業者のひとりである菅原弘暁(すがはら・ひろあき)です。彼はこの事業にどんな可能性を感じ、PR Tableに参画したのでしょうか……?
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求められるまま、「自分の役割」を見つめていた幼少時代

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弘暁の「弘」は、当時父親が弘報(広報の同義語)の仕事をしていたことに由来します
「仕事はどうせ、死ぬまでの“暇つぶし”。こだわらずに就職しよう」――PR Table共同創業者のひとりである菅原弘暁のキャリアは、そんな何気ない考えからはじまりました。

なりたい職業やジャンルへの強いこだわりも、特別な承認欲求も、当時はあまり持っていなかった菅原。大学を卒業後、そこまで深く考えずにとある会社に就職しました。PRの仕事と出会う、ずっと前のことです。本人いわく、「何も考えていませんでしたね。とりあえず自分が何かの役を演じていられれば、大きな苦労もなく、楽しく生きていけるだろうな、と」。

役を演じる――3人兄弟の末っ子として生まれ、親戚づきあいも多かった彼は、幼い頃から周りの人たちを冷静に観察するクセがありました。その理由はひとつ。自分がどんな役割を求められているのか、それを知るためでした。

「たとえば、祖父母や叔母が末の孫に求めることといえば、とにかくよく食べて、ときどきワガママを言って……(笑) ものごころついた頃から、その場を成立させるためには自分がどう振る舞ったらいいのか、感覚でつかんでいましたね」(菅原)
その感覚を頼りに、大学卒業時まで求められる“役”を全うし続けてきた菅原。しかし新卒で入社した会社では、自分が誰かの役に立っている実感を得ることができませんでした。

「正直なところ、自分が手がけている仕事が何に役立っているのかはっきりイメージできず、楽しくなかったんです。その頃、僕の経験値が足りなかっただけかもしれませんけど」(菅原)
結局、最初の会社は1年で退職。とりあえず、何かアルバイトができるところはないかと菅原が相談した相手が、他でもない大堀海(PR Table代表取締役)でした。ふたりは中学・高校の同級生で、海の兄である大堀航(PR Table代表取締役社長)と菅原も旧知の仲だったのです。

そして「兄貴の会社で人を募集しているから、行ってみれば?」という海のひとことがきっかけとなり、菅原は2011年に株式会社オズマピーアールへ入社することになります。

このとき偶然出会った「PR」の仕事。それが彼のキャリアを大きく変えることになるとは、菅原自身も思っていませんでした。

「自分は、社会の仕組みを何も知らない」PRの世界で感じたジレンマ

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オズマピーアール在籍当時、社内コンペで優勝した時の写真
めぐりめぐって、大手PR会社の社員となった菅原。しかし特別に「PRの仕事」に対するこだわりがあったわけではありません。入社当初は、あくまで「楽しく暇をつぶせれば、それでいい」と考えていました。

自分が果たすべき役割も、すぐに見つかりました。同じフロアにいる40名超の内線番号を暗記し、とにかくオフィスにかかってきた電話は真っ先に自分が取る、メディアプロモートの電話を何百件も片っ端からかける……いわゆる「新人社員が担うべき役」を自ら察し、率先してひたすらやり続けたのです。

そうした姿勢が認められ、菅原は少しずつ大きな仕事を任されるようになります。「頑張ったぶんだけ成果につながる仕事」とすっかりPRに夢中になり、ひたすら先輩たちからノウハウを吸収しながら、がむしゃらに働く日々ーー。しかし入社して3年ほど経った頃、PRパーソンとして実力をつけると同時に、些細なことで疑問や違和感を抱くようになっていました。

「PR会社の人間としていろいろなクライアントの案件を担当するわけですが、その成果によってクライアント社内の誰がどんな風に喜んでいるのか、そもそもの社会やビジネスの仕組みを何も知らないことに気づいたんです。これまで業界を切り拓いてきた先輩たちならともかく、そのレールに便乗しているだけの自分がこんなに給料をもらっていていいのか、と感じるようになりました」(菅原)
さらに、PRの仕事のなかでも「出さない広報」といわれるリスクマネジメントや、企業で不祥事が発覚した際の謝罪対応などに立ち会った経験も、その気持ちに拍車をかけることになります。

「結局外部の人間だったから、どんなに頑張ってても最後は“他人事”になっちゃうんですよね。もちろんその方が気楽だし、そのまま外部のPRパーソンでいる道もありました。でも僕は、自ら事業に取り組む人たちの立場や責任の重さを、“当事者”として自身でもっと知りたいと思ったんです」(菅原)
軽い気持ちではじめたPRの仕事だけど、いつの間にか誰よりも真面目に考え、もっと深く知りたくなっているーー。「多感な思春期が、遅れてやってきた感じ」と本人は苦笑いして振り返りますが、当時の菅原は、そうした考えが日に日に強くなるのを止められませんでした。

2015年、菅原はオズマピーアールを退職し、共創プラットフォームを運営するベンチャー企業に参画。事業会社の一員として、PRやブランディングに取り組むことになったのです。

先にオズマピーアールを去っていた大堀航が、株式会社PR Tableを立ち上げたのも、ほぼ同じ時期のこと。菅原と大堀兄弟、共同創業者3人の進む道が交錯する瞬間は、もうすぐそこまで迫りつつありました。

ストーリーテリングに可能性を感じ、新たな“役”を選択

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もともと大堀兄弟と仲が良く、PRについてよく語り合っていた菅原は、ふたりから新しい事業の構想を聞いていました。しかし創業当初、PR TableがやろうとしていたのはPRパーソンのコミュニティ事業。それに対して菅原は、正直懐疑的な見方をしていたのです。自分が事業に参画するイメージも、まだ持っていませんでした。

「PRパーソンと、そうした人材を必要とする企業を直接マッチングする……確かに理想的な構想ではあります。でも、それをビジネスとして成立させるのは難しいだろうと思っていました」(菅原)
しかし、それから数ヶ月。菅原が事業会社側の立場でひと通りの経験を得ている間に、航は地道にさまざまなPRパーソンに声をかけ続け、その一人ひとりに直接会いにいき、コミュニティの基盤をつくっていました。結果としてそれはビジネスにはなりませんでしたが、そこで生まれた“場所”を軸として、新たな事業構想にたどり着くことになります。それこそが今、PR Tableのメイン事業となっているストーリーテリング・プラットフォームのサービスでした。

その事業の構想を聞いて、はじめて菅原の気持ちが動きます。

「ミスマッチのない社会をつくる」というPR Tableのビジョンは後から言語化されたものですが、彼はすでにその意義を強く感じていました。PR=プレスリリースやメディア露出というパブリシティではなく、PR本来の役割である、「パブリック・リレーションズ」の可能性も。

「頑張って価値を提供している人や企業には、ちゃんと報われてほしい。でも、それがなかなか実現されない原因のひとつが、お互いの理解不足によるミスマッチだと思っていて。それを解消するためにも、企業の姿勢や在り方をPRの視点からストーリー化し、それを多くの人に伝えることは効果的だし、社会的にも意義のあることなのではないかと考えました」(菅原)
そして航が試行錯誤して作成した、まだ荒削りなままのストーリー案を見たとき、彼はふと目の前にある新たな“役”の存在に気づいたのです。

「どちらかというと航は“感性の人”。ビジョンを描くのは得意だけど、それを言語化するのはまるで苦手で。そのモヤッとした考えを整理して言葉や形にしてあげるのは、PR会社で一緒に仕事をしていた頃から僕の役割だったんです」(菅原)
PR会社、そして事業会社で経験を積んできた今の自分なら、その“役”を引き受けられる――菅原は共同創業者のひとりとして、PRのためのストーリーを作成する編集者として、PR Tableに本格参加することを決めました。

PRパーソンにとってのブルーオーシャンを切り拓いていきたい

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2016年10月、イベント登壇時の写真
2016年9月現在、新たなサービスをローンチしてから10ヶ月。最初はたったひとりで編集を担当していた菅原も、クライアント、そしてライターや編集者など外部の仲間が増えていくうち、いつしかPR Tableの「編集長」と呼ばれるようになりました。

菅原は、これまでに200本以上のストーリー作成に携わり、50人以上の経営者と直接対話を重ねてきました。「こういう失敗をしてきた」「こうして乗り越えてきた」「このように考え方を変えてきた」……。インターネットで検索してもでてこない、“良質なインプット”が、菅原自身の成長、そしてPR Tableの経営に生かされています。

サービスを提供するうえで菅原が意識しているのは、その企業を「応援してもらうため」のストーリーづくり。それは彼自身が共同創業者として事業に参画したからこそ、強く必要性を感じていることでもありました。

あるとき、PR Tableに上場企業からストーリー作成代行の依頼が舞い込んだことがあります。取材対象はとても著名な経営者。先方の期待値が相当に上がっていたこともあり、サービスの今後を左右する取材になるのは容易に想像ができる状況でした。自分たちは、まだまだ吹けば飛ぶようなスタートアップ。菅原は「もし失敗して、悪い噂が流れたら会社がなくなるかもしれない」という大きなプレッシャーと戦っていたのです。

「結局、前の夜にほとんど眠れないまま取材先に向かいました。そのとき、たまたま僕らが尊敬している社長さんが通りがかって、わざわざ声をかけてくれたんです。PR Table見てますよ、応援してますから――と。そのおかげで心が軽くなって、力が湧いたんですよね」(菅原)
イチ企業にとって、自分たちを応援してくれる人の存在がどれだけ大切か。それは心情的なものだけではなく、商品やサービスを利用してくれるユーザー、事業を支えてくれる投資家、協力してくれる社員や関係者、あらゆるステークホルダーに当てはまることです。

その重要性を自ら実感したからこそ、菅原は今日もあらゆる企業さまと対話して、その企業さまが応援されるためのストーリーを生み出し続けています。さらに今後はこのサービスを通じて、PRに携わる編集者やライターをはじめ、多くのPRパーソンに活躍してほしい。そのように考えています。

「PRの概念も、その仕事に携わるPRパーソンも大好きなんです。(大堀)航と海、そして僕が創業前から持っていた共通のテーマは『PRパーソンにとってのブルーオーシャンを切り拓くこと』。パブリック・リレーションズは単なるパブリシティではなく、採用やIR、インターナルコミュニケーションなど、経営に直結する大事な役割を持っています。だからこそ、今後はもっともっと新しい領域に進んでいけると思っているんです」(菅原)
仕事は確かに、死ぬまでの“暇つぶし”かもしれない。それなら尚更、ちゃんと仕事を全うして社会の役に立った方が、何倍も楽しい人生を送れるんじゃないか。夢中になれるテーマと、信頼できる仲間、そして自分が果たせる役割があるなら、そこに全力投球すればいい――「PR」という舞台に出会い、菅原は今、そう考えています。

これからもPR Tableは、PRの可能性を信じて前進し続けていきます。その道のりで今後、菅原は一体どんな“役”を担っていくことになるのか……? 

それはこれから先の未来、さまざまに彩られることになるはずです。今はまだ見ぬ、新たな仲間たちとの出会いによって。

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