“嫌い”を“エモい”に変えて経済活性化ーー武器はヒト・モノ・会社に潜むストーリー

PR Tableは、ストーリーテリング事業を開始して以来、350本以上(2017年6月現在)のストーリーを製作してきました。その中心を担ってきたのは、共同創業者のひとりである菅原弘暁(すがはら・ひろあき)です。彼はこの事業にどんな可能性を感じ、PR Tableに参画したのでしょうか……?
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楽して生きるために、自分の“役”に徹してきた幼少〜青年時代

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▲弘暁の「弘」は、当時父親が弘報(広報の同義語)の仕事をしていたことに由来します
「仕事はどうせ、死ぬまでの“暇つぶし”。こだわらずに就職しよう」――PR Table共同創業者のひとりである菅原弘暁(現・取締役)のキャリアは、そんな甘ちょろい考えからはじまりました。

なりたい職業やジャンルへの強いこだわりも、特別な承認欲求も、当時はあまり持っていなかった菅原。大学を卒業後、そこまで深く考えずにとある会社に就職しました。PRの仕事と出会う、ずっと前のことです。

本人いわく、「何も考えていませんでした。とりあえず自分が何かの“役”を演じていられれば、大した苦労もなく、要領よく、そこそこ楽しく生きていけるだろう、と」。

“役”を演じる――1988年1月、3人兄弟の末っ子として生まれ、親戚づきあいも多かった彼は、幼い頃から周りの人たちを冷静に観察するクセがありました。その理由はひとつ。自分がどんな役割を求められているのか、それを知るためでした。

菅原 「たとえば、祖父母や叔母が末の孫に求めることといえば、とにかくよく食べて、ときどきワガママを言って……(笑) 。ものごころついた頃から、その場を成立させるためには自分がどんな“役”を演じたらいいのか、感覚でつかんで器用に生きていましたね」
その感覚を頼りに、大学卒業時まで求められる“役”をまっとうし続けてきた菅原。しかし新卒で入社した会社では、その充足感を得ることはできませんでした。

菅原 「正直、楽しくなかったんです。すぐ飽きちゃった。どんなに周りの人が良い人でも、“役”を演じるモチベーションが保つには、それなりに仕事の手応えは必要。ちゃんと就活しときゃよかったと少し後悔しましたね」

結局、最初の会社は1年で退職。とりあえず、何かアルバイトができるところはないかと菅原が相談した相手が、他でもない大堀海(PR Table代表取締役)でした。ふたりは中学・高校の同級生。そして海の兄である大堀航(PR Table代表取締役社長)と菅原も旧知の仲だったのです。

そして3人で麻雀をしながら、「くれば?」という航の無責任なススメで面談を受け、どういうわけか選考が進み、“狭き門”と言われていた株式会社オズマピーアールへと、うっかり入社することになります。2011年のことでした。

このとき偶然出会った「PR」の仕事。それが彼のキャリアを大きく変えることになるとは、菅原自身はもちろん、航や海も思っていませんでした。

「社会の仕組みを何も知らない」と、20代後半でようやく気づく

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▲オズマピーアール在籍当時、社内コンペで優勝したときの写真
めぐりめぐって、大手PR会社の社員となった菅原。しかし特別に「PR」に対するこだわりがあったわけではありません。入社当初は、あくまで「楽しく暇をつぶせれば、それでいい」と、相変わらず腑抜けた考えを持っていました。

自分がまっとうするべき“役”も、すぐに見つかりました。同じフロアにいる40名超の内線番号を暗記し、とにかくオフィスにかかってきた電話は真っ先に自分が取る、メディアプロモートの電話を何百件も片っ端からかける……いわゆる「新人社員が担うべき役」を自ら察し、率先してひたすらやり続けたのです。

そうした姿勢が認められ、菅原は少しずつ大きな仕事を任されるようになります。「頑張ったぶんだけ成果につながる仕事」とすっかりPRに夢中になり、ひたすら先輩たちからノウハウを吸収しながら、がむしゃらに働く日々ーー。

菅原 「我ながら単純だなとは思いますが、頑張れば褒められるし、褒められたらもっと頑張って仕事がデキるようになって、いつのまにかPRの仕事が好きになったんですよね。今思えば完全に、会社と上司の術中にはまってました(笑)」

しかし入社して3年ほど経った頃、PRパーソンとして実力をつけると同時に、些細なことで疑問や違和感を抱くようになっていました。

菅原 「PR会社としていろいろなクライアントの案件で成果を挙げたところで、そもそもの社会やビジネスの仕組みを何も知らないし、そもそもこれって何の意味があるんだろうって……。

これまで業界を切り拓いてきた先輩たちならともかく、そのレールに便乗して、ハムスターのようにカラカラ回っていただけの自分が、こんなにお給料をもらうのは恥ずかしいことなんじゃないかと感じるようになりました」

さらに、PRの仕事のなかでも「出さない広報」といわれるリスクマネジメントや、企業で不祥事が発覚した際の謝罪対応などに立ち会った経験も、その気持ちに拍車をかけることになります。

菅原 「結局外部の人間だったから、どんなに頑張ってても最後は“他人事”になっちゃうんですよね。もちろんその方が気楽だし、フリーランスでPRコンサルとかやってたら儲かりそう。でも、自分で組織や事業をつくる人たちの立場やPRの責任の重さを、“当事者”として知りたいと思ったんです。だって“他人事”ってダサいじゃないですか」

不真面目な気持ちではじめたPRの仕事だけど、いつの間にか誰よりも真面目に考え、もっと深く知りたくなっているーー。「多感な思春期が、遅れてやってきた感じ」と本人は苦笑いして振り返りますが、当時の菅原は、そうした考えが日に日に強くなるのを止められませんでした。

そして2015年、菅原は、親会社である博報堂に常駐していたにも関わらず、半ば強引ながらもオズマピーアールを円満退職。共創プラットフォームを運営するベンチャー企業に参画し、いつか自分が組織や事業の“当事者”になるための学びを得るため、事業会社の一員として、PRやブランディングに取り組むことになったのです。

ちなみに、先にオズマピーアールを去っていた大堀航が、株式会社PR Tableを立ち上げたのも、ほぼ同じ時期のこと。大堀兄弟と菅原、共同創業者3人の進む道が交錯する瞬間は、もうすぐそこまで迫りつつありました。

ストーリーテリングに可能性を感じ、新たな“役”を選択

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▲2016年3月当時のオフィス風景(渋谷)
もともと大堀兄弟と仲が良く、PRについてよく語り合っていた菅原は、ふたりから新しい事業の構想を聞いていました。

しかし創業当初、PR TableがやろうとしていたのはPRパーソンのコミュニティ事業。それに対して菅原は、正直懐疑的な見方をしていました。自分が事業に参画するイメージも、まだ持っていなかったのです。

菅原 「ビジネスモデルが云々とか、細かいことはよくわからなかったけど、あんまり楽しくなさそうと思いました。結局マージン商売で小銭稼ぎするんだったら、PR会社でいいじゃん、みたいな」

しかし、それから数ヶ月。菅原が事業会社側の立場でひと通りの経験を得ている間に、航は地道にさまざまなPRパーソンに声をかけ続け、その一人ひとりに直接会いにいき、コミュニティの基盤をつくっていました。

結果としてそれはビジネスにはなりませんでしたが、そこで生まれた“場所”を軸として、新たな事業構想にたどり着くことになります。それこそが今、PR Tableのメイン事業となっているストーリーテリングのサービスでした。

その事業の構想を聞いて、はじめて菅原の気持ちが動きます。

「ミスマッチのない社会をつくる」というPR Tableのビジョンは後から言語化されたものですが、彼はすでにその意義を強く感じていました。PR=プレスリリースやメディア露出というパブリシティではなく、PR本来の役割である、「パブリック・リレーションズ」の可能性も。

菅原 「ミスマッチって、企業にとっても個人にとっても不幸なんですよね。めちゃくちゃ邪魔。絶対ない方がいい。でも、どちらも全然本音を晒け出さないじゃないですか。そりゃミスマッチも起きますよね。

だったら、まずは企業の姿勢や在り方をストーリーとして伝えたらどうかと。社会的にも意義ありそうだし、メディア・リレーションズより本質的なPRな気がしたんですよね」

そして航が試行錯誤して作成した、まだ荒削りなままのストーリー案を見たとき、彼はふと目の前にある新たな“役”の存在に気づいたのです。

菅原 「航は、構想やビジョンっぽいものを描くのは得意だけど、それを言語化するのはまるでダメ。ストーリー案を見せてもらったとき、『このクソつまらない読み物は何だ! 事実の羅列になっていて、エモーショナルさが足りない』って言いました。そしたら『じゃあ作ってよ』って(笑)。

よくよく思い出したら、航のモヤッとした考えを整理して、言葉や形にするのは、オズマピーアールで一緒に仕事をしていた頃からやってあげてたなって」

どうやら航は、その“役”を必要としてるっぽい――菅原は共同創業者のひとりとして、PRのためのストーリーを製作する編集者として、PR Tableに両足どころか肩まで突っ込むことを決めました。

「会社嫌い」から「会社エモい」に変えたら、世の中がよくなる気がする

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▲2016年10月、イベント登壇時の写真
「航と海が苦手だから仕方なく、ひとりで頑張っていた」――最初はたったひとりで製作を担当していた菅原も、クライアント、そしてライターや編集者など外部の仲間が増えていくうち、いつしか「編集長」と呼ばれるように。そして2016年12月より取締役に就任しました。

菅原 「メディアのつもりはないから、『編集長』とかなんか違うし、そもそも恐れ多いし……。でも、それぐらいわかりやすい方がサービス売れるし、これも“役”のひとつだと言い聞かせてきました。そのうち役職ごと撤廃したいです」

菅原は、これまでに350本以上のストーリー製作に携わり、200人以上の経営者と取材を通じて対話を重ねてきました(※2017年6月時点)。「こういう失敗をしてきた」「こうして乗り越えてきた」「このように考え方を変えてきた」……。インターネットで検索してもでてこない、“生々しい学び”が、菅原自身の成長、そしてPR Tableの経営に生かされています。

菅原 「それでも、似たような失敗をしてきましたけどね。『ああ、これが教えてもらったやつか』って(笑)。以前は“当事者”になりたいと考えてましたが、こんなに辛いものなのかと思い知らされました。3人の共同創業で本当によかった。僕らは全員あまり頭が良いタイプじゃないので、ひとりで会社をはじめていたら、即死していたと思います」

PR Tableがサービスを提供するうえで大切にしている方針は、その企業を「応援してもらうため」のストーリーを作ること。それは菅原自身が共同創業者として事業に参画したからこそ、強く必要性を感じていることでもありました。

あるとき、PR Tableに上場企業からストーリー製作代行の依頼が舞い込んだことがあります。取材対象はとても著名な経営者。先方の期待値が相当に上がってしまっていたこともあり、サービスの今後を左右する取材になるのは容易に想像ができる状況でした。

自分たちは、まだまだ吹けば飛ぶようなスタートアップ。菅原は「クレジットカードの返済を迫られていた気分。もし失敗して、悪い噂が流れたら会社が死ぬかもしれない」という大きなプレッシャーと、ひとりで戦っていたのです。

菅原 「結局、前の夜にほとんど眠れないまま取材先に向かいました。そのとき、たまたま僕らが尊敬している社長さんが通りがかって、わざわざ声をかけてくれたんです。PR Table見てますよ、応援してますから――と。そのおかげで心が軽くなって、力が湧いたんですよね。

その出来事をきっかけに固まった『会社は応援されなきゃ死ぬ。そうさせないためのストーリーを作る』という考えを、取材先の社長さんにそのまま話したら、とても心を開いてくださって。本来1時間の予定だったところを、3〜4時間かけてなんでも話してくれたんです。で、最後に『お前らも死ぬなよ』って励ましてくれました(笑)」

イチ企業にとって、自分たちを応援してくれる人の存在がどれだけ大切か。それは心情的なものだけではなく、商品やサービスを利用してくれるユーザー、事業を支えてくれる投資家、協力してくれる社員や関係者、あらゆるステークホルダーに当てはまることです。

その重要性を、精神状態ギリギリのところで、自らが実感したからこそ、菅原は今日もあらゆる企業と対話し、その企業が応援されるためのストーリーを生み出せるよう、社内のメンバーに対して口酸っぱく伝え続けています。

それは、「ヒト・モノ・会社の“エモい”部分を惜しみなく顕在化させよう」ということ。それにより社員の共感を生み、それが社会からの共感に繋がるからです。

菅原 「社員からの共感なくして、社会からの共感はないーーこれは僕のPRの師匠からの教えのひとつです。そして社会からの共感により、従業員満足度はさらに向上します。

日本企業は、従業員満足度に対する意識があまり高くないと言われて、社会から注目されづらい中小・地方企業なら尚更その可能性が高まります。『会社ってたしかに嫌われてしまう節はあるけど、そんなに悪いもんじゃないよ。結構エモいんだよ』って伝わえることができたら、もっと多くの人が楽しく働けるし、人生も豊かになるんじゃないかと。

インターネットが発達したとはいえ、企業の情報発信にはまだまだ課題が多い。PR Tableでは、ストーリーテリングとPRの知見を武器に、日本全国の経済活性化を目指したいですね」

仕事は確かに、死ぬまでの“暇つぶし”かもしれない。でも、夢中になれるテーマと、信頼できる仲間、そして自分が果たせる“役”があるなら、仕事は最高に楽しい“暇つぶし”になる――「PR」という舞台に出会い、菅原は今、そう考えています。

これからも私たちは、PRとストーリーテリングの可能性を信じて前進し続けていきます。その道のりで今後、菅原は一体どんな“役”を担っていくことになるのか……?

菅原 「別になんでもいいし、選べるとも思ってません。取締“役”ってそういうものっぽいです(笑)。それに、僕にとってそこはあまり重要ではないです」

ーー何が起きてもおかしくなさそうだけど、たぶん大丈夫。PR Tableの未来は、きっと楽しいものになっているはずです。今はまだ見ぬ、新たな仲間たちとの出会いによって。

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