「誰かを好きになるのに、ロジックって必要ある?」凄腕エンジニアのROCKな生き方

「いつの間にか、自然な流れで一緒にいた」——人がともに何かを目指すとき、それ以上の理由は必要ないのかもしれません。PR Tableの開発業務を一手に引き受けている、エンジニアの芹沢孝広(せりざわ・たかひろ)。「何となくの直観」からはじまった出会いは、いつしかとても深いものになっていました。
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サービスもない、会社もない。それでも「一緒にやりたい」と思えた

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ときにはデジタルマーケティング企業のCTO。ときには、夜な夜な大勢の音楽好きが集まるロックバーのDJ。ときには2児の父親。またときには、ギターを片手に曲を奏でる熱いロッカー。そしてときには……PR Tableのシステムをひとりで支える凄腕エンジニア。

芹沢孝広とPR Tableとの出会いは、2014年の秋、六本木。——いや、そのときはまだ、「PR Table」というサービスも会社も存在していませんでした。

芹沢 「知人から『おもしろい若者がいる』と、航くん(PR Table代表取締役 大堀航)を紹介されたんだよね。そしたらなんか、さわやかな兄弟がやってきて(笑)」

当時はまだ事業会社に在籍していた大堀航と、自分で事業を手がけていた弟の海(PR Table 代表取締役)。

会社そのものはもちろん、のちに事業の中核となるストーリーテリングの“ス”の字すらなかった頃です。唯一あったのは、まだ何のカタチもない、航が頭の中で描いていた新しいPRサービスの世界観だけ。

芹沢 「仕事の話? いや、そのときは特に、開発を手伝うとか一緒に何かをやるとか、具体的な話にはならなかった。初対面だしね。でもそれをきっかけに、ちょくちょく飲んだりするようになって。
航くんとは、お互いのことを話してるとなんか楽しくて、一緒に飲んでてワクワクすることが多かったんだよね。そうしているうちに、いつの間にかPR Tableの立ち上げを手伝うことになってた。そんな感じかな」

人と人との出会いは、なんとも不思議です。そのとき、彼自身が新天地を求めていたわけでも、お互いビジネスライクに具体的な商談をしたわけでもない。でもそれは極めて自然に、流れるようにつながっていきました。

芹沢 「だって、面白そうだったから。航くんはいつも熱く夢を語っていたし、ポジティブだし、この人がやる事業なら一緒にやっていってもいいかなと、何となく。直感。
人と仲良くなったり、相手を好きになったりする理由に、ロジックって必要ある? たまたまいい出会いだった。僕は自分の直感を割と信頼してるんですよ。
歳とってきて、いろいろ考えるのがめんどくさくなってきたっていうのもあるけど。直感があたるような人生経験は積んで来れたんじゃないかな」

“正社員エンジニア”を目指した理由は、バンド活動を続けるため

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▲20代の頃の芹沢

そもそも芹沢がエンジニアへの道へ足を踏み入れたのも、“何となく”の直感がはじまりでした。

ときは1990年代半ば。インターネットの登場によって、プログラマやエンジニアという職業のニーズが一気に高まっていた時期です。

ただし、芹沢が上京してきた本当の理由は、「バンドやりたかったから」。激しいハードコア・パンクバンドのギタリスト。それが彼のひとつの顔でした。

芹沢 「音楽一本で食ってく気はなかった。そうすると大好きな音楽をキライになっちゃいそうだったから。でもバンドはずっと続けたくて、大学を卒業したあとも、仕事の融通をきかせるためにフリーターしてたんだよね。
でもライブが忙しくなって仕事に出られない日が増えてくると、給料は減るわけじゃん。バイトは時給だから。そんなとき、たまたま『正社員になると有給休暇というものがもらえるらしい』と聞きつけて、いいこと聞いた! と(笑)」

バンド活動を続けるために、たまたま選んだ正社員の仕事。当時はIT業界自体が未成熟で、エンジニアも未経験からスタートする人がほとんどでした。

芹沢 「はじめは何となく選んだけど、仕事は面白かった。曲作るのとプログラミングってクリエイティブな共通点があって、自然にのめり込んでいけた。それに僕は人付き合いが得意じゃないうえに、とにかくめんどくさがりでせっかちなんですよ。そういうところが、きっとエンジニアの仕事とマッチしたんだと思う」

正社員として開発の仕事をしながら、バンド活動に明け暮れる毎日。

日本のマニアックなレーベルからリリースされたアナログレコードは、アンダーグラウンドで海外へ。それを聴いたいろんな国の人からエアメールが何通も届いたり、それをきっかけに海外からレコードがリリースされたり、アメリカツアーに呼ばれたり……。

ただそんな充実した日々も、永遠に続くわけではありません。30代になると、彼が見る景色は少しずつ変わっていきました。

「技術を高めるだけじゃなく、何にコミットするか」エンジニアとしての哲学

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何かが起きて「バンドを解散しよう!」となったわけでもない。特に大きな心境の変化があったわけでもない。ものごとには、自然な流れで移り変わるタイミングがあるのかもしれません。

芹沢 「思惑通り有給休暇を有効に使って、毎週ライブしたり、海外ツアーしたり、レコード出したり、音楽活動は充実してた。でも32、3歳になった頃、そのときやっていた音楽活動がなんとなく面白くなくなってきちゃった。
10年以上も続けてるとね……。僕だけじゃなくて、バンドメンバーみんな。音楽そのものをやめる気はなかったし、今もやめてない。でも関わり方が、それまでとは変わりはじめたかな」

その一方、バンドのかたわらでずっと続けていた開発の仕事。芹沢は着実に、エンジニアとしての腕を磨いていました。

芹沢 「はじめに勤めたのが、大手銀行のシステムを作るところで。ほとんど未経験なのにバグ出したらエラいことになるから、みんな必死。まあ今思えば大変な環境だったけど、スキルはそこで身についたかも。ただし強制的にね」

基幹システム、組み込み系のシステム、大手企業の仕事からベンチャー企業まで……。さまざまな現場をわたり歩き、幅広い開発案件に関わって、知識や技術をアップグレードしていく。

ただ芹沢は、自分の技術を向上させることだけに興味はありませんでした。

芹沢 「プログラミングって、あくまでもひとつの手段でしかない。コードを書くこと自体や、技術を身につけるのが目的になっちゃ絶対ダメだよね。僕たちの仕事は、サービスやプロダクトの世界観を“カタチにする”ことであって、それがすべてだから」

いつの間にか芹沢は、そんな考えをもつようになっていました。

大事なのは最新の技術を追うことじゃなく、その会社のサービスやプロダクトにコミットすること。技術というものは、必要に応じてどんどん上がっていくのだから。

芹沢 「だから、はじめにPR Tableのサービス構想を聞いたときも、まずはその世界観が面白そう、という素直な気持ちがあって。じゃあそれを実現するために、僕が持ってるものは何かな、と。
ギターも弾けるし、酒も飲める。そしてプログラムも書けるよと(笑) 。たまたま僕がエンジニアで、開発の仕事ができた。だから協力した。ただそれだけのことかな」

空き時間のサポートから、ストーリーテリング事業への本格的な参画へ

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PR Tableが叶えたい世界観は、航がいつもお酒の席でアツく語っていました。とはいえ起業するのはもちろん、サービスを作るのも、システムをイチから構築するのも、彼らにとってはすべてがはじめてのこと。

航のフワッとした依頼を受け止めて、エンジニア視点から提言したり、ときには進行の不備を厳しく指摘したり、プロダクトが何ひとつないまま、大きなイベントに乗り込もうとする無謀なメンバーたちのために大急ぎでプロトタイプを開発したり……。

芹沢 「確かに、いろいろ未完成ではあったよ。でも外から彼らを見ていて、すごく勢いがあったから、なんか面白いことになりそうだと思って。それにものごとを進めていくリズム感やスピード感が僕とピッタリあってて、気持ちよかった。だから一緒に夢を語って、目指すものを叶えていけたらいいな、と」

2015年9月、主軸となるストーリーテリング事業がスタート。航はこの頃から、「芹沢さん、来年からはうちにフルコミットですね!(笑)」と、半分冗談、半分本気で口にするように。いつしかPR Tableにとっても、芹沢は欠かせないメンバーのひとりになっていました。

芹沢 「そう言ってもらえることが、むちゃくちゃうれしかったよね。その気持ちになんとかして応えたかった。それにサービスのユーザーもどんどん増えていたから、作り甲斐もすごくあって。自分が作ったシステムを使ってくれる人が増えていくことが、エンジニアとしては最高の喜びなんですよ。
でも責任ある立場にあった会社を辞めるわけにもいかず、どうしようかなと思ってた。あとね、バーもやりたかったんですよ、ロックバーを。で、ここで一発、“働き方改革”だなって(笑)」

2014年秋の出会いから2年。芹沢は2016年11月、新たに自身の会社を立ち上げました。より柔軟に動ける環境を整え、それまでに手がけていた仕事への影響を最小限に抑えながら、リソースの多くをPR Tableにあてられるようにしたのです。

芹沢 「僕はやっぱり、エンジニアだから。ビジョンを描くのは経営者の仕事。彼らを完全に信頼しているし、目指したい世界観も似ているから、そこに口を出す気はないんです。そのビジョンを道しるべにコンセプトを考え、もっと多くのユーザーに使ってもらえるようなプロダクトを生み出していくのが、僕の役割ですね」

2017年現在、PR Tableのメンバーは10名を数えるまでになりました。これからも、その数は増えていくでしょう。

いつの間にか、同じ夢を追う仲間になっていた——かつて芹沢が熱中したバンド活動と同じように、その中心にある熱量は増していくばかりです。

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