俳優になり損ねた元・読者モデル。芸能から「経営」に舞台を変えて見つけた勝ち筋

自分よりも能力の優れた人と対峙し、「アイツには敵わない」と悔しい気持ちを噛み締めた経験がある人も多いのではないでしょうか。しかしそこであきらめることなく、“ナンバーワンになれる舞台”を探し続けた男――PR Tableのもうひとりの代表取締役である大堀海の模索と挑戦は、10代の頃からはじまりました。
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ネガティブな少年時代から一変、読者モデルとして得た“モテ人生”

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▲大堀海、10年の変遷
容姿に自信のなかった少年が、一躍人気の読者モデルへ。しかし華やかな世界から一転、2度の就職活動で全敗し、結果的に24歳で起業、28歳で事業売却——。

10〜20代で、人生の大きな浮き沈みを経験した大堀海。その様はさながらジェットコースターのようでした。

大堀海(以下、海) 「中学までは、僕、チビでデブだったんですよ。それでいてちょっとネガティブ(笑)。全然大したことない怪我でスネて、部活もやめちゃったりして。もう勝てないならやってもしょうがない、みたいな。まあ、今思えばただのクソガキですよね」

しかし高校に入学する2003年前後から、海は急激な成長期に突入。一気に背が伸びて、見違えるほど体型が変わりました。その後おしゃれに目覚めて原宿デビューするところから、その人生が大きく動きはじめます。

海 「原宿で、美容師さんから『カットモデルやらない?』と誘われて。おもしろそうだなと一度それを受けたら、次々と他の人からも声をかけてもらうようになった。で、いつの間にか気づいたら、読者モデルになっていた感じ。正直なところ全部なりゆきで、自発性はゼロだったんですけどね」

自分がやりたいこと、「これだ!」と夢中になれるものに、ずっと出会えずにいた。そんな海にとって、モデルとして垣間見る世界は新鮮でした。美容、アパレルの関係者や雑誌編集者などたくさんの大人たちが関わり、ビジネスがうごめいていて、そこでは学校とはまるで違う経験ができたから。

そして、もうひとつ。海が目覚めたのは、「目立つこと」「注目を集めること」の楽しさでした。

海 「それまでの反動もあったでしょうね。ずっと太ってたから。自分が被写体になること自体が、楽しかった。超モテるようになったし(笑)。 読者モデルの仕事をするうちに、だんだん“見られる側”の仕事を目指してみようかなと、ぼんやり考えるようになりました」

「俺はこの舞台では勝てない」目指した俳優への道をあきらめる

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モデルとしての活動を続け、大学生になった海が志すようになったのは、俳優への道。とくに一瞬で自分をリセットして役ごとにキャラクターを切り替える、高度な演技のテクニックをもった人に憧れました。

しかし芸能の世界は、やはりそうそう甘くはありません。

海 「正直、読者モデルで周りからチヤホヤされていただけの僕みたいなのと、本当に自分の実力を磨いてきた俳優さんたちと、その差を痛感させられるばかりで。
プロダクションの面談に行っても、『お前ほんとうにやる気あるのか!』と、かなり厳しいこと言われました。悔しかったけど、自分でも今後どうなりたいのか、実はよくわかってなかったです」

一方その頃、大学の友人たちは、一斉にいそいそと就職活動に乗り出しはじめていました。

どこかの会社に就職するモチベーションなんて、全然ない。でも俳優への道もなかなか開けない。海はそのまま結局ずるずると、数社だけ採用試験を受けることに。結果は当然、全社不採用。

すべての会社に落とされたとき、海はある決断をしました。もうやるならどちらかハッキリしよう。本気で俳優を目指すのか、それとも気合いを入れて就活するのか——。

海 「どちらを選ぶにしろ、やっぱり、やるからには勝ちたかった。どうせならナンバーワンを勝ち取りたい。だけどもう、俳優として月9に出るのはムリだろうなと思って。

大きな芸能事務所から声をかけてもらったりもしましたけど、ちょうど向井理さんが売れだしたり、ブレイク前の水嶋ヒロさんがいたり……。そういう人たちを横目で見ていて、俺、ここでは勝てないなと悟ったんです」

最終的に海が選んだのは、「就職活動をもう1回やる」こと。それはちょっとほろ苦い、20代の幕開けになりました。しかし彼の受難は、そのあとも続くのです。

2度目の就職活動も、“サイボーグ”を演じきれず全戦全敗

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▲創業者3人で同じ家に住んでいた頃

就職浪人することにした海は、インターンで仕事の感覚をつかみ、自分が勝てる座組を徹底的に追いかけはじめます。そしていつしか、“就活サイボーグ”と化していきました。

しかし大手企業にエントリーして最終面接まではこぎつけるものの、片っ端から落とされるばかり。決意して挑んだ2度目の就職活動も、全戦全敗。

海 「自分が勝手に『就職する!』と決めただけで、心からその仕事を本当にやりたいとは思っていないわけですよ。それが企業の経営者にはバレてたんでしょうね。そう考えると、役者、向いてなかったのかもしれないですね。優秀な就活生を演じきれなかった」

結局、海は知人のツテで小さなプロモーション会社に入社。ただひとつ幸いだったのは、読者モデル時代に築いた人脈とコネクションが、すでにかなりあったこと。そのつながりを生かして、彼はすぐに自分で事業をはじめることになります。24歳、2012年のことでした。

読者モデルの派遣、マスメディアへのパブリシティ。求められるままに、かつて自分が身を置いていた業界から仕事を受ける日々……。

海 「とにかくそのときも、自分が勝てる舞台を探してました。どんなことでもいい、自分の爪痕を残したかった」

くしくもちょうどその頃、3歳年上の兄である大堀航(PR Table代表取締役)や、中学時代からの親友だった菅原弘暁(同 取締役)も、PR業界で働いていました。海はときどき、ふたりと仕事を共にするようになります。

そんな3人が同じく胸の内に抱えていたのが、自分たちが関わっていた仕事に対する、どこか煮え切らない思い。

海 「当時は、もうすでにできあがった商流に乗っているだけというか……。いつか自分たちの手で、社会にとって本当に価値があるイケてる事業をやりたいと、ずっと思ってました」

先陣をきったのは、兄の航でした。2014年12月、PR Tableの誕生。そのときには海はすでに、「これからは、ふたりと一緒に事業をやっていく」という決意を固めていました。自分ひとりでは自信がなくても、3人集まったらなんとかなるんじゃないか、と。

海 「兄のことは、子どもの頃からずっと尊敬していたんですよ。いいヤツだし、人と仲良くなって巻き込むのもうまかった。航が描いていた事業のイメージも、イケてると思ってました。
でもそれだけじゃ当然、事業ってうまくいかないじゃないですか。その点、いい意味での頑固さというか、ブルドーザーのようにものごとを進める強さを持っていたのが菅原で(笑)。

周りの人には『そんなの上手くいかないからやめろ』と言われたりもしましたよ。でも僕は、ふたりを信頼してたので。自分にとってこの先の勝ち筋があるとしたら、これしかないと思ったんですよね」

「今度こそ絶対に勝つ」。本当に価値のあることを、顧客と社会に提供しているから

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2015年12月、海は自身が立ち上げた会社を売却し、正式にPR Tableに合流。ここに、PR Tableの創業メンバー3人が揃いました。ちょうど、今のSaaS事業の原型となるストーリーテリング事業を立ち上げたばかりの時期です。

海が「自分にはないものを持っている」と信頼していたふたりでしたが……どうにか大海原に小さなボートで漕ぎ出しかけてはいたものの、会社として、事業としての課題はあれもこれも山積み状態。

海「なかなかどうして、ヤバかったときもありましたね。当初は本当に事業計画が甘くて、何度も資金が尽きかけました。ふたりとも、『やりたい!』と盛り上がると、採算を考えずに飛び込んでいっちゃうんですよ(笑)」

そんな状況を目の当たりにした海は、唯一の経営経験者として、これまでさまざまな環境で培ってきたビジネスのバランス感覚を発揮。事業全体を俯瞰して、その瞬間に足りないこと、航や菅原がポロポロと落とすボールをとにかく片っ端から拾い上げ、一つひとつの問題に対して次々と手を打っていったのです。

まずはストーリー製作が円滑に回るようにするため、バックオフィス業務を整備。アシスタントサービスと連携し、アウトソーシングの仕組みを構築。さらに財務状況を正確に把握し、経理・会計の仕組みをきちんと整えました。

加えて、資金調達のための業務を一手に引き受け、それが完了したら、自ら営業活動に取り組んで事業成長にコミットする——。

創業メンバー3人のなんともいえないバランスが功を奏したのか、PR Tableはなんとか今も会社を存続させることができ、多くの仲間を集めることができました。

さまざまな壁に突き当たることもある。でも海は、この事業の可能性を確信しています。顧客に対しても社会に対しても、「本当に価値のあること」を提供できると考えているから。だからこそ、PR Tableの企業価値はもっと高めることができるはず。それが、いまの彼にとっての “勝利”です。

海 「やっぱり『勝ちたい』という気持ちが、子どもの頃からずーっとあるんですよね。どんなにすばらしいことをやっていても、会社が成長しなかったら“負け”じゃないですか。ダラダラ続けていても僕らにとっては意味がないんです」

子どもの頃から探し続け、ついに見つけた“勝負のステージ”。大堀海は今日も、PR Tableの事業拡大に挑み続けています。「今度こそ絶対に勝つ」という、強い意思で。

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