起業の理由に「ビジョン」は関係ないーー人と違うポジションにいる心地よさが原動力

どう立ち振る舞えばカッコいいのか、人と違うポジションをとるおいしさを覚えたのは、小学生のときでした。そして、もっとも可能性を感じた “ポジション” はPR=Public Relations。仲間と共に、代表取締役・大堀航が株式会社PR Tableを起業するまでのストーリーに迫ります。
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「人と違うポジションをとるおいしさ」を覚えた小学生時代

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▲小学生時代の大堀航(写真・右)、海(写真・左)

神奈川県逗子市に生まれた大堀航。母によれば、やんちゃもせず真面目で、全然手のかからない子どもでした。小学校ではバスケットボールに夢中に。チームを率いるリーダーとして、輪の中心になることが多く、よくほめられる存在でした。

そして、中学受験をし、第一志望の学校に入学。学年1位の成績をおさめ、バスケ部ではキャプテンになります。

航 「応用力はないんですが、記憶力はあるので、勉強すると学年 1位とか取れちゃって。イケイケな感じでしたね(笑)」

そんな航に、最初の変化が訪れたのは、中学3年生の頃……。

航 「男子校だったんですが、他校の彼女ができたんですよ。その頃から、だんだん勉強も部活もしなくなり、高校も遊びのほうにいってしまって(笑)」

みんなが東大早慶を目指すような進学校のなかで、遊びに夢中な航の存在は、ちょっとはずれ者のようでした。

航 「でも、そういう自分の立ち位置が、気持ちよかったんですよね。実は小学校のときに 1回転校しているんですけど、ほかの学校にいたっていう、人と違う “ポジション ” になるだけで、すごく心地よかったんです。途中から入った “はずれ者 ” 感が。
それに当時の夢は考古学者だったんです。歴史が好きだったからなんですが、卒業文集にも書いていて。それを書いたってことはやっぱり当時から、なんか人と違う感じを出したいと思っていたんでしょうね。今もそうですけど、競争するのではなくて、“人と違うところにいよう ”っていうのは必ず考えています」

結局高校は、勉強をせず、最後の逃げの一手として、指定校推薦で大学へ。そんな航少年は、当然のように大学にはほとんど顔を出さず、アルバイトに明け暮れていきます。ときにはあえて人が選ばないような、クラブや夜の世界で働くことも......。

航 「自分と知らない世界の人たちと仲良くするのは、好きというか楽しいんですよね(笑)。
コミュニティのヒエラルキーのなかで、トップの人と仲良くなるには、そこに所属していてはダメで。別のコミュニティでポジションをとり、そこから攻めていくからこそ、仲良くなりたいトップの人たちと短い時間で仲良くなれるんです」

アルバイトに明け暮れる毎日のなかでも、自分なりの “術” を身につけていきました。

そして気づけば、周囲は就職活動の時期に……。小学生時代にポジションをとるおいしさを覚えた航少年が選んだのは、ここでもやはり、人とは違う選択、イギリスへの留学でした。そして、思いもよらないところから「PR」との出会いがやってきたのです。

PRを選んだ理由は「まだそんなに知られていないから」

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▲オズマピーアール在籍時の航

イギリス留学、友だちとの出会いで、航の運命はどんどん加速していきます……。

航 「留学で知り合ったスイス人の友だちと、デザインのイベントに出店したんです。そこで、人に知ってもらうには広報活動とかが必要なのかなと思って、手に取った本で PR = Public Relations(以下、 PR)の存在を知ったんです。
当時みんなそんなにまだ知らないけど、きっとこれから必要そうな、『 PR』っていう領域を選んでおいたほうがいいかも、みたいな。このきっかけもまた、ポジショニングでしたね(笑)」

帰国した航は、早速、PR会社である株式会社オズマピーアールでアルバイトをすることに。その後、就職活動をするまでに何社か内定を獲得しましたが、そのままオズマピーアールに入社する道を選びました。

航 「オズマピーアール時代は、毎日学園祭みたいなノリで、ホントに楽しかったんです。楽しすぎて気づいたら 2時とか 3時まで仕事をしていることもありました(笑)。
PRを極めようと思って、 PRに関する本もたくさん読みましたし、『 PRってなんですか?』って会議で先輩に聞いたりもしましたね。
ただ、仕事の経験を重ねていくと、本に書いてある話と実際の仕事の乖離じゃないですけど、『 PR会社ってもっとできるでしょ、いろいろやっていいでしょ』って思うようになったんです」

そして、思わぬところから、次の転機がやってきました。社内でビジネスコンテストが開催されることに……。それは、優勝したら子会社の社長になれるというものでした。

航 「自社事業を絶対につくったほうがいいと思っていたので、エントリーして、本気でプレゼンをしましたね。そうしたら、不確実性が高いからか、めちゃくちゃ怒られたんですよ。僕も『いやいや、こういうのを提案する会社じゃないんですか!』って熱が入ってしまって......。
『このままではきっと若手社員は本当に絶望してしまう。受託ばかりで、夢も希望も持てない! 僕はこの事業をやれば、会社がより元気になると思います! 』って言ったんです。いま考えると生意気ですよね(笑)」

エントリーしていたのは、航を合わせて合計3名。ほかは皆、先輩たちでした。でも、もっとも自分の想いをぶつけた発言がよかったのか、優勝の切符を掴みます。新たな幕開けーーかと思いきや、プロジェクトは予想外の展開へ。

航 「このプレゼンの後すぐに、オズマピーアールが博報堂グループ入りしたんです。当時の若い僕が社長になるのは、コンプライアンス的に厳しくて......。その代わり、社内で事業をやってもいいぞと言われました」

アプリをつくりたかった航は、世界のPRはどうなっているのか、視察のために世界最大級の広告賞、カンヌライオンズへ行きました。博報堂から出向してきたオズマピーアール副社長(当時)の遠藤祐さんに、PR業界をけん引する大先輩たちとの現地での飲み会をセッティングしてもらいます。

航 「そこには、博報堂ケトルの嶋浩一郎さん、電通 PRの井口理さん、ベクトルの吉柳さおりさんなど、今でも良くしてくださる大先輩方がいらっしゃいました。若手の僕が生意気なことを言ったりして。イキってましたよね(笑)」

念願の事業を始めたのも束の間、一時休息を経て、起業の道へ

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▲レアジョブ在籍時にはIPOも経験した

カンヌライオンズと、大先輩たちからたくさんの刺激を受けた航。それはもう水を得た魚のようでした。

航 「カンヌでは、受賞したプロジェクトの発表を見るだけじゃなくて、いろんな企業の方にお会いして、話を聞きました。
帰国して、アプリに関して得た知識を生かして、いろいろ動いて、進めたけど、お客さんに提案する商材をつくるまでにはいかなかったんです。まったく売れないし、どうしようって。そうしているうちに、目標数値のために普通に案件をこなさざるを得なくなったんです......」

PR会社が生き残っていくための宿命でもある目標数値。それを達成するためには、多くのお客さんの広報代行をする必要があります。担当していたある案件で、航は業界構造そのものに悩みを感じはじめます。

航 「とある案件で『自分がしているこの仕事は、社会にとって本当に意味があるのかな?』って悩んだんです。
会社の売り上げには貢献できる。でも、競合と比較してメディア露出量が多いかとか、露出内容がどう良かったかとか、そういうことに意味を見出せなくなってしまった。僕ひとりが担当だったので、余計にきちゃって……」

やりたいことはある。でももう、頑張れない。休みたい……。体と共に、心も下向きになっていきました。

こうして航は、当時一緒に仕事をしていた後輩であり現PR Table取締役の菅原弘暁と周りの同僚に、残りの仕事を丸投げして、約2カ月休職することになります。ジムとヨガに通いながら、体を鍛えて過ごしました。

少しの休息を経て、新たに芽生えてきたのは、“事業会社側でPRをもっと追求したい”という志。そして、オズマピーアールを離れることを決意しました。

そして、当時正社員が約30人くらいだったベンチャー企業・株式会社レアジョブに転職し、社長直下で広報チームの立ち上げに関わります。

航 「レアジョブでは広報だけじゃなくいろんな仕事に首をつっこみました。広報マネージャーとしては、上場の経験ができたのも大きかったですね」

そのとき航は、実の弟で、PR Tableのもうひとりの代表取締役、大堀海と一緒に住んでいました。オズマピーアール時代に後輩だった菅原は、海の中学高校の同級生。頻繁に遊びに来る間柄で、後に一緒に住むことにもなります。

そして、3人でPRについて語り合う日々ーー。この関係性のなかから、PR Tableの原点が生まれていったのです。

航 「 3人でブログをつくったんです。 PRパーソン向けに、広報業務のリアルを 1年間くらい発信しつづけました。その後、自分で事業をつくってみたいと思ったんですよね。
そして、会社登記しようと思ったときに、僕はお金がなかったので、弟に出してもらって(笑)。ちょうど菅原は仕事を辞めようかなと言っていたので、それなら『ちょっとこれやってよ』って声をかけた感じで。
僕は友だちが少なくてほかに誘える人もいなかったから、結局、いつも一緒にいた海や菅原と一緒にやることになったんです(笑)」

こうして、理解ある仲間に囲まれて、ついにPR Tableを起業することに。航はここから、また新たな“ポジション”を模索しはじめます。

圧倒的にキラキラした「モノ」をつくる。そうすればポジションはとれる

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▲2019年現在の航

立ち上げ当初は、航は菅原を「編集長」という “売りもの” に仕立てあげ、海を営業とし、3人でがむしゃらに仕事をしました。

航 「前職時代からそうでしたけど、仕事は “楽しくやる” っていうことを何より大事にしています。
いろんなことが日々あって、『あーもう、あれヤバいね、これキツいね』って仲間と笑いながら、一つひとつクリアしていく。経験がないことであっても、新しい知識を吸収できることを楽しむっていうスタイルでやっていましたね」

本格的に事業が立ち上がったと思えたのは、実は2018年の夏のこと。月額4万円で設定していた利用料を、月額10万円に変更したタイミングでした。

そして、2018年11月に実施したPR3.0 カンファレンスを終えて、徐々にPR業界での風向きが変わってきているのを感じています。ようやくベンチャーキャピタルの方々も「PRって市場大きいよね」という感じに言ってくれるようにもなりました。

航 「みんなでモノをつくっていく会社にしたい。圧倒的にキラキラしたものを。言うだけじゃなくて、モノを見ないと人は動かないですから」

多くのPR会社が課題解決のコンサルティングをするなかで、PR Tableは、“わが社を表現する” 製品をつくる。あくまで、モノをつくる会社で、PR会社ではない。

だからこそ、コンサルタントだけでなく、エンジニア、セールス、マーケティング、カスタマーサクセス、コーポレートなど、いろんな職種の人たちと一緒に働いていきます。

そして、カンヌで出会ってから憧れつづけた、嶋さんをはじめとする大先輩たちとはまた違うポジションに近づけていることを実感しています。

航 「本当に、やっとですよ、ちゃんとお話できるようになったのは。 PR3.0カンファレンスの最終セッションで、菅原が、広島市立大学教授の河炅珍先生と嶋さんと未来の PRについて話している場を見て、『これはすごいイケてるな』と思いましたよね。うちの会社、キラキラしてるなって。
僕にとっては、 PRもあくまでポジショニングのひとつなんです。
でも、僕らは変にパッケージ化して PRを押し付けるのではなくて、ちゃんと伝えていきたい。責任感を持っています。 PR会社以上に、僕らは PRのことを深掘りしているし、外にも啓発している。
しかも、コンサルティング業で稼ぐのではなく、モノづくりをしているんです。そんな会社、ほかにはないんじゃないですか」

さらに、これからの未来を語ります。

航 「個人的には、 FinTechやヘルスケア、 AR・VRのように、 Public Relationsを "投資領域 " にした第一人者になりたいんです。だから業界の先輩方のアプローチとはズラしたやり方をする必要がある。すべてはそのための布石です」

時間をかけてでも、誰もやったことのないことを成し遂げる「唯一無二の存在」になるーー。それが大人になった航のPR Tableを通じたポジショニングなのです。

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