アカデミアと社会を自由に行き来できるキャリアパス——研究者の私がアカリクで創る未来

中川小耶加には中学生の頃から、研究者になるという夢がありました。彼女はアカデミアに残るか就職するかの一方に絞るのではなく、そのどちらも実現させるという生き方を選びました。「それぞれが自分を構成する大切な要素だから」と彼女は言います。そんな彼女がなぜ今、株式会社アカリクにいるのか、お話ししていきましょう。
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リーマンショックで米国留学計画が白紙に。支えになった恩師の一言

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▲「将来はヒトの心がわかる研究者になる」と中学時代に決意した中川

中学生の時、偶然観たあるテレビ番組がきっかけで、心理学に興味を抱いた中川。その番組は、泥団子の表面をピカピカに磨くことに夢中になる子どもについて、発達心理学の観点から紹介、解説するもの。子どもはその作業を通じて集中力や社会性を獲得するのだと言います。


それを見た中川はすぐ「私は将来、ヒトの心がわかる研究者になる」と決めて、将来のプランを立てはじめました。

日常の中にある「ヒトはなぜそういう行動を起こすのだろう」というちょっとした疑問が、中川の探究心の原動力でした。大学時代は研究に没頭し、日本の修士課程に進学。研究は楽しく、心理学の知見をさらに広げたいと、修士課程を終えた後は、アメリカの大学院で博士課程に進もうと決めていた中川。

中川 「興味があった心理学の研究は日本より海外の方が進んでいるので、英語に力を入れて、海外留学も視野に入れながら勉強しました。そして希望通り心理学を学べる大学と大学院に進学することができました」

渡米の準備を進める彼女のもとに、思わぬ知らせが届きます。リーマンショックのため、予定していたアメリカのホームステイ先の受け入れが難しくなってしまったというのです。アメリカで研究を続けるという計画はいったん白紙に……。そのことを担当教官に伝えると、意外な言葉が返ってきました。

中川 「『もしこの先ずっと研究を続けていきたいのなら、外の世界を見た方がいい』と言われたんです。このままアカデミックの世界に残っても、視野が狭くなってしまう、と。アンテナを広く張るためには、世の中を知ることが必要だと教わったんです。ずっとアカデミアにいた先生だからこその言葉ですね。自分もこうすれば良かったという観点からアドバイスをくださったんだと思います」

この言葉をきっかけに、中川は博士課程への進学から一転、就職活動を行なうことになります。

「目の前が真っ暗に」手術を機に再び動き出した、博士課程への進学

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▲博士課程のとき、学会に参加するために訪れたアムステルダムにて

就職活動の結果、中川は金融業界へ足を踏み入れることになります。

中川 「ヒト・モノ(情報)・カネといった経営資源の知識を付けたいと思いました。それまでは、大学院の研究室というヒト・情報に関わるところに身を置いていたわけですが、カネに関しては知識が乏しいなと思っていて、それで金融業界を選びました」

ところが、社会人生活を続けて2年が経った頃、中川にとって、これからの人生を考え直すきっかけとなる出来事が起こります。

中川 「大きな病気にかかりました。すぐに手術が必要な状態で。それまで思い描いていた自分の人生のプランが音を立てて崩れていくようでした。『これからどうやって生きていけばいいのだろう、生きている意味があるんだろうか』というところまでひたすら考えました」

そして彼女が選んだのは、修士課程を出て就職を選んだ時からずっと自分のそばに置いていた「博士課程に進む」という選択肢です。「いずれはアカデミアに戻りたい」そんな想いを抱いていた中川は、就職後も学部や修士時代の仲間と交流を続けるなどして、研究に関する知識のブラッシュアップをしていたのです。

中川 「働きながらも、いつアカデミアに戻ろうか時期を伺っていました。でも、なかなか踏ん切りがつかなかったんです。海外では働いてお金を貯めて大学に戻るのは、特別なことではありません。でも、日本ではそういう事例はあまりなく、大学院に戻ったら戻ったで『会社で何かあったのか』『働くのが嫌になったのか』と思われてしまうと感じていました」

手術を機に中川は、ついに博士課程に進むことを決意。社会人を経て博士課程の道へ進むことに対して理解がある教授との出会いもあり、晴れてアカデミアの世界に戻ることができました。

アカリクとの偶然の出会い「もっと人生をおもしろくしたい」

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▲博士課程の時、学会での口頭発表にて

一回り近くも違う年齢の学部生や様々なバックグラウンドをもつ院生と一緒に研究をする日々は、中川にとって刺激的で毎日が勉強と発見の連続でした。

中川 「学会に参加すると大手企業から『一緒に研究しましょう』と声をかけられることもありました。ヒトと最先端の技術・情報が集まる場所に自分の身を置くと、これがやりたかったんだと実感しました。ひたすら研究が楽しくて、楽しくて」

水を得た魚のように活き活きと研究を続けていた中川でしたが、博士課程3年の春に博士号取得後の将来について指導教員と語らう機会がありました。

中川 「このままアカデミアに残るのもどうなんだろうと思うと、先生に言いました。先生からは『あなたはそういうタイプだよね』と言われました。博士号を取得しても、企業でやりたい研究を続けることはできる。しかし、自分の想いとは違うカタチで世に出ていくことがあるのが現状で……。自分の想いがのせられる研究。そんな研究ができる人生は本当におもしろいのではないかと思いました」

おもしろきこともなき世におもしろく、すみなすものは心なりけり——。上の句は幕末の風雲児、高杉晋作の辞世の句、そして高杉を援助していた歌人・野村望東尼が下の句を付け加えたものです。自分の人生をおもしろくするもしないも、自分次第だと詠うこの句がモットーの中川は、今よりももっとおもしろい人生にするために、もう一度社会へ戻ろうと就職活動をはじめます。

そんな中ふと目に入ったのが、アカリクが運営する院生のための就活情報サイト「アカリクWEB」のチラシでした。いつもは捨てるはずの研究室に届くチラシ。たまたまホワイトボードに貼ってあり、「院生には院生の就活がある」というキャッチコピーに目を奪われました。

中川は「自身のアカデミアと民間企業を行き来したキャリアが、アカリクでなら活かせるのではないかと」思い立ちます。まさにそれまで彼女が経験してきたものすべて、点と点がつながったような感覚でした。

最終的に、中川はアカリクを含めた3社から内定を獲得。ところが、研究のために修了時期を半年延ばさなくてはならなくなりました。

中川 「アカリク以外の2社の人事担当者には、断られたんですよ。『働かないという選択をすることは、社会の負け組になるということだ』というようなことも言われました。もう、悔しくて、悔しくて。
ところが、アカリクに辞退を告げると、理由を聞かれたので正直に話しました。すると、取締役の井上にこう告げられたんです。『待つよ』と。
ただ、半年経って学位が取れない可能性も十分ありました。そのことも話すと、『半年待って、それでもダメだったらその時に一緒に考えようよ』と言ってもらったんです」

こうして2016年秋、中川はアカリクに入社します。

大学院生に「もっと自由なキャリアの選択肢」があることを広めていきたい

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▲大学院生のキャリアを広げるためのサポートに日々取り組む

2018年4月現在、中川は、WEBサービスの営業に従事しながら、大学院に籍をおき、研究者として論文執筆なども行なっています。そう、彼女は「会社員であり研究者」なのです。

中川 「会社に属して働きながら論文を書いているという話をすると、両立が大変ではないのかとよく聞かれます。でも、私には『両立』という意識がないんです。研究を続けることも会社で働くことも、私自身を構成するいろいろな要素の一部であって、どちらかを選ぶとか選ばないとかそういうことではないんです。どちらを欠いても、私は私ではなくなってしまうと思っています」

アカデミアの世界で研究するか、社会に出て就職するか。どちらかしか選べない、どちらかを選ばなくてはいけないと考えられがちですが、「実際はそうではない」と中川は言います。修士課程から金融業界を経て博士課程に戻り、今また新しい業界に挑んでいる自分の経験をもとに、もっと自由なキャリアの選択肢があることを知ってもらいたい。アカデミアと社会とを自由に行き来できる未来を創る——。それが中川の人生の目標です。

中川 「企業を訪問して、自分が博士課程出身だというと驚かれます。博士課程の人が営業職に就いていることを意外だととらえられるんですよね。博士学生には多くのポテンシャルがあることを伝えながら、企業や社会がもつ博士学生に対するイメージを変えていきたいと思って仕事をしています」

キャリアは自分自身の手で描けること、そして、大学院へ進学することがその先のキャリアの選択肢を広げるきっかけのひとつになることを体現している中川。こうでなくてはいけないという既存の枠組みにとらわれず、ひとりでも多くの学生が自らキャリアを自由に描いていけるために並走し続けます。

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