「何をするか」より「何のためにやるか」。変化し続ける中で、変わらない軸がある

大学卒業後、塾講師を経て株式会社ベーシックに転職した淺野麻妃。2013年に入社して法人営業を1年担当した後、管理本部に異動し、社長秘書や新卒採用に携わるようになりました。今では広報の分野にもその領域は広がりつつあります。一見すると次々と異なる分野の道へ進んでいるようにみえる彼女ですが、実は、そこには普遍的なひとつの軸がありました。
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東日本大震災を機に、自身の価値観が大きく変化

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▲塾講師時代の淺野

「それまでの前提が、大きく揺さぶられました。見えないことを理由に、先送りしていちゃいけない……と」——。

2011年3月11日、東日本大震災が起こったあの日、淺野麻妃は大阪にいました。

大学卒業後、特別に「これだ!」といえるほどやりたいことがなかった彼女は、学生時代のアルバイトでやっていた「苦手でもないし嫌いでもない」塾講師の道に進みます。とある学習塾に3月1日付けで入社し、大阪へ赴任。それからわずか10日後、淺野は震災のニュースに釘付けになります。

淺野 「実家が揺れて大変だったと聞きましたが、幸い家族に大事はありませんでした。それでもニュース映像をみて、その理不尽さに心が揺れました。当たり前のことが、瞬時に当たり前でなくなってしまう。自分の意思とは無関係に命が終わってしまうこともあるんだ、と」

それをきっかけに、人生やキャリアにおける時間の使い方に対し、考え方に変化が生じはじめた淺野。それまでは、塾講師をしながらゆっくりやりたいことを見つけていけばよいと思っていました。

でも、「今まで当然と思っていたことが、明日にも失われてしまうかもしれない。それなら先が見えないからといって、前に進むことを先送りにしてはならない」と気づいたのです。その気づきは、淺野を転職へと駆り立てます。その際に重要視したのは“成長”という観点でした。

淺野 「たとえば1年前、1ヶ月前の自分とくらべて今の自分が1ミリも変わっていないことを想像すると、すごく焦燥感にかられるんです。どこかで常に成長し続けたいという欲求があって。それなら成長市場に身を置いて、そこで仕事にまみれるのがいちばん近道だと思いました。それが転職のときにIT業界を選んだ理由です」

IT業界を選んだ理由はもうひとつ。淺野は学生時代の海外留学を経て、より日本の素晴らしさを感じていました。

淺野 「日本がもっているコンテンツはどれも素晴らしいのに、表に出すのが下手ですよね。日本人はシャイだし、そもそも積極的にアピールすることも美徳としていません。ただ日本の将来は、海外との接点なしでは語れないのも事実であって。
だからこそ、何らかの形で日本のコンテンツを伝えることに貢献できないだろうかと考えました。そこで絶対必要になる、かつ効果的なツールがWebだと思っていたんです」

しかし、淺野にとってはIT業界もWebマーケティングもまったく未知の分野。その未知の業界の、そのうえ数多くのIT企業の中から、ベーシックを選んだ理由はひとつ。

「社会のあらゆる問題を解決する」——。

創業者であり代表取締役社長でもある秋山勝がかかげていた、このミッションに共感したからでした。

「問題解決をする」普遍的なミッションとの出会い

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▲ニューヨークでのEXPOにて

ベーシックのミッションは、淺野にどう響いたのでしょうか。

淺野 「当時の私にとって、自分の中で本当に譲れないポイントは、“何をするか”よりも、“何のためにやるか”だったと気づきました。正直なところ、ベーシックが手がけている事業の全貌は当時よくわかっていなかったけれど、会社の向かう方向性や軸、そして社長の考えに共感したんです」

当時もいまも変わらないベーシックの特徴は、事業やサービスが多岐に渡るということ。でも、そこには「問題解決をする」という普遍的な軸があります。

問題解決をするのは、理想に近づくため。そしてその実現のために、時には大胆な変化や挑戦をしつづけながら、「今日より明日がより良くなる」というシンプルな行動原理で事業を生み出していくーー。

それがベーシックという会社。この出会いによって、淺野はそれまで曖昧にしていた課題のひとつの解を得たのです。

淺野 「ベーシックの価値観に、違和感は感じませんでした。全貌が理解できなくても、目指している世界を実現する一助になりたい、と素直に共感できたんです」

入社後、淺野は事業部に配属になり、FC比較サイトの法人営業を任されます。さらに英語が堪能であったことから、当時立ち上がったばかりの3つの事業を中心に、全社の海外取引案件についても幅広く仕事を頼まれる立場になりました。どの業務をとっても、塾講師とはまったく異なるジャンルの仕事ばかりでした。

淺野 「入社1年目から、いきなりカオスでした(笑)。でも職種にこだわりはなかったんです。何をするかより、何のためにその仕事をするかの方が、私にとっては重要だったから」

カオスとはいえ、淺野にとっては充実した1年でした。ITリテラシーが低かった自分でも、強みである語学力を使って、入社直後から会社の役に立てている実感があったからです。

そして彼女の語学力は、もうひとつの役割につながりました。社長の秋山が海外出張する際の通訳です。これが、その後の淺野のキャリアに大きな影響を及ぼすことになりました。

1年で異動、新たな部署で未知の仕事にひたむきに向き合う

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▲サマーインターンの集合写真

2014年、入社2年目。淺野は管理本部へ異動になります。役割は、社長秘書と新卒採用でした。

代表である秋山の海外出張に通訳として同行するたびに、淺野は秋山の言葉を充分に咀嚼し、ビジョンや会社の目指す方向について、さらに理解を深めていきました。

その中で秋山は、淺野が目的思考タイプの人材であることに気づきます。そこで、会社の価値観を伝えていく全社的な部署である管理本部でこそ、彼女の強みが発揮できると期待したのです。

淺野自身には、ふたつの思いがありました。管理本部という立場になることで、これまで関わっていた海外案件への対応も、自分の正式な役割として取り組むことができます。これは淺野にとって、うれしかったことのひとつ。

でも一方で、「事業部へ戻りたい」というまったく反対の思いも抱いていました。

淺野 「事業部の仕事は営業だったので、会社にどれだけ自分が貢献したかがダイレクトにわかる。当時はそちらの方が、表舞台にいる感じがしたんです。だから、どこかで管理本部は“裏方”だという思いがあり、いつかは前線に戻りたかった。でも自分にはまだ何もないことはわかっていたので、まずは期待されている持ち場(管理本部)で結果を出そうと決めたんです」

異動当時、ベーシックとしても新卒採用を本格始動してまだ1年目のタイミングでした。踏襲すべき「採用の型」も存在しておらず、ましてや自分にとってもはじめての取り組み。それからは四方八方から飛んでくる玉を、とにかくがむしゃらに打ち返すような目まぐるしい毎日が続きました。

しかし新卒採用担当になって3年目のあるとき、社内のWebマーケティング研修の課題で、淺野は月間4〜5本の人事管轄のブログ記事を書くことになります。淺野はそこで、あることに気づきました。

淺野 「何本も記事を書く中で、自分自身を振り返ることや、今までの経験を体系化することができました。それで、気がついたんです。ああ、事業部と管理本部の仕事は対象が違うだけで、どちらも“問題解決”することに変わりはない。そう腹落ちしたら、事業部に戻ることにこだわらなくていい、と思えるようになりました」

新卒採用で、淺野にとってもっとも印象深いのは「サマーインターン」の企画運営でした。

当時のベーシックには、100人を超える大規模なサマーインターンの前例はありませんでした。それはつまり、社内に誰も教えてもらう相手がいないということでもありました。彼女にとって、まさに孤軍奮闘の日々が続きます。

淺野 「自分がやっていることが客観的にどうなのか、先達から学ぶということができない環境は、私にとって非常にチャレンジングでした。
仕事の忙しさそのものではなく、ちゃんとした方向を向いているのか確信が持てなかったこと、自分でも考えがまとまらないときに、そのモヤモヤをなんとか消化して前に進まなければいけなかったこと……その方が大変でしたね。経験者でなくても、それをアウトプットし合って、よりブラッシュアップできるような仲間を欲していたのだと思います」

100名規模に成長した今だからこそ、次にやるべきことがある

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2014年に孤軍奮闘した体験をもとに、翌年、彼女は再びサマーインターン企画を実施します。そこでは、学生との接触数の増加や、質の底上げによるマッチ度アップ、内容のブラッシュアップによる満足度の向上など、飛躍的に成果が改善しました。

淺野は2016年度、入社4年目にして初の年間個人MVPを受賞します。もちろん、こうした評価もモチベーションにつながっていますが、淺野にとってモチベーションの源泉にあるのは、ベーシックが目指す理想を実現したいという思いです。

淺野が入社した翌年の2014年夏、ベーシックは全社員を集めた総会で、ある方針を発表しました。それは、「Webマーケティングの大衆化」というビジョンを掲げて今後の最注力投資事業とし、それを実現するために必要なことは、大きな変革を伴うものでも全て実行していく、というもの。

それまでどこか牧歌的で、個々の自由に重きを置かれていたまとまりが希薄な集団から、組織とはそもそも”目的を達成するために集まった集団である”ということに立ち返って、その実現を第一優先するという会社のあり方へ。ここがひとつ、淺野が経験した大きなベーシックの転換期でした。

淺野 「当時はWebマーケティングの大衆化というビジョンを掲げられても、サービスや方向性の具体的なイメージもわかなかったので、最初はみんな戸惑っていたと思います、私もそうでした」

ところがその年には、Webマーケティングに関する最新ニュースや、役立つツール&サービスを紹介するワンストップポータルサイト「ferret」がスタート。

さらにはWebマーケティングを簡単かつ効果的に実践するマーケティングオートメーションツール「ferret One」の開発体制も整い、そのビジョンは一歩ずつ着実に実現に向けて形になっていきます。

淺野 「私の役割は、秋山が描くビジョンを近くで見て聞いて、メッセージを咀嚼したうえでそれを採用や発信に落とし込んでいくこと。ここには自分が心から共感できる追うべき理想と、自分の強みに立脚した役割とミッションがあるーー会社が変化し続けても、私がベーシックに居続ける理由は、それに尽きますね」

2014年の転換期となった同会議では、「ベーシックは一部上場を目指す」ということも表明しています。

2004年の創業後、5年ほどは20数名規模だった組織が、2017年には100名を越える組織へと成長を遂げました。会社の変化と、自身のキャリアの変化という大きなうねりが重なるなか、4年半の間ベーシックに身を置いている淺野は、「さあ、本当の本番はこれからだ」と感じています。

淺野 「2014年の方針発表から3年が経ち、事業推進はもちろんですが、マネジメントメソッドの標準化や評価制度の見直し、働き方改革など、実際にそれを実現できる組織作りなども少しずつですが着実に整ってきました。今もまだ変革の真っ只中という感じではあるものの、一歩ずつビジョンの実現に向けて近づいてる実感があります」

淺野自身も、新たなスタートに立ったところ。新卒採用の業務を任せられる部下ができ、淺野は会社の広報という新たな業務にもチャレンジをしています。

淺野 「今までも変わってきたように、何をするかはこれからも変わり続けると思います。5年後何をしていて、どんな世界になっているのかはわからない。
でも、可変的なことは表層の部分であり、いつも『問題の核心は何か?』『それは誰の問題なのか?』という問いに、ベーシックはずっと向き合ってきました。今は『Webマーケティングの大衆化』に向いているけど、それが実現されれば、また新たな問題解決へと続いていきます」

会社も自分も、ともに成長し続けることができるベーシックという会社。私たちも、淺野自身も、常に変革し続けられるのは、その中にけっしてぶれることのない軸があるからこそなのです。

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