何のために働くのか――ベトナムと日本、2つのルーツを持つ内定者の考え

「ベトナムが持っている労働力で日本を救うことができると考え、人材サービスを軸に就職活動をしていました。しかし、人材サービス以外の事業も展開していたことが就職先を決めた理由です」そう話す、ベトナム生まれの内定者ファン・ティ・ティエットが、夢を持ったきっかけと、就職先にベンチャー企業を選んだ背景に迫ります。
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都会に住むことが夢だった幼少期

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▲2018年3月姉の卒業式にて、母国の民族衣装 “アオザイ” を着るファン(右)

ファンが生まれたのはベトナムのクイニョン市。日系企業で働く両親は、ファンが幼いころから日本で働いていたため、姉とともに祖父母に育てられました。

ファン 「クイニョンは漁業や石材加工などが中心の小さな町でした。祖父母は教育熱心で、特に祖母は姉と私に『勉強しなさい』を口癖のように話していました。
幼いながら、祖父母の厳しさは、私たちに期待をしてくれているからだと考えていました。
祖父母が若かったころは、大きな戦争があり満足に勉強ができなかったと聞いていたので、そんななかで育った私は『勉強をたくさんして、将来は都会へ出て活躍をする』という夢を抱くようになっていました」

理数系科目が得意だったファンは、生物で学年1位の成績を取るほどの実力。当時は、医療関係職で働き都会で生活をすることを夢に、勉強に励んでいたと言います。そんなファンが中学3年生のとき。突如、両親とともに日本で生活することが決まりました。

ファン 「『中学を卒業するタイミングで日本に来なさい』と母親から電話が来まして、姉と 2人で日本の両親のもとへ向かいました。家族がそろう生活はすごく楽しかったのですが、日本語をイチから勉強する必要があったので、すぐには高校に入れず一年間は猛勉強でした。
勉強は大変でしたが、祖父母のおかげで知らないことを知るのが好きになっていたので、楽しかったですね。それから理数系科目はベトナムの中学校の方が難しかったので、言葉の勉強に集中できました(笑)」

ファンはその後、高校3年生で日本語能力検定N1を取得しました。日本に来て4年目の年でした。

日本語学校での出会いから広がった “夢”

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高校3年生になったころから将来の進路を考え始めたファン。生物が得意ということもあり、母親や担任教諭と相談をして、看護の専門学校への進学を決めます。

しかし、専門学校へ入学をして1年が経つころから、ファンはその進路に対して疑問を持つようになりました。

ファン 「母親は私に対して、手に職を持ってほしかったのだと思いますが、実習でそういった環境を体験した私は、手に職を持ったあとの仕事の内容に対して魅力を感じなかったんです」

ファンは悩んだ末、専門学校を休学。偶然、目にしたという求人がきっかけで、日本語学校で仕事をすることにします。この日本語学校での出会いが、その後ファンが抱いていく“夢”のきっかけになりました。

ファン 「生徒の “生き方 ” から学んだことが本当に大きかったんです。
たとえば、ベトナム出身で来日してすぐに入学をしてきた生徒がいたのですが、日本に来た理由を聞くと『日本とベトナムの政府同士をつなぎたい』と言いました。それを聞いた私は、“そんな簡単なことではない ”と思ったのですが、彼は在学中にその目標を実現しました。
せっかくベトナムと日本のルーツを持っていて、彼ら(彼女ら)よりも自分の方が長く日本にいて、日本語もたくさん話せるのに、彼らと比べると自分は何もしていない。そんな自分という存在をすごく小さく感じるようになりました。
そして私も何かできるのではないかという気持ちが強くなっていきました」

海外から来日する生徒が語る夢の大きさに、ファンは尊敬と憧れを持つようになっていきました。さまざまな想いを持った学生との出会いや、日々の仕事でビザの手続きなどをしていくなかで、ベトナムと日本をつなぎたいという夢をファンは強く思うようになっていきました。

ファン 「留学生のパワーはすごいと思います。彼らと話すなかで、私も“成功したい ”と思うようになりました。日本のひとは良くも悪くも将来に対して『安定』を意識していると思います。日本に長く住んでいる母親もそういう考えでした(笑)。
しかし、さまざまな人と出会って、さまざまな考えに触れて、結果的に自分がワクワクした生き方が、『安定』とはちょっと違ったんだなと思っています」

ファンは休学中だった看護学校を途中退学し、2年間働いた日本語学校も退職。4年制大学に行くよりも早く社会人経験をスタートできる2年制の専門学校へ入学をします。

さまざまな “手段” を学んでいくために選んだ環境

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▲仕事は、困っている人の力になることで生まれると考えているファン。専門学校に通いながら得意の日本語力を活かして翻訳のアルバイトもおこなっていました。

専門学校1年目は資格取得のために勉強に没頭をし、日商簿記2級、AFP2級に合格をします。同じころ、自身が通う専門学校の台湾出身の卒業生が、起業をして日本と台湾の懸け橋になりビジネスをやっていると聞きます。ファンは“夢”の実現に、“ビジネス”という手段も考えるようになっていきました。

ファン 「いつかは、『日本にあって、ベトナムにないもの』または『日本になくて、ベトナムにあるもの』でビジネスをやりたいと考えています。でも、まだまだ自分ひとりでおこなえる自信はないので、まずは知識を広げるために就職を選びました」

ファンは就職活動で、人材サービスに軸を置きます。ベトナムが持っている労働力で日本の力になることができると考えたからです。そして、さまざまな人材サービスを扱う企業を探すなかで、株式会社シティクリエイションホールディングス(以下、シティクリエイション)に出会いました。

ファン 「人材サービスを軸に就職活動をしていましたが、実は人材サービス以外の事業も展開していたことがシティクリエイションに決めた最大の理由になりました。
『変化の激しい時代だからこそ、業界や業種にこだわらず、目の前にある社会課題に対しての解決手段として事業展開をおこなっていく』という考え方が、私の将来と重なりました。
日本とベトナムをつなぐ手段は人材以外にもたくさんあります。私が将来ビジネスをすると決めたときには、実際にベトナムに行き、そのときの状況を把握してから事業を決めたいと思っています。そのため、より多面的な経験が必要だと思いました」

「ベトナムと日本をつなぐために、よりさまざまな角度からビジネスを考えていきたい」ファンの新しい挑戦が始まります。

仕事は夢を実現するための手段

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▲2018年3月、姉の卒業式の際に来日した祖母と。9年ぶりの再会に祖母は終始笑顔だったと言います。

入社1年目から通信サービスを扱う事業にかかわっていきたいというファン。世界で4番目に高額だと言われる日本の携帯料金の常識を変える、格安SIMのサービスを広めていきたいと考えている。そのなかで、夢の実現に向けて身に着けていきたいスキルがあります。

ファン 「まず、発信力を身に着けていきたいです。私は “話す ”と“伝える ”は、別のスキルであると思います。特に目標としているのが私の姉ですが、家族で一緒にいるときの説得力と言いますか、発信力がすごいんです。
仕事でも私より 1年早く企業に就職をして、1年目から多くの海外出張を任されているようです。常に “すごいな ”と思って追いかけてきたんですが、姉は今でも変わらず目標です。
これから日々営業をしていくなかで身に着けていくというのもそうですが、シティクリエイションにはボトムアップで発信していける環境があると、配属希望先の役員の方と面談をさせていただき感じました。社内での発信力もどれだけ身に着けることができるかというのが私にとっては1つの目標です」

ファンにとって仕事とは『夢を実現するための手段』。そのため、10年でも20年でも、自分自身が納得するまでは仕事から“勉強”をしていきたいと話す。

ファン 「これまでの人生で最もつらかった経験は、日本に来た直後の言葉の壁でした。言葉が伝えられないと、自分の考えていることも思っていることも、うまく伝えられません。そのような瞬間は本当につらかったです。
でも、その壁を乗り越えて私が学んだのは『あきらめないこと』です。夢があって、まだ自分に見えない世界があるなら、そのときは勉強を続け、あきらめないこと。そうすることで、自分の思い描く自分に近づいていく。そう思っています」

さまざまな人の生き方を知って自分が “夢”に気付かされたように、自分の姿を見た誰かが “夢”を持つようになる。そんな生き方と働き方をファンは体現していきます。

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