簡単な道に活路無し。大企業の業務改革に集中したドリーム・アーツのV字戦略

大企業・大規模組織向けのクラウドサービスとコンサルティングサービスを提供するドリーム・アーツ。ITがまだ浸透していなかった時代に創業し、約2年のうちに15億円以上の事業資金を調達しながらも、経営危機に遭遇します。そのとき再起をかけて代表の山本孝昭が選んだのは、業界中でも“困難”とされる戦略でした。
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学生時代の目標どおり30歳で起業。創業時に15億円以上を調達

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▲大学時代の山本は、バンドに明け暮れる日々を送っていた(写真右)

働くとは、“世の中の役に立つこと”。

中学生のころの私は誰かに教えられた訳でもなく、そう考えていました。幼少期はガキ大将、小学校では生徒会長も務め、自分の内に常に湧き上がる“パッション”のようなものを感じていた私は、このパワーを発揮できるのは勤め人ではないなと感じていました。大学入学後は「30歳で起業する」という明確な目標も設定。30歳まで会社勤めを課したのは、組織のつくり方を学ぶためでした。

ところが大学時代はバンドを組んで音楽三昧。人生初の挫折が訪れます。バンドメンバーには現取締役 執行役員CWOの前川 賢治もいましたが、4年生のときにふたりそろって落第したのです。前川は担当教授にかけあい、なんとか卒業しますが、私の担当教授は許してくれず……。

大手旅行会社に内定していたにも関わらず、留年してしまったのです。すでに就職する前提でお世話になった方もいたため、母は「大変なご迷惑をかけた」と心労で倒れ入院するほどに。楽天家で強気な私も相当落ち込み、2カ月は親しい友人たちとも顔を合わせないほどでした。

しかし、これが大きな転機になりました。就職先に大手旅行会社を選んだのは「周囲に自慢できる企業に勤めたい」という浅はかな心根がありました。でも2度目の就職活動では、起業を意識して「尊敬できる創業者が率いる会社に入りたい」と価値観が大きく変わったのです。大きな挫折により自らを真剣に見つめ直すことで得られた発想の大転換でした。

翌年選んだのは、大企業向けのソフトウェア製品の輸入商社であるアシストでした。偶然ですが1年早く前川が入社していました。営業に配属された私は、大手自動車メーカーなどを担当。 一気にトップセールスとなり、チームマネージャーを任されます。上司や取引先の人にも恵まれ、多くのチャンスも与えられて仕事としては順調でしたが、4年が経過するころに転職を考え始めました。物事が順調に進んでいたことで自分を叱ってくれる人がいなくなり、本当に成長するための厳しい環境がなくなっていることに気づいたからです。

会社には大きな恩を感じていたので深く悩みましたが、新たな環境で挑戦したいという決意は変わりませんでした。

その後、縁あってインテルジャパンに転職。仕事がうまくいかず悩んだ時期もありましたが、アシスト時代に培った人脈もあって徐々に成果を積み上げていきました。あるプロジェクトでは社長賞にも選ばれて、まさに順風満帆。でも期限の30歳は目前でした。いよいよ起業の時がやってきたのです。

退職の際にはありがたいことに社長や周囲から引き止められました。しかし起業のための退職とわかると「君がやるなら」と次々に社内外から出資者が現れ、まるで押し出されるようにスムーズに起業することができました。

ところが、想定外の逆境はその4年後にやってきたのです。

苦労をするなら、達成したときに誰も追随できないほど困難な道を選べ

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▲1996年、設立当初のドリーム・アーツ

起業当初はこれからのインターネット時代を見越して、デジタル画像の加工サービス事業がメインでした。しかし当時はネット回線環境もデジタルカメラの画質も未熟で、思うようにビジネスは展開できず……。そこで企業向けビジネスシステムの開発事業もスタートさせました。創業メンバーである前川を筆頭にエンジニアたちの技術力がすばらしく、これが当たったのです。

1998年に発売した社員間のナレッジ共有ツール「INSUITE99」は、分割前のNTTの法人営業本部と販路拡大に乗り出し、想定以上の売上額を打ち出しました。続く2001年、次期バージョンとして「INSUITE ONE」を販売。しかし、ここで暗雲が立ち込めます。パタリと売れなくなったのです。

当時、私たちはシステムの基盤としてオープンアーキテクチャOSと言われるUNIXを信奉していました。そのため「INSUITE ONE」のOSをWindowsからUNIX系のオープンプラットフォーム、Linuxに変更したのです。しかし 、取引先の多くのエンジニアたちはWindowsNTの方が使い慣れています。売るためのさまざまな工夫をしましたが、売れない状況は変わりませんでした。

経営が悪化するなか、実は一方でIPO(株式公開)の話も進んでいました。すでに「INSUITE ONE」発売前の2000年には、大阪証券取引所のナスダック・ジャパン市場上場も承認済みでした。「上場すれば盛り返せる」という周囲の声もありましたが、私はこの状況で進めるのは「まっとうではない」と直感。主幹事証券会社の全国の営業店舗に、私のインタビュー映像が放送される前日に「IPOは止める」と宣言したのです。もちろん大騒ぎで、新聞でも報じられました。

その前に全社ミーティングを急きょ開催し、スタッフにとってまったくもって不愉快な事実を説明しました。真っ先にすべきことは、社員に現況を誠実に伝えトップである自分が詫びること。そこを起点にしない限り、会社を立ち直せるはずがないと強く感じたからです。

そこで、従来の中小企業向けサービスをすべてクローズして、大企業向け一本に絞るという事業戦略の大転換を図りました。当時、ベンチャー企業の製品を大企業が導入する事例はほとんどなく、マイクロソフトでさえ大企業を相手に苦戦していました。つまり、とてつもなく難しい道を選択したのです。

しかし、どのみちこれからの道のりは険しく、苦労するのは目に見えていました。それならば他社に簡単に追随されない道を選び、独自のポジションを確立しよう。そのような考えからこの決断をしました。もちろん決して無謀な賭けということではなく、アシスト、インテルジャパンと、大企業向けに営業やマーケティングをしてきたキャリアから、私には「いける」という確信めいたものがありました。

大きな方針転換の後、社員は次々と退職し100人ほどいた社員は32人まで減少。しかし幸いなことに、大企業にも導入される強いシステムをつくりたいという想いを持った前川をはじめとするエンジニアは全員残り、新たな挑戦に挑んでくれました。

その後の株主総会も紛糾しましたね。なんともいえない雰囲気の中、怒号も飛び交いました。でも、新たな事業戦略 と再起にかける覚悟と想いを話し終えると、最後に「がんばれ!」と拍手が起こったのです。2001年、ドリーム・アーツは新たな一歩を踏み出しました。

大企業はITベンチャーの製品を採用しない、これまでの業界の常識を覆す

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それからは、とにかく製品開発に専念しました。本当に楽しい時間でしたね。

私は「製品は必ず自分たちでコンセプトから考えぬき、つくり出すこと」に重きをおいています。いわゆる“海外の流行りをひと足早く持ってくる”というスタイルは好きではないんです。だから、この時期も徹底的に考えぬきました。

エンジニアではない私は、ユーザー視点で「こんなことはできないか」と、まずエンジニアの前川に投げかけます。彼は私に「できない」とはいいたくないので(笑)、私の言った10に対して 必ず12にして返す。お互いに意地もあるから「ほお、そうくるか。それならこれは?」と 意見をぶつけ合い協創することで、機能やコンセプトが一気にスパイラルアップされていく。最高のコンビネーションです。

このように開発してきたドリーム・アーツの製品は技術的に尖っていると自負していますが、それは課題を解決したいという“熱”や“想い”、“ワクワク感”があったからこそだと考えています。そして、それは必ずお客さまにも伝わると確信しています。実際、そこにおもしろさや魅力を感じて、慣例にとらわれず製品を採用してくれる大企業が現れ始めました。

新生ドリーム・アーツの第1弾「INSUITE Enterprise」を 2001年に発表し 、2002年にはファーストバージョンをリリース。その翌年に念願のファーストユーザを獲得しました。これまで応援してくださっていた株主や顧客の方々の紹介から広まり、ユニ・チャーム、サッポロビール、ファーストリテイリング等の日本を代表する大企業に導入されました。

2005年には、日本郵政グループでの8万ユーザーを超える大規模導入が決定しました。そのころ、日本郵政グループは小泉政権が推進する大改革のど真ん中にあり、大きくニュースにも取り上げられ、期待する方向に潮目が変わってきました。

このときは、安心とまではいわずとも「ようやく、ここまで来たな」と胸が熱くなりました。

本質に向き合って、リスクテイクしてでも最善策を見つけ出す時代へ

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▲2019年現在の山本。変化の激しい時代だからこそ、本質と向き合う姿勢を大切にしたいと語る

今では多くの大企業で、ドリーム・アーツの製品が運用されています。「まさかITベンチャーを選ばないだろう」と私でさえも思うような大手との取引もあります。なぜここまで成長できたのでしょうか。

その企業のパフォーマンスを最大限に引き出すためのベストは何か、本質に真正面から取り組み、たとえお客さまであっても遠慮せず意見交換、対話を重ねているからだと思います。時には意見が対立することもありますが、これが私たちの目指す“協創”。そのようなプロセスを重ねることで、中には熱狂的なドリーム・アーツファンになってくださる方々もいます。

理由は、私たちの製品コンセプトに真正面から向き合い協創することで、根本にある“本気の熱い想い”が届いているからだと思います。開発段階での想い、お客さまと向き合い協創し、よいシステムに育てていく段階での想い──。機能面の魅力はもちろんですが、エモーショナルな要素が製品に込められているかも重要だと私は考えています。

また、不透明であいまいな時代性もひとつの要因でしょう。いまは急激な変化を伴う、予測不可能な世の中になっています。これまで信じてきた仮説や理屈が一瞬にして吹き飛んでも不思議ではないし、想定外の展開が普通に起こってしまいます。

そんな状況だからこそ、「自分たちの会社をよくするために本当に必要なものは何か」を一生懸命考え、目前の利益や従来のルールだけに縛られず、リスクテイクしてでもよい選択肢をつかもうとする人たちが活躍できる時代です。

製品自体はまだまだ改善の余地もあります。よりよい製品にもっと変化していくでしょう。しかし「本質に対して常に向き合っていく」姿勢は、製品にもサービスにも一貫して変わりません。

実際にお客さまと対峙する社員の姿に、「本質に向き合う」真摯な姿勢が垣間見えるときがあります。組織で想いを共有できているんだと嬉しく感じる瞬間です。製品がどんなに進化したとしても、この姿勢はけっして揺らぐことはありません。

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