ビリ営業から社長になった男。挫折から掴んだ、“成長の糧”とは

関 泰正(せき やすまさ)は、20代でエン・ジャパン株式会社のグループ企業の取締役、30歳で代表取締役を歴任。現在はベトナムNo.1のHR企業 Navigos Groupの取締役を務めています。社会人1年目に同期の誰よりも出遅れていた彼は、その挫折からなにを学び、成長の糧としてきたのでしょうか?
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「ビリ営業」という屈辱的なレッテルーー人生で味わった初めての挫折

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関は、エン・ジャパンには営業職として入社しました。当時、『エン転職』への広告掲載を法人企業へ提案していたのですが、初めて受注できたのは入社から4ヶ月経ったお盆明け。同期の中では圧倒的な“ビリ”でした。

関 「正直、入社した当初はかなり自信もあったんです。学生時代は野球に熱中し、誇れる成績も残した。それなのに社会人になったとたん、完全な出遅れ組になっちゃって。自分よりも口ベタな同期たちがどんどん、どんどん受注していく。悔しくて仕方ない、人生で初めての挫折でしたね」

代わりに、その頃に身についたのは “売れなくても最後まで追いきる力” 。結果にこそ結びつかなくても、とにかくお客様との関係性が絶えないよう連絡を取り続けたりする「あきらめない気持ち」は鍛えられたといいます。

関 「いくら努力しても思うように成果が出ない時は、本当ツラいですよね。売れない。成長を感じられない。同期がまぶしい…。ただ、そんなネガティブな感情も“成長痛”だと思って歯を食いしばることが大事で。

実際、私も初受注のあとは地道に蒔いていた種が芽吹きはじめ、だんだんと受注できるようになっていきました。そうなると、やっと成果の出なかった日々の努力が大きな財産だと思えるんですよね」

突然のリーマン・ショック。逆境のマーケットでも成果を出せる営業になれたが……

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ただ、ある程度成績を残せるようにもなってきたとき、ある出来事が起きてしまったのです。

そう、リーマン・ショックです。関が入社3年目のことでした。

関 「それまでは大阪から神戸と、初配属から関西で働いていたんですが、初めて関西を離れて東京に異動したタイミングだったんです。これから東京本社でバリバリやってくぞ!というときだったのに、マーケットはリーマン・ショック後でどの部門も相当厳しい状態でしたね」

とはいえ逆境になるほど燃えるタイプの関。市場環境に恵まれてなくとも、愚直に自分にできることに集中することで、そんなマーケット環境下においても一定の成果を出すことはできました。そしてちょうどその頃、はじめてリーダーを任せてもらえることに。

ところが、なぜか関のところ集められたのは、ひと癖もふた癖もある相当癖のあるメンバーばかり……。

関 「こんなこと言うと当時のメンバーには怒られるかもしれませんが、あれは完全に動物園って感じでした(笑)。どう伝えれば納得してくれるか、なにをすれば行動に移してくれるか、とにかく脳みそを使う毎日で。メンバーを鍛えてるつもりが、いつの間にか自分の思考力が鍛えられていたと思います」

結果的に、みんながきちんと成果を出せるように成長して、チームとしても達成を続けられるように。順風満帆に見えていましたが、関自身には心穏やかではないところがありました。

関 「なぜかといえば、自分たちが売れているのは “エン・ジャパンという会社の商品力ありき” だと思っていたんです。営業を行なううえでのオペレーションも整っているし。敷かれたレールのうえで達成し続けたとしても、それは会社の力であって、自分の実力じゃない、という思いがずっとありました」

「このままだと、自分の市場価値は上がらないな……」。そう思い悩むことも多く、その頃の関は転職や起業など、一旦エン・ジャパンを離れる選択を考えていました。しかし、当時を振り返ると「そんな考えこそが浅はかだった」と彼は語ります。それはなぜなのでしょうか?

出向して気づいた自分の小ささーー「井の中の蛙」だった

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苦楽を共にした、株式会社シーベースの社員たち

関が会社に転職の意向を伝えたところ、営業のマネージャー職への昇格か、企画職への異動、もしくは子会社への出向という3つの選択肢が提示されました。

関 「ありがたい話ですが、当時の私は『どれもないな』と相当生意気な考えをしていました。ただ、当時の上司が真剣に向き合ってくれる方で。たくさん議論をする中で『まったく別文化のグループ会社への出向なら、本当に厳しい環境で自分を試せるかも』と考えることができたんです」

そして関は、人事・マーケティング関連のシステム開発・販売を行なっている、株式会社シーベースへ出向することとなりました。出向して早々、通常の営業活動に加え、かなり重い仕事も任されることに。当時グループ会社になったばかりの企業であったため、降格人事や評価制度の一新といった重要な仕事が山積みとなっていたのです。しかし……。

関 「いや、本当にビックリするくらい何もかもうまくいかなくて…。任された仕事の中身が中身ですから、まず、出向した先の社員に信頼されない。心の底から『今までは相当周りに助けられて、なんとかなっちゃってたんだ』と思いましたね」

彼が本当の意味で腹をくくれたのはこの頃です。経営陣に気に入られることや、自分のキャリアのこと。そういった自分本位の考えではなく、目の前にいる人、一緒に働く人と真剣に対峙して、信頼を勝ち取れなきゃ意味がない。自然とそう考えられるようになったといいます。

関 「そこから、何度も同じ言葉を使って想いを伝えたり、自分の影響力の範囲を意識して発言・行動をしたりするようになりました。少しずつ、本当に少しずつですが、周囲の方から信頼していただけるようになっていくのが、何よりも嬉しかったですね」

“ビリ営業”が、社長になった

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新天地、Navigos Groupのメンバーと

2013年6月に株式会社シーベースの取締役に就任。自分の能力とポジションの乖離を埋めるために、外部のセミナーや、ビジネススクールにも頻繁に通うようになりました。定期的に大阪や名古屋にも足を運び、同業種の経営者との対話から学びを得ることも増えるようになったといいます。

関 「私より大きなチャレンジをして、難しい意思決定を沢山している方々にお会いし続けたことで、一緒に働く人たちのために、自分自身がもっとレベルアップしないといけない。そんな思いがどんどん強くなっていきました」

採用の強化や手当の廃止、評価制度の刷新……。大きな決断でも、それが一緒に働く人たちのためになるならと、関は手当たり次第に実行していきました。

エン・ジャパンには “利他志向性” という考え方があります。自分自身のみならず他者の利益や幸福に本気で向き合うということが、結果的に自分の幸福にもつながるという考えです。関自身がこの考えにもとづいて行動しはじめた頃から、シーベースの組織風土も少しずつ変化しはじめました。

その他にも、関がエン・ジャパンで大切にしていた考え方がシーベースに浸透して、従業員の意識にも変化が見られるようになってきました。結果、2013年度のシーベースの年間売上は前年比155%を記録。自身もその年、エン・ジャパンの “年間MVP特別賞” を受賞することができたのです。

そして2015年、関は30歳でシーベースの代表取締役に就任しました。

関 「ビリ営業だった私が、まさか社長になるなんて。自分自身が一番ビックリしましたね(笑)。自分が失敗や挫折のなかで学んできたことは、大きな財産になりましたし、自らの視野を広げる大きなきっかけになったと思っています」

現在の関には、新たなミッションが与えられました。エン・ジャパンの海外グループ会社であるベトナムのNavigos Groupにて、2017年1月から取締役を任されています。

関 「ベトナムでは No.1 の HR支援企業ですから、また大きなチャレンジです。海外の企業は、日本以上に企業の文化も風土も多様。きっとここでも、私は失敗や挫折を沢山経験することになると思います。ただ、それが自分にとって結果的にはプラスに転化していくはず。これまで過ごしてきた日々のなかで、その確信を持つことができているんです」

失敗や挫折を乗り越えた先に見える景色に、関は今からワクワクしています。努力できる余地は無限にある。だから常にチャレンジしていきたいーー。そう語る関の横顔には、ダメ営業だったころの面影はみじんもありません。

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