人生が行き交う「箱」をつくりたいーー 会社員経験がない僕が「会社」にこだわる理由

“ちょうど良い”サイズのWEB制作会社として、小回りの効く手厚い対応と人当たりの良さをウリにするフライング・ハイ・ワークス。「会社」であることにこだわり続けた18年間には、予想もしなかった出来事やどん底時代の経験もありました。創業前から現在に至るまでの軌跡を、代表取締役社長の松田治人が振り返ります。

弁理士になるという道を外れ、ビジネスの面白さにどっぷりハマる

▲若かりしころの松田。弁理士を目指す道から、大きなシフトチェンジを

うちの家系は、弁理士一家なんです。祖父も父も弁理士で、僕も当然のように弁理士になるんだろうと思って育ってきました。

大学を卒業してから研究所に入って、弁理士になるための勉強をはじめました。ところが、勉強しているうちに弁理士の世界に興味が持てなくなってしまった。論文を書いているだけの毎日で未来にワクワクできなかったんですよね。

何か楽しいことをしたいと思っていた1995年頃、先輩から「仕事を手伝わないか」と誘われたのです。それが僕の、ビジネスの世界への入り口でした。

最初はアルバイトとして参加して、セレクトショップをやったり、ネイルサロンをやったり、流行りに乗っていろいろなビジネスを手伝いました。

仲間たちで集まって「店をやろう!」と言ったと思ったら、何もない箱だけとりあえず借りて、アートディレクターが中心になって、みんなでわーっと絵を描いて、2週間くらいかけて内装をつくったこともありました。当時はその「みんなで創り上げた感」がすごく面白かった。働くことが楽しい、と思える体験でしたね。

そうこうしているうちに「社員にならない?」とオファーを受け、そのまま社員として入ることになりました。しばらくして上の人が抜けてしまって、なんだかんだ繰り上がるような形で気がつけばナンバー2に。この頃にはもう、弁理士への道も捨ててしまいました。

だけどそのときは、迷いや後ろめたさはありませんでした。ようやく打ち込めることが見つかったと思って、そこから半年くらいは本腰を入れて仕事に取り組みます。

しかし、さまざまなトラブルもあり、どんどん売上が下がってしまい、最終的には5年ほどで会社をクローズすることになったんです。

会社を追い出されるように起業。「会社らしさ」を追い求めた創業期

▲幾度なく松田を、そして会社を襲った困難を乗り越え、今も会社を運営しています

会社をクローズしたあと、自分で起業することになるのですが……。

「追い出されるような形で起業した」という言い方が正しいかもしれません。会社を興そうとして興したというよりは、人間関係のトラブルがあり、結果的にそうなってしまった状態でした。

最初は少しお金を借りつつ、弟と妻に手伝ってもらい3人でスタートしました。弟はそれまでフリーでデザインの仕事をやっていて、妻は元フリーアナウンサー。彼らのつながりもあり意外に協力してくれる人が出てきて、滑り出しはまずまずでした。

手が足りなくなってきたので人を雇おうということになり、求人サイトを使って何名か採用しました。最初はまったくキーボードが打てない人を採用してしまったり、突然辞めてしまう人がいたりと、苦労しましたね。ひとり、またひとりと少しずつ増やしていって、ゆっくりと大きくしていくことができました。

今思えば、僕はとにかく「ちゃんとした会社にしなきゃ」という想いが人一倍強かったと思います。一度も会社員として雇われた経験がないまま、起業しているからかもしれません。20年、30年と続く会社にしていくために、しっかりと基盤をつくって持続させていく。この想いはずっと持ち続けていたんです。

裏を返せば、その不安が常にあるということでもあります。

自分がつくったこの会社を、みんなは「会社」として捉えてくれているんだろうか。これからもついてきてくれるだろうか。何か間違っていないだろうかーー。何かが起こったときは「僕が至らなかったんじゃないだろうか」と自分を責めますし、会社が会社らしくなくなることへの怖さをいつも感じていました。

投機的な考えの起業家もいますが、僕はまず第一に、会社をずっと続けていくことを考えたい。みんなの居場所として守り続けることが社長としての使命だと考えて、会社という形にこだわってきたんです。

だからこそ、このあとの2008年頃にやってくるリーマンショックの時期は本当に辛かった……。経済が傾くと会社の経営も危うくなり、これまでいかに雑に仕事をしてきたかを痛感することになったのです。

苦しいけど、辞め方がわからない。負のループを断ち切ったひとりの若手社員

リーマンショックのときにお客さんが一気に離れてしまいました。どうにも立ち行かなくなって、何人かに会社を去ってもらわなければならない状況にまで追い詰められます。

あのときは社員全員とひとりずつ話したと思います。緊張のあまり頭から血の気が引いてしまって、自分でも何を話しているのかわからないような状態でしたね。どうすれば傷つけずに会社の状況を理解してもらえるか、普段口にしないような言葉を慎重に選びながら説明していきました。

ある女性社員に辞めてもらう話をしたときは、「一生恨みます」みたいなことも言われましたね。そのときの表情とか、様子とか、全部はっきりと覚えてるんですよね。

さらにその後、会社のナンバー2が突然退職してしまい、プライベートでも人間関係がうまくいかなくなって……。公私共に、当たり前にあると思っていたものを一気に失った時期でした。そうやって出口のない負のループに陥っていたときに、ひとりの若い営業社員が入ってきたんです。

彼は20代前半で、明らかにうちの会社にはいなかったタイプでした。入ってくるなり「しょうがないので営業しますよ」と言って、頼まれてもいないのに堂々と無作為電話をかけ、行ってきまーす!と言って出かけていく。過去にそんなことをした人はひとりもいなかったのに。

僕は営業っていう姿をあまり見たことがなかったから、「こいつすげえな」と感心してしまって。一緒に行きましょうよ、と言われて連れて行かれて、帰りに飲んだりしているうちに、少しずつ流れが変わってきたんですよね。

彼のやっていることは変わっているけど、ついていけるところまではついていこうと思うようになっていました。

ちなみに彼は家庭の事情で1年後には辞めてしまったんですが、今でも付き合いは続いています。この前も飲みに行きましたし、良い関係性ですね。彼には本当に人生を救ってもらったと思っています。

人とのつながりを絶やさない。自分の使命は何があっても会社を潰さないこと

▲ちょうどいい仕事を、がモットー。FHWらしさをこれからも追求していきます

僕は、ひとりじゃ何もできないと思うんですよね。人がいないとやっていけないというのを常に感じています。基本的に、僕はビビりなんですよね。臆病ゆえに、人との関係を切ってしまうことが怖くて、なるべく慎重につなぎとめておきたい。それが「会社」という形にこだわる理由かもしれません。

それに僕自身はできることが少ないので、それを自然に埋めようとしているのかもしれません。自分にないものを持っている人に惹かれますし、人の能力や性格に対する興味がかなりあります。会社って、社員それぞれのできることが組み合わさってできていると思うので。

この十数年やってこられた裏にもうひとつ理由があるとしたら、人とのつながりを絶やさないことを何よりも大切にしていることでしょうか。そこが切れてしまったら、社会的な潤いとか、自分自身の競争力のようなものも薄れてしまうと思っています。だから、誘いは基本、断らないのが僕の流儀です。

僕の一番の使命は「会社を潰さないこと」だと思っています。会社って、みんな短い期間で通り抜けていく場所ですけど、生活するためには必要ですよね。だからできるだけ居心地のいい場所として、長く存在させてあげたいんです。

上場しようとか、爆発的に利益を上げようというような発想はありません。小さい会社なりに少しゆとりも持ててきたので、今後はもっとソフト面での会社の充実を考えていきたいですね。みんなが納得して働ける場づくりをして、少し会社としての色気も出していけたらと思っています。

人のためでもあり、社長である自分も会社に生かされている。僕自身、人に頼りつつも、生かしてもらっているような気持ちもあるんです。

みんなの心の拠り所となるような「箱」を用意しておく。そういう気持ちで、細く長く会社を続けていけたら最高ですね。

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