6年間の寝たきり生活を経て──しいたけ工場アスタネで見つけた、いまを楽しむ働き方

しいたけの栽培から販売までを行う、ゼネラルパートナーズの就労継続支援A型事業所アスタネで、スタッフとして活躍する篠田直樹。双極性障がいの激しいうつと躁に振り回された彼が、アスタネと出会い、2019年現在の活躍に至るまでにはたくさんの出来事がありました。障がいと向き合いながら働く今、彼が語ることとは。

仕事でチャレンジを重ねた日々が一変。突然生じた理由のない苦しさ

1時間に1mm成長するしいたけの菌床。質の高くおいしいしいたけは地域でも評判で、リピーターが多数存在

自分の働くアスタネは、埼玉県さいたま市にある就労継続支援A型事業所です。就労継続支援A型事業所とは、企業に就労することの難しい障がい者が、雇用契約を結び生産活動の機会を得ることで、知識や能力の向上に必要な訓練を行える場所。アスタネでは主に菌床しいたけの栽培から販売を通して、体調を安定させて働けるような体力面の強化や、就労に役立つスキル取得を行っています。

2019年7月現在、約38名の精神障がいのある仲間がそれぞれの個性を生かしながら業務に取り組み、一般企業への復職にあたり自信をもてるような、成功体験を日々積み重ねています。

双極性障がいを発症する前は、自分の得意な接客や、イラストレーターなどをイチから勉強して、デザインスキルを生かした職務に就いていました。レディースアパレルの販売員や不動産屋の営業職、広告代理店のプロジェクトリーダーなど……新しいことにチャレンジすることが好きで興味を持ったことにはなんでも取り組んでいましたね。そして26歳になった時、また新たに転職することにしたんです。

転職するまでの1カ月間、仕事を休む時間ができたのですが、「家族と生活のリズムが合わないな」と違和感を覚えることがありました。最初は、これまで仕事中心の生活をしていたからだと思っていたのですが、日を追うごとにその気持ちは強くなり、「理由もわからず苦しい」という状況に襲われました。

悲しい出来事やストレスは思い当たらないし、今までも転職したことはあるので、転職がきっかけというわけでもないし……発症したきっかけは今でもわかりません。そして、うつと躁の状態を繰り返す日々が始まりました。

寝たきりの6年間――抜け出せたきっかけは、小さくても堅実な一歩

グラフィックデザイナーだった頃。この1年半後に精神障がいを発症した

うつが一番ひどいときは、朝起きるときに目を開けるか開けないか、布団から出るか出ないか、一つひとつの動作の度にすごく悩んでたくさんの汗をかいてしまうほどの恐怖感があって。

でも、躁のときはCDの発売日に「限定版が大宮のお店にない?新宿にもない!?じゃあ、松戸だー!」って、ずいぶん遠くのCDショップに突然買いに行くほど活動的になるくらい、気分にすごく波があったんですよ。正反対のうつと躁に振り回されて、周りはどう見ていたんだろうと今となっては思います。

働きたいという気持ちはあったので転職のタイミングをずらしてみたりもしましたが、そんな調子なので、結局転職できずに社会とのつながりがどんどん薄れていきました。

そのような状態が1年、2年続いたので、「やっぱりおかしいぞ、ちょっと普通じゃないな」と感じたんです。初めて病院に行き、そこで『双極性障がい』と診断されました。

うつかな? とは思ってはいましたが、実際に「あなたは精神障がいです」と医者に告げられた瞬間はすごくショックでした。自分は一生障がい者にはならない──正直なところ、どこか遠く自分には無縁な話だという安心感の中でこれまで生きてきたので、急にそんな診断を受けても自分が障がいを持ったという事実をなかなか受け入れきれなかったんです。

さらに障がいのことを調べてみると、流れている情報は「治らない」というマイナスなものばかりで。とてつもない喪失感が自分を襲いました。

そうして、6年もの間寝たきりの状態になってしまったのです。

そんな終わりの見えない寝たきりの生活を過ごす中、転機が訪れました。ある日、精神障がい者手帳の更新で区役所を訪れたところ、大宮にある就労移行支援の事業所を紹介されたんです。それまでは「自分はまだ働ける」と思っていたので、正社員やアルバイトなどを考えていました。就労移行がなんなのかすらよく知らなかったのですが、とりあえず1カ月間、就労移行支援事業所に通ってみることを決意しました。

家を出て、電車に乗り、目的地まで辿り着く。たったそれだけのことでも、6年間寝たきりだった自分にとって、簡単にできることではありませんでした。無理のない範囲で生活リズムを改善し、徐々に通所することに慣れていって……小さなことですが、それができただけですごく嬉しかったし、自信につながりました。

実は、大切なのは難しくて大きな一歩じゃなくて、“小さくても堅実な一歩”だったんです。それに気付いた時、今まで避けてきた自分の障がいと焦らずに向き合うことを、初めて受け入れることができました。

成功体験が自信に。そっと背中を押してくれたのは、一緒に歩む職員たち

施設長の根本(右)と、副施設長の齋藤(左)。スタッフの主体性を尊重し、活躍をサポートする

移行支援で少しずつ自信がついた頃、出会ったのがアスタネです。就労に向けての研修などもすごく充実していて、のびのびと考えながらやっている姿が魅力的で。さらに、今の自分に足りない体力面を栽培という業務を通じて強化したいと思い、アスタネに入社することにしました。

アスタネではしいたけを栽培するだけではなく、栽培から販売といったすべての行程に携わります。なので、どのように販売をして、売上を伸ばすか、販売の方法や見せ方についてもスタッフと職員が一緒に考えて、行動しています。

自分は栽培だけでなく、販売用のチラシなど販促物のデザインもしていて、イベントでは接客業のときの経験も生きています。自分自身のスキルや前職の経験を生かせるとは入社当初は予想もしていなかったので、正直今でもびっくりしています。

一方で、「もっと自分の色を出すとしたら何だろう」と、さらに挑戦したいという気持ちもふくらんできて。そんな時に1 on1 ミーティングで職員さんに相談したら、「どういうことをやりたいの?」と聞いてくれました。

「人の話を聞くのがけっこう好きなんです」と答えると、副施設長の齋藤がファシリテーションの本をすぐに渡してくれ、実際に打ち合わせでの議論をファシリテートする機会もつくってくれて。その後は反省会をして、次につなげて、その繰り返し。

自分にファシリテーションやコーチングをするきっかけをつくってくれたように、アスタネの職員さんはスタッフ本人たちが伸びる方向へきっかけをつくり、そっと背中を押してくれます。失敗しても、失敗のままで終わらせずに成功するためにどう動いていくか導く──そういう企業風土が、アスタネにはあります。

アスタネの職員さんは、できないことのほうが多かった自分に、適した実践の場をつくってくれて、一緒に歩んでいってくれました。そんな関係性があったから、成功体験を少しずつ積み重ね、自信を深めながら、やりたいことを形にしていくことができたんだと思います。

社会との“つながり”を通して見えた今の自分

アスタネを「大人として生きていく上で、本当の意味での下地つくりをしてくれた場所」と言う、篠田直樹

アスタネが大切にしているのは、「スタッフと職員のつながり」だけではありません。実は「当事者のスタッフ同士のつながり」が、しいたけ栽培の生産性やスタッフの充実感に大きな役割を果たしています。

正直アスタネに来る前は、障がいのある当事者がつながって、良い結果を残していくというイメージはありませんでした。でも、アスタネのスタッフはお互いを信頼し合っているので、自分がダメな時にダメと言うことができる。自分の弱さを言えるようになって、たとえ業務中に失敗しても、本人に失敗と捉えさせないようなスタッフ同士のフォローが、業務の効率化にもつながりました。

変に気を使いすぎず、作業の時間だけではなくて、プライベートでもスタッフ同士の仲がいい。そういう仲間とのつながり、社会との接点が増えていくことが、充実感の元になっているになっているのかなと思います。

そして何より自分が嬉しいのは、地域の方々をはじめとする、アスタネのしいたけを楽しみにしているお客様の存在です。おいしいしいたけをつくろう!というモチベーションにもなりますし、しいたけ栽培を通じて、自分のスキルが“誰かのため”になっているという喜びを感じます。障がいの発症によって薄れていった、社会や人とのつながりを実感することができるようになりました。

今はアスタネを選ばなかった未来を想像できないくらい、毎日楽しい時間を過ごしています。アスタネにいると、自分が障がい者であるということを忘れちゃうんですよ。妻に近況を報告すると、「本当に障がい者なの?私より健康じゃない?」って言われるんです(笑)

アスタネに入社する前は、病気をいかにゼロにするかとばかり考えていました。今はゼロにすることが重要なのではなくて、いかに今の自分で輝き楽しく働くか、ということに目を向けた方が幸せになれるんじゃないかなと思っています。

疲れてきたら面倒くさがりになる時もあるし、ちょっと陽気になってきたら活動的になることもある。それって実は発症前と一緒で、自分の特性としてあるものなんだと考えられるようになりました。

そうして、これまでは自分のことをあまり好きではなかったけど、今は「そんな自分ってかわいいじゃん?」と自分のことを受け入れて、好きになれるようになりましたね!そうなれたのも、職員や周りのスタッフ、お客様がいたからこそで、ひとりだったらここまで回復することはできませんでした。

これからは自分が誰かのために行動していく番です。障がいを発症した自分だからこそ伝えられる実体験を、障がい者が将来を前向きに捉えられるように発信していきたいと考えています。

そしてゆくゆくは、一人ひとりができることを生かし、できないことをフォローし合うアスタネのような環境を、もっと社会で当たり前にしていきたい。そこには障がい者と健常者という区別もない、みんな違った特性を持っていることが自然に受け入れられる世界が広がっているはずです。

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