社会問題への興味は、子ども時代に芽生えた

私は幼いころから周りの人との違いに悩むことがありました。

勉強やテストは得意な一方で本当に忘れ物や遅刻が多い子どもで……。今思えばADHD傾向があったのだとわかりますが、当時はADHDなんて言葉は聞いたことがありませんでした。親は心配するし、私自身も「なんでできないんだろう」と思わざるを得なかったんです。

そのころから「みんな違うところがあっても、一緒に過ごしていける方がいいな」という考えを強く持つようになりました。

また、社会問題や障がいについて考える機会はとても多い子ども時代だったと思います。

とくにガールスカウトでの活動や、教員だった母親が特別支援の研究を始めたことには大きな影響を受けました。

地域のガールスカウトでは週末に料理教室や、遠足などのお楽しみ会をする一方、世界の難民の現状を学ぶことや募金活動やゴミ拾い、老人ホームの訪問などにも行きました。

小学校中学年くらいになると、ギャザリングと呼ばれる合宿やキャンプに参加するようになります。最初は静岡県西部のギャザリングに参加、次は県全体、その次は東海地方、そして全国キャンプと徐々にレベルを上げていって最終的には海外派遣にも参加しました。

初めて会った子と一緒にキャンプをしたり、環境問題について話し合ったり、プレゼンテーションをしたりして2泊3日過ごす……ということを繰り返した経験はその後にも生きて、誰とでも物怖じすることなく接することができました。

高校まで静岡県で過ごし、その後アイルランドのダブリン大学トリニティカレッジに進学。ただただ海外へ行きたいというミーハー心もありつつ、当時まだほとんど認知されていなかった障がい児教育や発達障害について研究をしていた母親の影響もありました。

2006年当時は、まだ自閉症という言葉さえ知らない人が多く、「なんか、暗い人でしょ?閉じこもっている人」なんて偏見もありました。研究のための文献はほとんどが海外のもので、母親は研究にとても苦労していました。私が海外で英語を学び、そういった文献を翻訳できたら──と考えてダブリン大学では心理学を専攻することに。

出産をきっかけに転職活動へ、GPとの偶然の出会い

大学を卒業し、帰国してマーケティングコンサル会社に就職しました。

障がい者に関わる仕事に就かなかったのは、私がそういう仕事を「知らなかった」からです。当時の私にとって障がい者に関わる仕事といえば、教員やカウンセラーなど行政職員、NPO、ボランティアなどのイメージのみ。民間でも仕事があることを知りませんでした。

その上、周りが外資系投資銀行や戦略コンサル会社に就職していく中で、私も同じように「もうかる仕事に就かないといけない」という謎のプレッシャーを感じていて。就職活動するときの選択肢に、障がい者に関わる仕事はなかったんです。しかし、その後コンサル会社を辞めて転職した外資系広告代理店で、大きな転機を迎えることになります。

広告代理店に勤めていたころ、世の中はSNS全盛へ突入。TwitterやInstagramではインフルエンサーと呼ばれる人が出てきて、仕事でもSNSを利用した調査や、動画を使った案件が増えてきました。

仕事はとても楽しかったのですが、事情が変わったのは、妊娠、出産をして育休が明けたころからでした。生活のすべては子どもを中心としたペースになり、子どもがいても出産前と同じ働き方ができると思っていた私の考えは見事に打ち砕かれました。

保育園のお迎えのため、16時にはオフィスを出なければなりません。他の社員はお昼くらいからちょこちょこ出勤してくるような環境だったので、雰囲気は「え、もう帰るの?まだお昼だよ」みたいな感じで。お迎えを済ませてから夜の会議に0歳児を連れて出席することもありました。

当時はクライアントを3つ4つ並行して抱えているのが当たり前。育児で制限された時間の中、午前中はシャンプー業界のことを考えて、午後からはインテリア、翌日はファーストフード……。それらすべてに詳しくなければならないし、作業量も膨大で、今の自分に続けられる仕事ではないと思い、転職活動を始めました。

どうせ時間が限られているなら、自分が打ち込める業界ひとつに深く関わりたいと思い、「広報かマーケティング職で事業会社に行きたい」と希望を出しました。

そんな中、エージェントが大量に送ってくる候補の中にGPの名前を見つけたのです。それまで聞いたこともない会社でした。エージェントには障がい者関連の事業に興味があるなんて一度も言ったことはなかったので、本当に偶然のことです。

最初は興味本位で会社を訪ねただけだったのですが、面接を受けながらすぐに「この会社、いいな」と感じました。数日悩んだ末「私、この会社で働きたいです!」とエージェントに伝えたんです。

具体的な決断の理由はいくつかあります。事業内容が自分の興味にとても近く、共感できたこと、いろんなアイデアを出していくことができそうな余地や伸び代を感じたこと。そして、私自身まったく知らなかったGPという会社はもっと世に知られるべきだと思ったし、そのために私のスキルを生かすことができるんじゃないかと考えました。

女性社員がとても多く、障がい者の方も働いている会社のためか、制度が非常に整っていたことも大事なポイントでした。

会社を利用して、社員一人ひとりが活躍してほしい

▲社員総会での司会

2018年2月にGPに入社してから2020年5月現在まで、ずっと広報の仕事を続けてきました。GPという会社や、GPの取り組みをどんどん外に発信していく仕事が主です。

興味があったとはいえ、前職とはまったく違う分野。さらに、広報なので会社のことをきちんと説明できなければなりません。最初は苦労しました。

しかし、この業界は知れば知るほど衝撃を受けることばかり。「B型事業所の平均工賃1万5千円くらいしかないんですか!」とか「20~64歳の精神障がい者は200万人いるのに、そのうち民間で働いている人は10万人しかいないのか!」とか……。

何よりも勉強になったのは、現場へ行って話を聞くことでした。

GPの事業は大きくわけて3つ。障がい者の人材紹介、就労前のトレーニングを行う就労移行支援事業所、しいたけの栽培から販売までを行う就労継続支援A型事業所アスタネです。

人材紹介の社員と飲みに行って話を聞いたり、就労移行支援事業所で行われる企業向け発表会に顔を出したり、施設長にカリキュラムや利用者さんの様子を尋ねたりということはよくやっていました。中でもアスタネには一番たくさん通いました。取材の立会いもありましたが、それ以外にもなにかと機会をつくって様子を見に行ったり、利用者さんと話をしたりしました。

障がい当事者や現場の支援者から直接話を聞くたび、いかに自分がマジョリティとしての自覚を持たないままマイノリティを踏みつけてきたかを思い知らされます。

私は、初めて利用者の方と接したとき、皆さん一人ひとりに個性豊かな人生があり、キャリアやスキルも非常に多彩であることに驚きました。そして「ああ、私は心のどこかでこの人たちを “自分とは違う、助けてあげなければいけない人たち” だと思っていたのだ」と気付かされたのです。

今も、配慮の足りなさに厳しく指摘を受けることはあります。そのたびに謝って、反省して……。でも、こんな機会をもらえたからこそ、私は自分の中の差別心や偏見に気付くことができるんだと思い、感謝しています。

そういった経験や知識を増やしながら、広報として取り組んだのはGPの社員一人ひとりに、イベントの登壇や取材の依頼がくるようなしくみづくりでした。

これからやってくる個人の時代で、GPという組織の構成員としてではなく、GPを利用してどんどん社員一人ひとりが輝いていける機会を増やしたいんです。それがGP全体のためにもなると思っています。SNSをあまりやっていなかった社長にも提案して、発信をしてもらうようにしました。今は、社外で活躍している社員も大勢います。

登壇や取材も、以前は社会福祉の分野でよく取り上げられていたのですが、最近ではソーシャルビジネスや会社の働き方という部分にフォーカスしてもらえることが多くなりました。もちろん私の力だけでなく時流に助けられた部分も大きいと思いますが、今伝えたいことを伝えられる取材が増えたと感じています。

「知らないこと」によって、民間企業で社会問題解決に取り組むという働き方を選択肢に入れられなかった、かつての私のような人にも、GPの取り組みが届けられるといいなと思っています。

働きたい人は働ける、選択肢の多い社会を目指して

“働く“ことで社会とつながる感覚が生まれるのはとても大事です。それは自分自身、育児を経験することであらためて感じたことでもあります。

金銭的な契約をした上で、責任を持って自分の役割を果たす。自分で稼いだお金の中から納税したり、生活したりする。そのことがもたらす自己肯定感って、すごく大きいんです。

たとえば、週に1時間だとしても、民間で働いて自分が稼いだそのお金から納税できることを喜んでおられる障がい者の方はとても多いんです。

だから働きたい人は誰でも働けるような世の中であってほしいけれど、2020年現在、この国には、働きたくても働けない人たちが大勢いるのが現実です。

日本の多くの職場が「健康な成人男性」だけを想定したしくみで回っていることが原因のひとつだと私は思います。そういう状況では、多くの人が社会から弾かれていきます。この社会は本当にいろんな人で構成されているし、誰がいつどんな状況に置かれるかもわかりません。それなら、すべての人が働きやすい、生きやすい社会であるに越したことはないですよね。

それには、選択肢がたくさん用意されていることが大事だと思います。画一的な価値観にとらわれず、多様性がある社会。結婚してもいいし、しなくてもいい、同性であっても法律婚という選択肢を選んでもいいし、選ばなくてもいい。子どもは産んでもいいし、産まなくてもいい、養子を迎えたっていい。働きたい人は働けて、少し休みたい人は安心して休める。

働き方にも選択肢は多い方がいいです。たとえば障がいのある人が短時間だけ働けるスキームができれば、それは育休中に1日1時間だけ働きたいという人にも適用できます。マイノリティの働き方に多様なロールモデルができると、相互作用で多くの人が働きやすくなると思うんです。

働きたい人みんなが自分らしく働けること──

そのために選択肢の多い社会の実現に向けて、常に、私自身の役割はなんだろうかと自問しながら、これからも全力で取り組んでいきます。