あらゆる速さで勝つーー上場を果たし、アジアを本気で獲りにいくジーニーの目論見

頭打ちになる英語圏ではなく、成長著しいアジア圏へ。世界中にインパクトを与えるべく、まい進している私たちジーニー。2017年12月、東証マザーズ上場も果たしましたが、ここまでの道のりは紆余曲折の連続。そんな私たちのこれまでとこれからを、経営企画室室長 取締役の廣瀬寛と共に振り返ります。
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1000%達成した営業マン、元はクリエイティブ志望

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▲2017年12月、マザーズ上場時の模様です

ジーニーの創業時からのメンバーである廣瀬は、代表取締役の工藤智昭と同じリクルートグループ出身。クリエイティブ職への憧れから、リクルートグループの制作機能会社であったリクルートメディアコミュニケーションズ(現リクルートコミュニケーションズ)へ新卒で入社しました。

当時のリクルートは、新卒の社員はまず本社で営業を経験してからスタートするのが通例。廣瀬はアドオプティマイゼーション推進室に営業として配属となり、ネット広告をはじめとする新規事業に携わることになったのです。

廣瀬 「工藤とはその部署で出会いました。若くして事業開発の担当をしており、メンバーを率いながら推進していくその様には畏敬の念を抱きました。
僕はというと、そのチームの営業担当として、SSPのサービスを媒体に案内し、リクルーティングをするという営業をしていました。大型 SNSや動画サイトへの導入に成功し、目標額に対して 1000%の達成をしたこともありました。全社で表彰もされて……気分はよかったですね」

廣瀬が担当した商材はアドネットワーク。個別に売り買いしなくてはならなかった広告枠をとりまとめ、複数の広告主とマッチングするこのビジネスは、当時まだ新鮮で、媒体社にとっても広告主にとっても魅力的な商品だったのです。

そこでアドテクノロジーの面白みに目覚めた廣瀬。研修期間が終わっても配属予定のクリエイティブの部署には戻りませんでした。廣瀬を踏みとどまらせたのは、営業成績のよさだけではありません。もともと持っていたクリエイティブに対する考えが、大きく変わったことです。

廣瀬 「コピーライターとかデザイナーとか、そういうクリエイティブ職を漠然とやりたかったんですが、この仕事を経験して、インターネットの世界で新しい事業自体をつくっていくことの方が、よほど創造的でクリエイティブだと思い直したんです。
また、個人・法人関わらず、どのメディアさんもクリエイティブで面白いビジネスに取り組んでいるが、お金儲けには苦戦されていることが多い。すごく面白いことをしているのに食べていけない、という人もいました。だから、広告によるマネタイズが成功すると大変喜ばれますし、それが僕の生きがいになりつつあったんです」

どんどん進化していくアドテクノロジーの分野での経験は、廣瀬のクリエイティブに対しての概念を大きく変え、進むべき道さえも変えていったのです。

心に火を点けたシリコンバレー発のサービス。そしてジーニーへ

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▲こちらは2011年に入社した直後の廣瀬

その後、チームを率いていた工藤がリクルートを離れ独立し、アドネットワークの部署は解散に。廣瀬自身はネット広告の分野で近しい事業を担当していたものの、「納得できる仕事がしたい」という思いは常に持ち続けていました。

廣瀬 「工藤の独立後、新たな広告サービス開発に携わる中で、シリコンバレー発の広告プラットフォームである『 Right Media』というサービスに触れ、大きな衝撃を受けました。
『本場のテクノロジーはこうも違うのか!』と感じたんです。アドネットワークの事業に携わっていた際に『こんなことができたら』と思っていた機能がことごとくあった。いいものに触れると、自分でやりたくなってしまうのが男の子じゃないですか(笑)?」

しかし、当時はリクルート自体がデジタルシフトをしはじめた頃で、アドテクノロジーを専門とするエンジニアはおらず、また、デジタル人材も枯渇していました。夢を共有し合える環境も少なかった。廣瀬は「自分たちでつくりたい」という思いを強くしていきます。

廣瀬 「高度経済成長前後の日本は自動車産業とともに発展していきました。その背景にあったのは、海外のテクノロジーに魅せられたビジョンある日本人が、より素晴らしい MADE IN JAPANの自動車を世に送り出したからです。
今、日本の成長は鈍化していますが、高度経済成長期のような熱狂を ITなら同じように生み出すことができるのではないか。アドテクノロジーのビジネスが好きな人たちと、競争力の根幹となるものを一緒につくり、世界中の顧客に誇れるサービスをつくりたい、そう思ったんです」

そして廣瀬は決断を下します。媒体側が広告枠を売りに出すシステムSSP(Supply Side Platform)を担う事業のメンバーとして、2011年4月、ジーニーにジョインすることになりました。

事業において致命的ともいえる障害が……それを救ってくれたタフなメンバー

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▲常に現場の最前線でメンバーを引っ張り、上場へと導いてきました

満を辞して入社した廣瀬。しかし、当然ながら事業はプロダクトも何もない状況からのスタートでした。まずはサービスとして顧客に提供できるものを、内製機能と他社サービスの代販とを組み合わせて、いわゆる“ツギハギ”で実現していくことを目指します。

廣瀬 「ツギハギで何とか顧客に満足してもらえるレベルのサービスを形づくり、事業を伸ばし、その収益を元にプロダクトへの投資を進め、競争力を生む差別化機能を内製し、そして顧客を広げて事業を伸ばす、というリーンなサイクルを繰り返す。 1年以上のスパンで徐々にサービスのレベルを上げていったのが初めの頃でした」

ところが、ここで思わぬトラブルが。ツギハギのままにしていた箇所が大きなトラブルを引き起こし、広告配信がストップするという大規模な障害が起きたのです。

廣瀬 「広告を配信するサービスなので『配信されない』というのは最悪とも言える障害です。当然、一時的にお客さんがゼロという状態になります。数日で障害復旧はしましたが、より抜本的なプロダクト開発を行ない、自分たちの力を主体としたサービス提供を実現することが重要だと理解しました」

一時的に取引がストップしただけではなく、契約を打ち切り離れていく顧客も少なくありませんでした。退職していく社員もいました。

廣瀬 「そこで残ってくれたメンバーは、現状の幹部層を担うほど責任感の強い人たちが多いですね。当時、新卒として入社して残ったメンバーもタフ。障害で電話が鳴り続けているのを目にして『こういうゾクゾクすることを求めていました』と言っていましたし(笑)
でも本当に彼らがいて助かった。会社としてもトラブルは現場のせいじゃない、だから最大限の評価をさせてもらいました」

2017年の12月、ジーニーは無事にマザーズ上場を果たしますが、ここまで決して順風満帆で成長してきたわけではありません。「ジーニーの負の時代」を乗り越えてきたメンバーが、会社の窮地を救ってくれたのです。

四半期の見直し、プロダクト連携……正直、勝てる自信がある

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▲工藤(中央)、吉村(右)、そして社員と見る夢はどんどんと膨らんできています

ジーニーの強さは、負の時代を乗り越えてきたタフなメンバーがいるということだけではありません。

通常の会社の場合、1年に一度ないし6カ月に一度での振り返りが基本ですが、ジーニーは3カ月単位であらゆる見直し、そして評価を行なっているのです。

廣瀬 「我々の業界は、凄まじいスピードで進化しています。だから、ジーニー全体としての中長期的な計画はもちろん存在するものの、短期的な事業の目標や個人の評価は、四半期に一度の短いサイクルで定期的に見直しをかける体制にしています。仕事は 1日の多くの時間を投下するわけですから、真剣に取り組めた方がいい」

四半期ごとにタイムリーなゴールを設定するから、「何を目指しているかわからないのに、とりあえず目の前の仕事をこなす」という状況が生まれません。それぞれのメンバーが「何のためにこの仕事をやるか」を明確にし、それを会社全体で束ねるのです。すると自然と、組織全体がひとつの方向へと進んでいく。

プロダクトのラインナップも強みのひとつ。国内トップシェアのSSPに加え、広告主側のDSP(Demand-Side Platform)やDMP(Data Management Platform)を自社開発しており、パブリッシャートレーディング(広告の運用やデータ分析、商品設計や販売といった、媒体社の広告関連業務全般のサポートと自動化を行なうサービス)でのマネタイズ支援も可能。時には個別の媒体社、広告主向けに、広告プラットフォームをOEM提供する事例や、広告配信ロジックのカスタマイズまでを行なう事例もあります。

廣瀬 「プロダクトは、海外にもローカライズして展開しています。直近では、アジア No.1に強くフォーカスしています。英語圏の市場と異なり、東南アジア、中国やインドなどの経済は、これから加速度的に発展していくはず。シリコンバレーのプレーヤーより強いものをつくって、日本、そしてアジアでシェアを取っていきたいと考えています」

株式上場も果たし、アジアへと照準を合わせたジーニー。ただ、廣瀬が目指すもの、それは入社を決めたあの日から変わることはありません。

廣瀬 「基本的には、顧客と媒体者をテクノロジーでつないでいくのが僕らの仕事。ステークホルダー全員がハッピーになるのが理想。考えは極めてシンプルです。
デジタル広告市場そのものも拡大基調にあり、我々のマーケットシェアも上がっている。テクノロジーそのものの発達とともに、今はまだ十分にデジタル化されていない市場や業務がこれからますます最適化されていく。
創業当時はともかく、今のジーニーで僕らがやるべきことをやり遂げたとしたら、日本のアドテク業界全体や、ひいては世界のアドテク業界での成功事例になりうる。それくらいの可能性を持っています。世界に残るような功績を、ジーニーでつくっていきたいですね」

20代前半に世界最先端のアドテクノロジーに触れた感動を原体験に、自分たちのサービスで、それ以上のものを、もう一度追体験したい。素晴らしいサービスを世界中の顧客に届け、彼らに感動をしてもらいたい――その情動が、廣瀬を突き動かしているのでしょう。

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