全ては幼少期に感じた“人生の儚さ”からはじまったーー ジーニー、驚異的な躍進劇

新卒で入ったリクルートを入社4年目に退職。そして2010年に創業した株式会社ジーニーは、たったの7年間で売上高100億円を超え、シンガポール、ベトナム、インドネシア、タイ、中国と5か国へ次々に展開。この驚異的な急成長を遂げた理由は何か?創業者であり代表取締役社長の工藤智昭の原体験から紐解きます。
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幼少期に知った、ビジネスの楽しさと人生の“儚さ”

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▲大学時代の起業からリクルートでのさまざまな経験を経て、2010年にジーニーを創業した工藤。
ビジネスとは、みんなが幸せになるものーー。

ジーニーの創業者、工藤はそう捉えています。工藤の脳裏に、これを圧倒的に焼き付けたのはふたつの原体験。ひとつは祖母の営む農家での体験でした。

祖母は春の七草を栽培し、1月7日の七草粥にあわせて、生の七草をパックにして販売。年末年始にはアルバイトを何十人も雇い、工藤一家も借り出され一緒にパック詰めし、トラックで出荷する。幼い工藤にとって、それは楽しく面白い体験でした。手伝いは大学に入るまで続きます。

工藤 「ビジネスって楽しいんだと思いました。給料日にはアルバイトの方たちに感謝されて、お疲れさまと言って、最後にみんなで食べるお寿司も美味しかった。働いている人みんなが健康で、幸せそうでした」

祖母の事業は年々拡大し、それまでの手作業がベルトコンベアにとって変わるほど。最後には神奈川でシェア上位になり、高収益をあげていました。工藤はビジネスの“すごさ”を感じました。

もうひとつの原体験。これは幼い頃、ぜん息で身体が弱かったこと(現在は、水泳やヨガ、ゴルフといった運動習慣の甲斐もあって、社員が驚くほど元気です!)

工藤 「発作で入院したり、夜眠れなかったり……。そんなときは朝までずっと自分の人生をどう生きるか考えていました。幼稚園ぐらいでしたが、“人生は儚いし、いつ死ぬかもわからない。一度きりの人生、とにかく生き抜かなきゃ”と強く心と身体に刻まれました」

工藤はその儚さを、けっして忘れませんでした。そして時はたち、大学時代にSEO対策の会社を起業、全力で事業に打ち込み、まもなく成功させます。

工藤 「自分が学んださまざまな技術をビジネスに転換すると、想像以上に人に喜ばれ、対価として収益を上げられるとわかりました。テクノロジーで世の中を変えることもできると感じたこの体験は、強烈で面白かったです」

同時にGoogleやFacebookのような“超巨大企業”をつくる大変さにも気づきます。同じビジネスでも、まったく違うーー。工藤はあらためて世界を変える仕事がしたいという思いに取り憑かれます。そして大学卒業後、選んだのは、ある企業に就職することでした。

リクルートです。

今の工藤の在り方を築いた、リクルートでの濃密な4年間

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▲創業期メンバーである廣瀬(左)、吉村(中)とは何度も議論を重ね、会社を引っ張ってきました。
入社後は新規事業を立ち上げる部署に配属され、事業の作り方や考え方を学びます。リクルートではSUUMO、ホットペッパーやじゃらんの成長から数百億円規模の事業のマネジメントプロセスを間接的に知ることができました。何よりよかったのは自分が担当する事業のフィードバックを、当時役員だった本田浩之氏や峯岸真澄氏(現CEO)からもらえたことでした。

工藤 「本質的なアドバイスが多かった。手法とかどう儲かるかより、何のための誰のための事業か?を毎回(笑)質問されました。おかげで抽象度の高いことを考える癖がつきました」

入社当時、周りから言われて記憶に残っているのは、誤解を恐れず言うと「他の会社では、みんなダラダラ働いているぞ」という言葉。リクルートでは当時は7割近くの社員が情熱的に働いていました。

当時の同僚、Kaizen PlatformのCEO須藤憲司氏やGREE Venturesの堤達生氏とは集まるとアメリカのGoogleはどうだ、あの会社の戦略はどうだとか、そんな話ばかり。みんなビジネスに真剣でした。

工藤 「“人生一度きりだから”仕事を真剣にやろうという人たちが多かった。そんな風に働ける仕組みや創業者江副浩正氏の考え方に触れられたこともよかったです」

刺激的な毎日のなかで4年が経過。いよいよリクルートを離れるときが訪れます。ジーニーの創業です。

工藤 「一種の勘でしたが、日本のアドテクノロジー市場はこれからどんどん伸びるだろうなと。それなら今がタイミングかなと」

2010年4月、幼いころから持ち続けたビジネスへの想いが、本格的に動きはじめました。

逃げずにひとつずつ乗り越える、辛くてもやる。そこに成長があるから

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▲創業期の新橋オフィス。当時はまだ10名強でした。2017年9月末現在、235名まで増加しています。
ひとつ不満がありました。リクルートでは人事を動かせないことです。工藤の理想とする“すごい事業”をつくるにはテクノロジーを究めないといけない。「世界に通用する製品を目指すなら、自分と志を共にするエンジニアが必要」と考える工藤にとって、人事もコントロールできる自分の組織が必要でした。それも創業の理由。

創業後は、けっして順風満帆ではありませんでした。しかし多少の大変さは、すでに事業の立ち上げを経験していた工藤にとっては想定内。そして大きな山は創業4年目にやってきます。人が増える時期と、相次ぐシステムのトラブルが重なったのです。退職者もでました。

でも、これは成長途上のひとつの課題、つまり壁のようなもの。どこの会社でもあるものですし、確実に乗り越えられる壁だと捉える社員が大半だったと工藤は確信しています。そう、大事なのは、自分たちがどこに向かっているか、ビジョンの共有。

ただ、工藤はこのトラブルを一般的にみるとかなり独特な方法で解決します。

工藤 「トラブルが多く起こって業績も一時的に下がりましたが、ほとんどの人の査定を100%にしました。システムトラブルは誰のせいでもないし仕方がない。とにかく、その状況が解消されればいい。
減給して解消されるなら下げますが、それはありえない。ただでさえストレスフルなのに減給は事態を悪化させかねない、だから営業のインセンティブもあえて倍増。どんどんお金がなくなっていくから、やばいなと内心は思っていました(笑)」

とはいえ、当時のジーニーは1.5倍の成長率。前年までの2倍、3倍ペースと比較するとペースダウンですが、一定期間給料を上げてもペイできると計算済みです。そのうえで前向きに課題に向かう。これが工藤のやり方なのです。

そして……、大半の社員が乗り越えられると信じていたとおり、事態は収束しはじめました。ジーニーは社員全員が共有する目標に向かい、成長のスピードをさらに加速させます。その目標とは「アジアNo.1の企業になる」という、創業4年目の会社にとっては一見難しいと思えるようなもの。ジーニーにとっては、難しいからこそ目標としてチャレンジする意味があると考えているのです。

世の中も社員も経営者もみんなが幸せ。ビジネスの醍醐味はここにある

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▲2017年9月、社員によるサプライズで工藤の誕生日祝いをしました。
アジアNo.1。これが、現在(2017年)のジーニーが掲げているもの。

ジーニーの定義するアジアNo.1とは、まず日本国内と東南アジアで圧倒的なシェア1位の座につき、周辺国でもシェア上位にランクインすること。工藤は「達成できるという感覚は、年々確信に近づいていく」と断言します。

そこには裏付けがあります。工藤は現地でパブリッシャーと直接対話し「何を使い、何に悩み、何をしているのか」を自分の耳で聞いているからです。一度の海外出張で話が聞けるのは15社程度。しかし、それを丁寧に繰り返し1国で100社以上にヒアリングができれば、精度の高いニーズを握ることができます。

そこで得たニーズを満たすためにプロダクトのアップデートを重ねれば、確実にシェアがとれるはずだし、そこに至る道筋もアップデートされ続け洗練されるーー。地道な裏付けがあるからこそ、確信できるのです。

工藤 「ただ、アジアNo.1は通過点。創業当時から変わらないのは、世界的なテクノロジー企業を創りたいということ。その想いはどんどん強くなっていて、最近は365日会社のために時間を使っている状況です。1兆円規模の会社を創るには本気にならないと、と思って」

さらに、工藤は何より夢のある会社にしたいとも。それは、経営者として社会から期待されていること、社員のやりたいこと、経営者のやりたいことの全てを叶えられる会社。言い換えれば、世の中も社員も、経営者もみんなが幸せと思えることかもしれません。まさに、工藤が幼いころ、祖母の農家で見た、みんなが楽しく幸せな姿。

「ビジネスは、みんなが幸せになるもの」——。それを、ジーニーは体現しようとしているのです。

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