“はじめて”をチャンスに――かつては挑戦をおそれていたエンジニアの軌跡

ベトナム出身のエンジニアNguyen Viet Dung(グエン・ヴィット・ユン)。学生時代に日本の技術、カルチャーに惚れ、日本へやってきました。彼はなぜアイデンティティーへ入社したのか。そしてそのなかで何を感じているのでしょうか。懸命に仕事と日本に向き合う彼の姿に迫ります。

ただ嬉しかった、この気持ちひとつで決めた道

▲高校時代、この時すでにエンジニアになることを決意(写真:中央下段)

2018年11月に名称を変えた、エンジニアやクリエイターのためのIT/Web業界に特化した転職求人媒体「techcareerシリーズ」。2018年現在、8つのサービスを展開しています。

その媒体の開発、メンテナンス、エンハンスを主に行ない、同時にベトナム支社の開発チームにも携わっているのがベトナム出身のエンジニア、ユンです。彼がエンジニアになりたいと思ったきっかけは小さなことでした。

ユン  「10歳ぐらいの頃から、簡単なことだけどパソコンの修理をしていたらよく母に褒めてもらえたんです。その時、すごく嬉しかったのがエンジニアを目指したきっかけのひとつですね。あと、小さい時からゲームが好きでそこからパソコンを好きになったというのもあります」

高校へ進学した頃にはすでにエンジニアになることを決意。ベトナムのハノイにあるFPT大学へ入学してからは、ソフトウェア工学学科にて本格的にソフトウェアエンジニアリングを学びました。こうしてエンジニアになるための一歩を踏み出したのです。

ユン  「FPT大学は通っている生徒の多くがエンジニアになる大学で、私はそこでソフトウェアエンジニアの基礎的な知識を学びました。多くの授業の中に、日本語の授業があったんです。
授業が面白くて日本に行くことを考えるようになりました。元々、日本のアニメやゲームが好きで、初めて見た時にクリエイティブですごいと思っていたんです。
その影響もあってますます『日本に行きたい!』という思いが強くなりました。ベトナムでは、日本は技術も人間もとても人気なんです。その背景には歴史的理由があるんですが、なによりモテるからっていう理由もありました(笑)」

論文では、日本語のeラーニングシステムをフルスタックで行ない発表したユン。その際にフロント開発や、ユーザのUXの考え方に触れ、面白さを感じました。

日本の技術にも、もっと触れたいという気持ちがさらに強くなっていったのでした。そしてこの気持ちを胸に、大学卒業後にはベトナムを旅立ち、日本の語学学校へ入学することを決意するのです。

日本に来てからは“はじめて”の連続だった

▲語学学校時代の友人たちと(写真左端がユン)

日本語学校へ入学したユンは、人生で初めての日本での生活をスタートさせました。

ユン 「最初はやっぱり大変でした。特に電車の乗り換えがまったくわからなかったんです。人も多くて路線も電車の種類もいくつもあって……。学校から家まで帰る時に、本当は各駅停車に乗らないといけないところを急行電車に乗ってしまって、埼玉県の方まで行ってしまったことがありました。

困っていたら、日本人の女性が助けてくれて、そこから片道1時間ほどかかる家の最寄り駅まで送ってくれたんです。その優しさにとても感動して、それからもっと日本人が大好きになりましたね」
ユンが通った語学学校の中には、IT用語に特化したクラスがあったため、そこで日本語とITについて学びました。在学期間は1年間。来日してまもなく、今度は学生のころから憧れていた日本での就職先を探すことになります。しかし、まだ日本語もうまく話せない状況で、単身就職することに二の足を踏んでいました。

ユン 「その時、アイデンティティーに就職が決まっていた語学学校の友人の紹介で、アイデンティティーと出会いました。まだ今のように社内に海外人材がいなかったんですが、みんな僕のあまり上手じゃない日本語をきちんと聞いてくれて、ゆっくりと話してくれた。

人の温かさを感じたんです。他社からも内定はいただいていたんですが、まだひとりで就職する勇気が持てず、友人と一緒に入社することを決めました」
当時はまだ22歳、人生初の就職でまだ日本に完全には馴染めなかった時、ユンは自分が安心できる場所を選んだのでした。入社してから、不安だったコミュニケーションも、メンバーが日本語や関西弁を教えてカバーしてくれ、日に日に社内へも馴染んでいきました。

ユン 「入社してからは、ベトナムとの働き方の違いを感じました。ベトナムでは日本のように長時間働くことはありません。でもそこで諦めないで、これはチャレンジだって思うようにしたんです。学生からエンジニアになった同い年の日本のエンジニアも一生懸命働いていて、ここで頑張ろうって強く思いました」

大変な時にやる気をくれる、もうひとりのエンジニアの存在

▲現在まで二人三脚で歩んで来た。写真右が同期のエンジニア、塩野託麻。

日本での生活にも業務にも慣れてきた、入社から1年と少し経った2018年1月末の頃、ユンの入社のきっかけになり、頼りにしていた友人が退職しました。

ユン 「その時は、すごく寂しかったし悲しかったです。一瞬、自分もやめようかと考えました。でも、フレンドリーで人が温かいここの環境が好きだったんです。

また、同じく新卒で入社したエンジニアの塩野託麻の存在も大きかったです。ネガティブな気持ちになってしまうことも何度かありましたが、彼の仕事に向かう姿勢に励まされました。

当時はもう僕と同い年の塩野くんしかエンジニアがいなくて、彼のやる気に助けられた部分も大きくありました。厳しい指摘を受けることもあるけれど、それはちゃんと信頼されている証拠だと思っています」

直接支えてくれたわけではないけれど一緒に働くことでやる気をもらい、彼からここでやり抜く力をもらったといいます。そこから社内でたった2人のエンジニアとしての生活がはじまりました。

ユン 「2人だけの時は毎日が戦いのようでした。仕事は多いのに2人しかいなくて、仕事の振り分けが大変だったことを覚えています。経験が浅くプロジェクトの管理もしづらくて、時間はかかるし仕事は多いし、締め切りに間に合わないことも多くて……」
「もっともっと成長したい」というユンのやる気がなくなることはありませんでした。大きなプロジェクト業務を担当したり、ベトナムにできた支社とのブリッジSEとしての業務も行なったりするようになり、その経験すべてが彼のやる気につながっていたのです。

走り続けてきたからこそ見出せた光

ユンは2018年11月で入社から3年目を迎えます。頼りにしていた友人がいなくなってからは、自身のやる気と努力で仕事と向き合い、仲間とともに歩んできました。エンジニアは現在は3人になり、同期の塩野ともに中核となり、ベトナム支社のエンジニアとの架け橋にもなっています。

ユン 「ブリッジSEとして、しっかり架け橋になれるようになりたいですね。もっと日本の働き方や文化を身につけて、大好きなふたつの国のいいところを広げてシェアしたいんです。そしてベトナムの人にも、もっと日本に来てほしいと思います」
今リリースしている、海外人材をマッチングするサービス「techcareer overseas」の開発にはユンのそんな想いも詰まっています。日本に来て、変化と激動の2年間を過ごしたユン。やる気に満ちあふれた彼はこう語ります。

ユン 「日本に来て初めてのことがたくさんありました。初めてだから、怖いと感じることもたくさんありましたね。でも、それを乗り越えて、自分で成長できる術に気づくことができた。はじめてのことは怖いことじゃない、チャンスでしかないんです」
そこには、安心できる場所を選んでいたかつての彼の姿はもうありません。彼は今日もエンジニアとして、大好きなベトナムと日本の架け橋になるべく走り続けています。

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