時代の流れと共に変化する経営課題——その解決の裏には、いつもエンジニアの存在があった

1994年に創業した、IDOM。約20年以上にわたって、安定的に事業を運営し、成長し続けられた背景には、エンジニアたちの奮闘があります。彼らはどのようなことに、どう取り組んできたのか。IDOMのエンジニアの軌跡を、情報システム部門 開発・保守セクションのリーダー上谷信太郞とともに振り返ります。

トライ&エラーであらゆる課題に挑んだ1990年代、インターネット黎明期

▲1996年、ドルフィネットの記者発表。テクノロジーの力なしで、これまでのIDOMの発展はありえません

マイクロソフトが開発したOS「Microsoft Windows 95」が発売され、世の中で“インターネット”という言葉が使われはじめた1995年。

IDOMのエンジニアの歴史は、ネット黎明期まで遡ります。まだテクノロジーが一般に浸透していないインターネット黎明期の中、積極的にサービスの開発に着手。1996年に衛星を活用した車の画像販売システム「DN(以下、ドルフィネット)」の開発、1997年には顧客管理・営業支援システム「APS」の開発をスタートさせます。

当時、まだ世の中では画像だけで車を売ったり、インターネットで顧客管理をするなど考えられなかった時代。その頃からIDOMは経営と一体となっていち早く挑戦したのです。

ただ、当時は社内にエンジニアが少なかったこともあり、開発は外部のパートナー任せでした。かくいう上谷も、実は外部のパートナーとして、IDOMの仕事に携わっていたのです。

上谷「確か1999年頃だったと思います。別の会社から引き継ぐ形で、自分がAPSの開発を行うことになりました。当時は4〜5割の完成度でいいからリリースしよう、という感じで。かなりチャレンジ精神に溢れていましたね(笑)。今ではリーンという概念がありますが、当時としては、かなり挑戦的に映ったのを覚えています」

いかに早くリリースできるか、そのため、β版で出すことが当たり前の現代。しかし、IDOMはネット黎明期にもかかわらずリリース後に修正し、ブラッシュアップしていくスタイルをとっていたのです。とにかくトライアンドエラーを繰り返していました。

ドルフィネットやAPSをリリース後も、組織内におけるプライベートネットワーク「イントラネット」を開設したり、車検一括見積サイトをリリースしたりと、社内外問わず、新しいことにどんどん挑戦。それに伴って、社内のエンジニアも少しずつ増えていきました。

上谷もそのうちのひとり。委託での業務を経て、2004年にIDOMに入社することに。

上谷「昔よりは体制も整いはじめていたのですが、チームというよりは高いスキルの個人がそれぞれ働いていた印象で。それぞれが要件定義や基本設計の一部など開発の上流工程を担い、あとは外部に依頼していました」

そうした背景もあり、当時、社内では「エンジニアのいる部署はオペレーションを担当するところ」という捉え方をされていたのです。

2012年、デジタルのうねりが発生。エンジニアが事業の主役に

▲昔の査定部がこちら。紙ベースで情報が集約されるため、タイムラグが生じていました。それを今はiPadの導入で解決しています。

そうした社内のエンジニアに対する捉え方、あり方が変わりはじめたのは2012年頃。ちょうど、世の中に「デジタルマーケティング」という考え方が根付き出したタイミングでした。

そうした時代の変化に、IDOMは対応。日々目まぐるしく進化するデジタルマーケティングの世界に、日本でも有数の規模をもって積極的に取り組んだ結果、社内におけるエンジニアの役割も変化しはじめます。

上谷「50歳、60歳になったときに、エンジニアとして“技術”のスペシャリストを目指すだけでいいのか。ふと自問してみて、はっきり『YES』と言えない自分がいた。
であれば、ビジネスサイドの考えも理解できるエンジニアを目指そうと思い、手はじめにデジタルマーケなどについても知識をつけようと思いました」

上谷が自身のキャリアについて決断を下したタイミングから、今度はデジタルデバイスにも革命が起こります。そう、パソコン、携帯電話から、スマートフォンやタブレットへの移行です。

販売チャネルもECが主力になっていく中で、何か改善できるものはないか——そうした問題意識もあり、ビジネス機会の最大化、社内の効率化を図るために、エンジニア主導でシステムの改修や新たなツールの導入を推し進めていきます。

その具体例が、今まで紙でやっていた中古車の査定をPCとiPadで行えるようにしたこと。その結果、5人分以上の査定工数を削減することができ、かつ1査定のスピードも10分以上短縮されたのです。この業務改革を機に全社的にiPadが導入されることとなりました。

また、国内でもまだ導入企業がほとんどいないタイミングで、社内のメールシステムを「Gmail」に変更したり、社内コミュニケーションに「LINE WORKS」を活用したり……。 国内外のサーバーをAWS(Amazon Web Services)に移行したのも2012年、と業界的にも早いタイミングでした。

上谷「最初は新しいツールを導入するにあたって反発もありましたけど、社内には『ごめん』と言えば何とかなるので(笑)。時間の経過とともに現場にも受け入れてもらえましたし、実際、仲間の業務はかなり効率化できたと思っています」

インターネット黎明期からの開発を経て、エンジニアに対するイメージも変化。どんどん社内で新しいことに取り組める土壌が出来上がっていったのです。

IDOM(挑む)という社名に偽りはない。AR、VR、そしてAI

▲NORELチームは昼夜、職種を問わず、さまざまな壁を超えてサービスのブラッシュアップに挑んでいます

技術革新のスピードが加速度的に早まったことで、AIやVRなど、新たな技術が次々と誕生。それに伴って、ここ数年、社内での新たなチャレンジも増えています。その一つがマシンラーニング。IDOMではこの技術を活用し、査定AIの開発にも着手していたのです。

上谷「既存のシステムにAIや機械学習などの新しい技術を取り入れてみたら、どうなるのか?IDOMのエンジニアはみんな、新しいものが好きなので、エンジニア発でいろんな取り組みが生まれていっています」

もちろん、すべての取り組みが上手くいくわけではありません。例えば、査定AIに関しては途中でプロジェクトがストップすることになりました。しかし、その理由を振り返り、再開時のネクストアクションを丁寧にあぶり出したことで、必要になったタイミングにスムーズに再開できるよう、社内の仕組みも少しずつ整備されているのです。

また、既存システムの改修だけでなく、新規事業の開発にも積極的にチャレンジ。個人間でクルマ・中古車を売買できるサービス「ガリバーフリマ」や、月額定額制のクルマ乗り換え放題サービス「NOREL(ノレル)」などの新サービスも開始。自動車業界を顧客視点で新しく変えていくべく、さまざまなことに挑み続けています。

“カイゼン”しがいがあるサービスがまだまだ、IDOMにはある

▲左が上谷。外部での関わりから含め、約20年。IDOMの進化を見続けてきた一人です

新しいサービスが生まれる一方で、IDOMには20年以上の歴史を紡いできたサービスもあります。そのサービスこそが、これまでIDOMの事業を支えてきたガリバー。国内トップクラスのサービスと、新進気鋭の新サービス、その両方に携われるのが、IDOMでエンジニアとして働く魅力。

上谷「社内には古くなってきたシステムがあって、そこは作り直さなければいけない。当時、技術的にチャレンジできなかった部分も今であれば良い感じに取り組めるんじゃないか、と。いちエンジニアとして、すごくいい舞台が整っていると思っています」

そんなIDOMのエンジニア文化を社内外に認知させる取組みとして、エンジニア部活(仮)の運用もはじまっています。現在、月イチで"勉強会"、誰でも企画OKな"もくもく会"を実施。外部にも公開しており、いずれは開発合宿やミートアップ形式でアイデアソンの開催予定も。

なぜ、部活なのか?それは1人で勉強をするより、仲間とともに知見を深め共有し、一丸となって成長できるような組織にすることを目指しているからなのです。そのため、運営にかかる費用は申請の手間を軽減するために、部費として負担しています。

上谷「ゆくゆくはビジネスサイドも巻き込み、部活がきっかけとなってシステムの改善に繋がったり、新規事業の種が生まれたりすると面白いですね」

今のIDOMには、自ら手を挙げれば、さまざまな角度から新しいことにチャレンジできる土壌があります。そう、この土壌から業界の新たな常識を創出すべく、これからも私たちは“挑む”のです——。

                    

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