アメリカから来日し、エンジニアとしてベンチャー企業での挑戦を決めた理由

アメリカ・ミネソタでの大学時代、「日本人の友人たちがどんな国で育ったのか見てみたい」という夢を抱いたBackes Grant(バッカス・グラント)。2014年春に来日し、英語教師から念願のエンジニアの道へと舵を切った彼が、プログラミングに対する熱い想い、カエタルとの出会い、今後の夢について語ります。
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「プログラミングをもっと深く知りたい」 夢を見つけた大学時代

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▲大学院生時代は、毎日遅くまでプログラミングの課題に向き合っていた

“If you think of it, act on it. Don’t be afraid of change”(思いついたらすぐやる。変化することを恐れない。)これが私たちのスローガンです。

私は2018年11月現在、カエタルテクノロジーのエンジニアとして、カンパニーサイトやサービスサイトをつくっています。プログラミングの面白さや魅力を知ったのは、大学に入学してからでした。もしかすると少し遅かったとも言えますし、まだ若いうちに気付けた、とも言えるかもしれません。

きっかけは大学4年生のとき、国際的な研究チームのメンバーに選ばれたことです。その研究は中国で6週間、プログラミングを行なうというものでした。4年間物理学を専攻してきた私でしたが、これがきっかけでプログラミングに夢中になってしまったんです。

中国から帰国後も、より複雑なプログラミングについて知りたいと思い、研究を続けました。もちろん物理学に対しても同じくらいの情熱がありましたが、それまで学んでこなかったことを後悔するほど、プログラミングに没頭してしまったのです。

「きちんとプログラミングを学んでみたい」そんな気持ちが頭をよぎりましたが、もう一度大学に入学して別の学位を取るには、あまりに時間とコストが掛かりすぎると、思いとどまりました。そして自分の本当の気持ちを無視し、物理学の学位で将来設計をしていこうと心に決めました。

そういった経緯があったため、いろいろと悩んだ末、大学院へ進み、機械工学を勉強することにしました。大学院では、できるだけ多くプログラミングに関する授業を取りました。有償の研究ポジションを紹介され、スーパーコンピューターを使ってアルゴリズムを書いたこともあります。

また、シミュレーションに基づく製品開発では、多くのプログラミングを経験しました。機械工学を学びつつも、私が書いた61ページにも及ぶ論文はコンピュータシミュレーションに関するものでした。大学院では最後までコードを書く面白さにのめり込み、「プログラミングをもっと早く知っていれば……」という想いが、卒業後も強く残りました。

そして私は、大学院を卒業してわずか1週間後には日本を訪れ、在住することになります。

訪日を決意させたのは、友人達の母国を深く知りたいという願い

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▲日本の文化に触れる日々

なぜ私が日本へやってきたのかについてお話しします。きっかけは、大学時代にさかのぼります。

私はもちろん日本文化を尊重していますし、実際に楽しんでもいます。ですが、決してアニメや漫画が好きで日本に住みたいと考えるようになったわけではありません。文化、食べ物、歴史など、日本の文化に理想を抱いていたわけでもありません。

大学に入学した当時、何か新しいことをしたいと思っていました。今まで関わったことがない人と関わりたいという想いから、最終的にたどり着いたのが学校の「アジアクラブ」でした。入部してすぐに日本人の部員たちが歓迎してくれ、すぐに仲良くなりました。そして、翌年にはルームメイトになったんです。

大学4年生になると、多くの時間を日本人の友達と過ごすようになっていました。そのうち、彼らがどんな国で育ったのかを自分の目で見たいと思うようになりました。旅行で日本を訪れてみると、たった1~2週間では日本のことを十分に知れないと気づきました。日本のことを深く知るためには、日本に住むしかないと思ったんです。

それに加え、私は19歳の頃から「教える」仕事をしていました。学生時代には、大学1年生を相手に微積分と熱力学を教えていました。私は学ぶことが好きな人間で、理解できるまで何時間でも机に座っていられるんです。同時に、自分と同じように苦労をしている人を助けることも好きでした。その長所を、日本で活かせるのではないかと考えたのです。

「日本が好き」「人に何かを教えたい」この2つが決め手となり、私は日本に行くことになったのです。

英語講師からプログラマーへ 夢を叶えるために走り続けた4年間

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▲入社直後のグラント。プロカメラマンに写真を撮っていただき、HPに掲載しています。

来日してからは、埼玉の高校でALT講師として1年間勤め、その後は東京にある中高一貫校の英語教師として2年間勤務しました。その間も空いてる時間を利用し、web開発やコンピュータープログラミングを勉強していました。

そして次のキャリアを考えたとき、やはりずっと好きで学んできたプログラミングを仕事にしたいと思いはじめました。

2017年、春。本格的にプログラミングスキルを強化するため、オンラインで学ぶことができるBlocに入学することを決めました。英語講師として働きながら、空いている時間でBlocを受講する、という生活を1年続け、卒業が確定。卒業直前の2018年1月から、エンジニアとしての仕事探しをはじめました。

私は独学で日本語を学びました。正直、僕の日本語は「great」ではないですが、「good」だと思っています。友達や同僚に独学で学んだと言うと、みんなとても驚いてくれます(笑)。それでも、外国人の僕が日本で職探しをするのはとても難しいことでした。

職探しをするにあたり、求めていたことが2つあります。ひとつは、プログラマーとして成長できる環境であること。もうひとつは、創業年数が長すぎず、既成概念を押し付けてくる会社ではないことです。

この2つを求めて職探しをはじめた私は、3カ月で約50社に履歴書を送り、約20社の面接を受けました。そして、カエタルと出会いました。

カエタル代表の山中とエンジニアリーダーは、とてもフランクで柔らかい雰囲気を持っていました。私もそれまで受けていた面接とは違い、自分が思っていることを素直に、何でも話せました。

2人の人柄を見ただけで、ここはとてもいい会社だとわかったんです。そして私は、カエタルでエンジニアとしてのキャリアをスタートさせました。

カエタル家族の一員として、さまざまなテクノロジーを日々創造していく

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▲五反田駅と目黒川を望めるオフィスにて日々奮闘中。緑茶を毎日飲んでいます

ほとんどの物語の主人公は、挑戦することは簡単だと思い、いろんなことに挑戦しますが、実際にはことごとく失敗します。その末、努力をし続け成功するハッピーエンドで幕を閉じます。

実際に、私も学生時代に膨大な量の課題に追われ、納得がいくまで取り組みどうしても提出期限に間に合わないなど、失敗することも多々ありました。

日本で社会人になった後も、母国ではない日本に住み働くことで壁にあたることもありました。このような経験から、カエタルでもさまざまな壁にあたるのではないかと少なからず不安がありました。

しかし、カエタルでは困難もありますが、計画どおりに目標を達成することができています。私はすぐにはできないと思っていましたが、カエタルの環境のおかげで目標を達成できたと感じています。

質問があるときには素直に耳を傾け、問題にアプローチするための戦略を話し合うことができる。本当に素晴らしいエンジニアチームと仕事をしていると感じます。小さな会社なので、会社というよりも“家族”のように、いつもお互いをサポートしています。

カエタルで取り組んでいるプロジェクトは実にさまざまで、グループとして提携している上海や北京とも日々連携をとっています。また、カエタルには私以外にも、カナダ人、台湾人などがいて英語や中国語が飛び交うことが日常的です。

私は主な役割は、カンパニーサイトや新サービスのサイトを制作です。先日リリースした新サービスERCLET(アークレット)の紹介サイトも私が担当しています。サービスの顔ともいえるサイトの裏側を制作するとても重要な位置にいることに、とてもやりがいを感じています。

これからさまざまな新サービスのリリースを控えていますが、自分が携わったものを見ると、とても達成感を感じると同時に仲間とやり遂げることに誇りを持っています。

私はカエタルという家族の一員になれたことを、とても幸せだと思っています。 "最先端のブロックチェーン技術で、毎日の暮らしの様々なテクノロジーを創っていく”という夢の実現を、カエタルが手助けをできると私は信じています。

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