自分の命を何に燃やすか?——試行錯誤を経て、故郷で辿り着いた “ 経営者の良きパートナー ” となる仕事

「全身全霊をかけられる仕事をしたい」という思いを持ちながら、天職と呼べる仕事にはじめから就ける人は多くはありません。KONEN corporation.代表の浅利は、自らの命を燃やすことができる仕事を追い求め続け、故郷・大分県佐伯市の経営者を支える経営コンサルタントという仕事に巡り合いました。
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「社会の役に立ちたい」 故郷を離れ就職した東京で味わった、大きな挫折

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「糀を世界中に広めたい」 大きい夢を持ち行動的に生きる両親の影響もあり、浅利自身も「世のため人のため、誰かの役に立ちたい」「世界を舞台に活躍したい」という思いと共に生きてきたといいます。しかし、熱い思いを持つ一方で、その情熱を何に注げば良いか分からず、空回りをする日々がありました。

就職活動を終え、東京にあるスカウト・ヘッドハンティングを行う会社での社会人生活をスタートさせることになった浅利は、営業として毎日朝から夜遅くまで働く中で、社会人の心得やビジネスメールの書き方など仕事で大切なことをたくさん学び、少しずつ仕事人・社会人としての力を身につけていきます。

しかし、その一方で、どんなに一生懸命働いても、「世のため人のため、誰かの役に立ちたい」という小さい頃からの夢に近づいている手応えを感じることはできませんでした。その結果、心と体のバランスが崩れてしまいまい、就職してからわずか1年で退職することになります。

大きな夢を抱いて上京した浅利でしたが、夢と現実の狭間で苦しみながら新たな道を探す一歩を踏み出します。

暗中模索ではじめた介護の仕事、“ 誰のために、何のために生きるべきか ” の核心を得る

人材会社を退職後、浅利は色々な可能性を探る中で2歳上の兄:定栄の勧めにより、都内にある精神病院での介護職に就きます。

担当となったのは60歳を超える入院患者を対象とした閉鎖病棟での看護補助の仕事。離職者の多い現場仕事であるものの、浅利はあまり負担を感じることなく、献身的に働くことができました。

それは、介護の仕事を通じて「目の前にいる人の役に立つことができる」という充実感を得ることができたからです。小さい頃から「自分の命を何に燃やすか」をずっと追い求めてきた浅利は、「誰かのため」ではなく「誰のために尽くすべきか」が定まればもっと自分の命を燃やすことができると確信しました。

「誰のために自分の命を尽くすべきか」という問いを自分の心に投げかけたとき、浅利の胸中には故郷の大分県佐伯市が浮かんできたと言います。

浅利の故郷である大分県佐伯市には、家業である「糀屋本店」があります。糀屋本店は320年以上の間、地元の人々の存在があり、商売が成り立っています。これまで300年続けてきた浅利家のご先祖様、そして家業を支えてくださる地元の人々に恩返しがしたいという気持ちから、故郷に戻り、故郷のために働くという決意をします。

浅利「ずっと自分は何のためにどう生きるべきかを考えながら、その時々で心が描く核心に従って行動してきました。でも、自分は誰のために生きるべきかという本質的な問いにたどり着いたとき、故郷のために生きていくことこそが、これから自分が進むべき道だと気づいたんです」
故郷に戻り、働くとはどういうことか——浅利の中では、明確なイメージがありました。

それは、愛媛県岩城島のお祭りに参加したときのこと。全国に散らばった大人たちが、「おらが町のために」と故郷に帰ってきて、喜んで神輿を担いでいる。きっと仕事や家庭で忙しいのに……。浅利は、そんな大人たちを見て故郷のために時間を惜しまず尽くす姿に感銘を覚え、「自分も佐伯に対してこんな姿勢で生きていきたい」「佐伯をここまで愛してくれる人を増やしたい」と強く感じたそうです。

故郷でのまちづくりの仕事を経て巡り合った、経営コンサルタントという仕事

こうして故郷である大分県佐伯市に戻った浅利は、「株式会社まちづくり佐伯」という佐伯市のまちづくりや活性化事業を行う会社に入ります。そして、市内の観光名所を謎解きしながら巡るイベントやなど飲食店を複数飲み歩きできるバルイベントなど、街を活性化させるための企画を多数手がけていきました。

浅利が手がけたイベントやまちづくりの企画は成功し、多くの人が参加して楽しんでくれるようになりました。その一方で、「これを5年、10年続けることで本当に街を元気にすることができるのか?」「本質的なまちの元気とは一体なんだろう」という疑問を持つようになります……。


ちょうどその頃、家業である「糀屋本店」が、糀ブームによって大きく経営を拡大させていました。そのような変化を間近で体験することで、浅利は「本当の意味で街を元気にするためには、地元の商店・商売人が元気になることがいいのではないか」という考えにたどり着きます。

糀屋のような成長事例を、佐伯市で多発させよう。そうすれば、地域に雇用が生まれ、税収が上がり、産業が活気づけば人も元気になる。そう考えた浅利は、独学で経営コンサルトとしての仕事をはじめることになります。



未知の領域の仕事であったため、苦戦する日々が続きました。それでも経営に関する本を読み漁る中で「これだ!」と出会ったのが、京セラの創業者である稲盛和夫氏の経営論です。浅利は、稲盛氏の教えのままに、経営上の数字をつぶさに観察して、企業の状況を正しく理解する方法を学んでいきます。

この手法を家業である「糀屋」の経営に活かして、毎日、売上や経費などの数字を観察。すると、事業のどの部分がうまくいっており、どの部分を改善すべきか、数字が課題を語りかけてくれるようになっていきました。

そして、それを経営に反映させることで、糀屋の経営を維持・成長させることに貢献。こうして実績を残していく中で自信を持ち、次第に糀屋以外の企業からも依頼が届くようになっていきます。

経営者の良きパートナーとして、命を燃やすお手伝いをしたい。

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こうして、「商売人を元気にする」ことを目指し、浅利は経営コンサルティング会社であるKONEN corporation.を立ち上げました。

経営コンサルタントとして、企業から決算書を預かり、「売上は立っているか」「利益は出ているか」「経費をどのように使用しているのか」など、試算表を徹底的に分析・把握し、経営者と共に悪戦苦闘する日々を送っています。

浅利は、自らの経営コンサルタントという仕事について、「経営者に寄り添う存在」と説明します。これまでさまざまな経営者と会ってきたこと、自分自身が会社を経営する経験を通じて、経営者は皆不安を抱えていることがわかった。

浅利「経営者の不安を払拭するには、会社の数字を徹底的に分析し、現状を正確に把握したうえで、『今はこういう状態ですね』と伝えることが一番だと考えています。僕は「経営コンサルタント」というより、誰よりもその会社の数字ことを知っている、経営者の右腕のような存在でいたいんです」
その言葉の通り、「経営者に寄り添うパートナー」であるために、浅利が行う仕事は数値の分析にとどまりません。顧客名簿があるが販促活動をしていない企業に対しては、ダイレクトメールを提案したり、チラシを作りたいという企業があれば制作を手伝い、ときにはイベントの司会までも務めることも……。状況に応じてやるべきことを柔軟に行い、企業との信頼関係を着実に築いています。

こうして、小さい頃から自らの命を何に燃やすか追い求め続けてきた浅利は、「経営者の良きパートナーとなる」経営コンサルタントという仕事に出会いました。

この仕事を通じて、浅利はたくさんの経営者が自分の仕事、人生、運命に対して命を燃やすお手伝いをすることで、大分県佐伯市、大分、日本、ひいては全世界の経営者たちと共に命を燃やし経営を伸ばしていくことでしょう。

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