人の“天分”を活かす企業をめざすーーすべては10代のころに抱いた疑問からはじまった

31歳で未経験から外資系IT大手に入社し、2万件以上もの大規模金融システムの構築を担当した男。それがLEC Network Engineering 代表取締役社長の紺乃一郎です。経営を意識した10代、人生を変える“貴人”との出会い、大きな転機となった謎の高熱——。これまでの歩みを、紺乃自身が振り返ります。
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「お金」について考える時間が、経営への意識を呼び起こした

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▲IT業界に飛び込む前の紺乃(写真右)

あらゆる人が才能を発揮できる社会を作りたい——そんな想いのもと、私は2014年にLEC Network Engineeringを創業しました。

LECでは主に自分が経験してきた、複雑な大規模金融系ネットワークインフラの構築に強みを持つ、SES (システムエンジニアリングサービス)事業を展開しています。

そんな私が、はじめて経営を意識したのは中高生のころでした。家が裕福ではなかったこともあり、「お金って一体何なのだろう」と考える機会が多かったんです。

すると経営者が事業で大きなお金を動かしていることを知った。彼らのような存在になれば、お金に困ることはなくなるのではないかと考えました。

そこで子どもながら、ノートに何をすれば経営者になれるかを書き出していました。とはいえ、私は東北の田舎育ちで、周りも立身出世を考えることのない環境です。ガスや電気などの生活インフラや、公務員といった仕事に就く人がほとんど。

20歳を超えてからは、松下幸之助さんをはじめとした起業家の著書を読むなど、経営への思いは持ち続けていましたが、普通に家庭を持ち、なんとなく暮らす生活に慣れていきました。

「このままではどうにもならない」そう気づいたのは25歳のとき。

当時はふたり目の子どもが1歳になったころ。家庭は幸せでしたが、これから先この子たちを育てていくためにはひとり1,000万近くはかかる。

その事実に気づいたとき、私のなかで漠然と抱えていた経営者への想い、そしてチャレンジしたいという気持ちを改めて思い出したんです。

立身出世するーーそう心に決めました。

その後、私は物流会社へ転職。物流倉庫の管理者として働くことになりました。PCの操作を覚え、他の人の働く姿を見て、仕事というものを覚えていったんです。他の人の何倍も働くことを意識し、成果にこだわって、約6年間働きました。

そんな私のもとに、人生を変える出会いが訪れたんです。

カルチャーの違う世界へ。人生を変えた貴人との出会い

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▲AT&T時代の紺乃(右)。社内表彰で妻とラスベガスへ

中国語には「貴人」という、自分を一段上へ引き上げてくれる方を表す言葉があります。私の人生を変えたのが、31歳のときに出会った“貴人”でした。彼は米大手通信会社AT&Tの日本法人の部長で、私をプロジェクトマネージャー(PM)に突如スカウトしてくれたんです。

もちろん当時の私はIT業界の経験なんてまったくありません。ただ当時はネットワークの普及期で、企業内ネットワークの構築が爆発的に伸びていました。業界は慢性的に人不足だったそうです。ですから未経験でも、能力がある人であれば入れるチャンスがあった。その機会を頂けたんです。

ただ、入社してすぐカルチャーショックを受けました。

みなさん有名大学出身の高学歴ばかり。長期休暇になると、大体みんな海外に行っていて、家族で実家に帰省していたなんて言いづらいような環境でした。

私はかなり異色な存在で、使っていたバックも着ていたスーツも、おそらく全然違ったでしょう。ただ、それすらも分からないくらいでしたから、一つひとつ地道に学び合わせていきました。

私は前職時代から、ベンチマークをする人を決め、徹底的にまねする癖をつけていました。その会社で、高いレベルまで行っている人と同じことができれば、そのポジションになれる確率は高いだろう。そう考えたからです。

ですから、メールの文面から立ち居振る舞い、シグネチャーの作り方ひとつまで、一挙手一投足をまねし学んでいきました。

とはいえ、業務内容は無謀ともいえるチャレンジでした。入社してすぐコンビニATMのネットワークを構築するプロジェクトへ配属。私は不退転の思いで入社していますから、とにかく道を切り開いていくほかありませんでした。

知識も何もない状況から数十人規模のチームをマネジメント。必死にエンジニアリングやプロジェクトマネジメントの知識を学び、成長させてもらいました。そこから一貫してATMネットワークの構築に尽力し、ほとんど休みなしで働きました。

最終的には50人ほどの部を率いるようになったんですが、私はマネジメントにおいて、ふたつのことにこだわりました。

ひとつ目はトラブルを未然に防ぐこと。問題は対策をしないと大きくなります。ですから問題を起こしたことをとがめず、それを“言わないこと”をとがめるスタンスに変えました。これは金融をはじめとした高度なシステム構築において大切なスタンスで、今の事業にも生きている考え方です。

ふたつ目は、公平性。プロジェクトメンバーは正社員と派遣社員で構成されていましたが、分け隔てなく同じチームとして扱う。雇用形態に関係なく、評価すべきときは評価し、注意すべきときは注意することを徹底しました。

すると「ここはちゃんとしたフェアな場所だ」とメンバーが理解し、チーム内に規律が生まれる。経営における真摯さは、一貫性や公平性に表れることを学びました。

職務を全うした矢先、謎の高熱に襲われる

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▲プロジェクト成功祝賀会にて

2007年ごろまでの6年間、私はがむしゃらに働きました。1万数千拠点を超えるネットワークを構築した後は、ネットワークをより安い回線へ切り替える流れが生まれ、同数拠点のネットワーク切り替えも行ないました。

大きなプロジェクトを全うし、当時は「力を出し切った」という気持ちでした。この経験を活かして、次のチャレンジをしようと、転職か独立かを考えはじめたんです。

ただ、長年の無理がたたったのでしょう。突然謎の高熱に襲われ、20日ほど入院することに……。検査しても何もなかったのですが、これを機に改めて自分が何をすべきかを考えようと心に決めました。

どのような可能性があるかを書き出し、独立するなら何をするか、そのためには何が必要か、どのような姿になっていたいかという理想像まで考えました。

そこで作ったストーリーを軸にさまざまな人に話をして、どんな業務であれば成長曲線を描けそうか、事業の可能性を探っていきました。その間に私が携わっていた事業はAT&Tから大手インターネット企業IIJに売却。私も転籍しました。

IIJでもネットワーク関連の仕事に携わり、さまざまな経験をさせていただいたのですが、最終的に事業の可能性に挑戦したいという想いから2014年に独立。LEC Network Engineeringを設立しました。

私が会社を設立するうえで大切にしたのは、エンジニアを大切にしたいという想いでした。エンジニアのように現場で働く人が正当に評価され、脚光を浴びなければいけません。ですから企業理念にも「エンジニアのエンジニアによるエンジニアのための企業」と据えました。

そのため、エンジニアの本来の業務以外のタスクはなるべく減らすように尽力しています。たとえば、稼働工数の予実管理は行なっていません。自身のこれまでの経験から、予実管理から得られる物はそう多くないと感じているからです。それよりも「売り上げ」や「成果」で評価することを大切にしています。

規模の拡大により、百花繚乱を実現する企業へ

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▲2017年現在の紺乃。豊富な経験を糧に、SES事業を展開している

エンジニアを大切にし、SES事業を基軸に展開していくーーその先に私が見るのは、人の才能を開花させる仕事を作ることにあります。松下幸之助さんが百花繚乱という言葉で表している、人々がそれぞれの持ち味を活かして才能を発揮している状況の、まさにその姿だと思います。

そのためには規模を拡大し、売り上げを最大化していかなければいけません。規模を拡大したいと言うと自己顕示欲が強いと思われがちですが、そうではなく、規模が大きくなければできないことがある。

たとえば、規模を拡大し経済的な力を良い方向に使えば、図書館や学校をつくり、後世に遺産を残すこともできるでしょう。そうすれば、それぞれが才能を発揮できる環境を用意できる。そういった「富の力」は多くの人の役に立てることができるのです。

従業員ふくめ個々人も同様です。一流の仕事をしていくためには、一流に触れる経済的な余裕や時間的余裕が必要でしょう。限界まで働き続けて、最低限賃金で生活をする生き方では良い仕事はできません。

社会のあらゆる人が才能を発揮できる社会。そういう社会を実現する会社を作っていきたいです。これも、経済活動を通じた社会貢献である。私は、そう考えています。

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