「デジタル×マネジメント」で新しい価値を創り出し、企業と社会に貢献する

プロジェクトマネジメントにデジタルの技術を融合させることで、今までにない価値を生み出したい。「今どき流行りのデジタル」を安易に採り入れようというのではなく、学生時代からデジタルの可能性に思いを馳せてきた阪本幸誠が満を持して動き出したチャレンジです。どのような理想を胸に行動を起こしているのでしょうか。

「デジタルがいつか世界を変える」その可能性に賭け、起業を目指すまで

大学時代:前列左から2人目が阪本。

私は学生時代、人間科学部という文理融合型の学部で学んでいました。心理学を学びつつ、PCにかじりついてプログラミングも学べてしまうような環境を喜び、謳歌していたのですが、あるとき教授のもとで、実際に学内で用いるeラーニングシステムをゼロから構築していく、という研究ゼミのカリキュラムに参画したんです。

当時からインターネットやデジタル技術というものに、社会を変えてしまうような大きな可能性を感じていた私は、このカリキュラムに夢中になっていきました。単に技術を組み立ててシステムにする作業ではなく、教育工学や心理学の見地もしっかり意識しながら「eラーニングに最適な授業とはどういうものなのか」を考え、仮説検証しながらシステム構築もしていく、という工程に価値や意義を感じたのです。

こうして、動画やハイパーメディア、コンピュータグラフィクスなどのデジタル技術に没頭した私ですが、具体的に「何をどうしたいか」が見えないまま就職活動の時期を迎えました。そこで「とにかくこの領域に入り込んで、まずは社会人としてやっていけるかどうかを確認しつつ、勉強をしていこう」と考え、大手のグループ会社に入社しました。

8年間、さまざまなことを学び、経験していく一方で、YouTubeが全世界でブレークする様子を見て「やっぱりこの領域には可能性があったんだ」と刺激を受けたり、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)「メディアラボ」所長の石井裕さんのお話を聞ける機会に恵まれたり、名高い「手で触れられるデジタル情報=タンジブル・ビット」話に触発されたりもしていき、徐々に「デジタル関連の事業を興して起業したい」という志が膨らんでいきました。

起業を断念して転職した理由は、自分に不足していたマネジメント知見の習得

新社会人時代:大手グループ会社にて。左から3人目が阪本。

リーマンショックによる打撃からビジネスシーンが少しずつ息を吹き返し始めた2010〜2011年、私は本気で起業を目指し、ビジネスモデルを構築しながら資金調達のためにエンジェル投資家などとの面談も開始しました。

3DCGを軸にした「タンジブル3DCG」のビジネスモデルはある程度の評価は得たのですが、「その事業でどうやって収益を確保するのか」という、いわゆるマネタイズ面および事業継続性の脆弱さを指摘され、そうこうしている間に資金が底をつきました。

結局、2年間もがきにもがいた後、起業の夢はいったん休止して転職をすることにしたのは、1つには資金面の問題が原因でしたが、何よりも自分に不足していることが判明したマネジメント領域での経験と知見を得るためでした。

大手の外資系コンサルティングファームやITサービスのメガベンチャーなども受けた私が入社を決めたのは、転職活動で出会った会社の中でもっとも規模の小さかったMSOL。大企業を経験してきた私にとって、次に学ぶ場は違う環境であるべき、という考えがありました。でも、もっとも大きかったのはMSOL社長の髙橋信也との出会い。

「たしかにデジタルに可能性はある。でも、だからといってビジネスとしてすぐに成立するかといったら、そんなに簡単な話ではないと思う。マネジメントを学び、極めたいというのならPMOソリューションは絶好の機会だと思うよ」という高橋の話が心に刺さったんです。

大企業で技術領域の仕事をした後、起業を目指していたような人間にPMOの仕事が務まるのか、という目線もあるでしょうけれど、入社当時の私にはそれなりの自信はありました。前職で2億円規模の年金系システムの開発プロジェクトでPMを務めた経験もあったからです。ところが、最初の数年は苦労の連続でした。そもそも大手企業の若手PMだった私がそれなりに機能できていたのは、周囲の諸先輩や協力会社の方々の助言や協力が支えてくれていたから。

MSOLの一員となってプロジェクトを動かすとなれば、プロフェッショナルとして自立できていなければいけません。また、時には短納期のプロジェクトを4件掛け持ちするような局面もありましたから、未熟な私の鼻は簡単にへし折られたのです。

ようやく手に入った信頼と自信。そしてつかんだ社内コンテストでのチャンス

起業を目指して失敗した頃:訪れた長崎にて。

夢見がちな私が、気を引き締めてこつこつ学び、ようやく社内的にも社外の方々からも一定の信頼をしてもらえるようになったのは、今から約3年前のことです。いくつかの大規模プロジェクトで成果を出すこともできました。もちろん、その間にもデジタル領域の技術や、これを生かした新しいビジネスの話題などには熱い想いで目を向けていました。

MSOL入社時には「ここで鍛錬をしたら、再度起業を目指そう」という気持ちもありましたが、もうこのころには違った夢が心の中で広がっていました。「MSOLが展開するPMOソリューションの随所に、デジタルを活用できる場面がある。それを形にできたなら、より多くの企業に役立てるし、世の中を変えることだってできるはずだ」というものです。

ちょうど社内でビジネスプランを出し合うコンテストが開催されたため、私は自分の中で暖めてきたプランを提出しました。私のビジネスプランは2次選考で落選しましたが、コンテストにチャレンジした行為自体が社長 高橋の記憶に残り、今回の新事業へのチャレンジに抜てきされました。現状はまだ経営企画本部長とともに具体的なモデルを検討中ですが、その方向性は着々と形になりつつあります。

「デジタルを追い続けたら1周回ってアナログに戻ってきた」でもいいんです

現在の阪本。六本木本社にて。

世の中には「AIをはじめとするデジタル技術が人間の仕事を奪う」かのような説を吹聴しているところもありますが、実際にPMOというビジネスの最前線に出てみればわかります。多くの現場は人手不足に苦しんでいます。

とりわけプロジェクトマネジメントという仕事は属人的とも言われ、「デジタル技術に置き換えることなど不可能なアナログ領域」だと多くの人が考えています。でも、私は違うと信じています。もちろんMSOLのPMOが提供しているものの多くも無形な価値であり、これを数値化したり、システム化や自動化をしたりするのは至難の業。

それは百も承知の上なのですが、これまで経験あるプロが提供してきたサービスをつぶさに突き詰めていくことで、デジタル化していける部分を見つけ出すアプローチをしています。すべてをデジタル技術にさせようというのではありません。現状のMSOLが提供している無形価値を、より多くの企業活動や社会課題解決の動きに提供できるようにしたいのです。

なぜそこまで執着しているのかといえば、1つは先に挙げた通り、ビジネスの最前線が今、深刻なリソース(人材および資金)不足に悩んでいるからです。大人数のプロジェクトを組めないような企業であっても、デジタル化され、低コスト化されたPMOソリューションがあれば手を伸ばせる。そうすることで良質なビジネスプランが成功すれば、日本を元気にすることにも貢献できます。

また、世界各国にMSOLのクオリティを届けることができます。プロジェクトマネジメントは企業活動ばかりでなく、社会課題を解決する活動にも不可欠ですから、そこでダイレクトに役に立てるチャンスも生まれてきます。そして、こうして潤沢なリソースを持つ企業や組織以外にも価値を提供できるようになれば、MSOL自体の成長を加速することも可能です。

さらにもう1つ理由らしきことを言うと、就職活動をしていた時期に当時電通を退職されて、「TUGBOAT」の代表として大活躍されていた岡康道さん(現TUGBOAT代表)から聞かせてもらった話がずっと胸の内に残っているんです。「ビジネスの可能性として僕が一番魅力的だなと感じるのは、『徹底的にデジタルを追求していったら結局アナログの方が良いよね』というような話ですね」と岡さんは言っていました。なぜか心に引っかかり続けていたこのセリフが、今の私にとっては大いに共感できるものになっています。

PMOソリューションのデジタライズをとことん突き詰めることで、必ず「アナログでしか提供できない重要な事柄」というのも浮き彫りになります。そして、それを見つけ、腹落ちして理解した上でソリューションを提供するのと、そうでないのとでは絶対に違いが出てくる。それなら、私自身の成長ばかりでなく、MSOLの各メンバーの成長、さらには世の中のマネジメントの向上のためにも、続ける価値があると確信しています。ですから、結果を恐れず、この挑戦を徹底的に、納得がいくまでやり遂げたい。そう心に誓っています。

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