相方と暮らした1ヵ月半

今でこそ未来あるベンチャーの1つとして注目されているネクスター株式会社。 果たして最初からそうだったのか。
細田 「大学4年生の時に社会をわからないまま起業、当然資料の作り方もわからなかったしオフィスを借りるお金もなかった。幸いなことに僕の実家は東京にあって住む所や食べることには困らなかったけれど、何をするにも資金がない。いつの間にか僕の実家に住み着いていた相方の古賀と企画書をつくっては時間を忘れて毎晩夜中まで話し込んでいた。」
頼れる実家がすぐ近くにあると言っても生活まで頼るわけにはいかない。 ネット環境のあるファストフード店で仕事をし、100円のうどんを食べて過ごしていたそうだ。
細田 「贅沢はできないけれど環境と人には恵まれていて。声をかけなくとも自然と集まってくれる仲間たちがいつも一緒にネクスターのことを考えてくれていた。狭い自室に10人くらい、小さいホワイトボードに夢を描いてはどうにか形にできないかと模索する毎日だった。」
学生時代にイベント団体を設立し、Zepp Tokyoで2500人を動員するイベントを企画運営。 そのときから細田の人脈は人並みをはずれ、人望も厚かった。 ひととひととの繋がりが縁を結び、オフィスを千駄ヶ谷(のちに原宿、渋谷、赤坂)に間借りというかたちで展開。 その頃から少しではあるが仕事をもらえるようになっていった。

40万も上がらない売り上げ、30人のインターン生

細田 「とにかく一発当てるとしたらアプリだと考えていた。当時は急速にSNSが普及し、アプリを開発する企業が増えていて。右をみても左をみてもみんなが同じサービスを使っている。そんなサービスを自分たちでもつくれたら、と。」
プロモーションやイベントの企画運営の経験はあったし、サービスさえできてしまえば普及はできる、そんな自信がどこかであったと語る細田。 某外資系飲料会社のマーケティング部で培ったノウハウ、今まで築き上げてきた人脈。 一緒にプロモーションがしたいと集まってくれたインターン生は30人を超え、リリースへの準備は万全。 しかし、そんなに簡単にいく訳はなかった。 「入社を決めていた技術者も、手伝ってくれていた友達もみんな学生で学業は疎かにできなくて。プロジェクトの進行は上手くいかないし、お金と時間だけがなくなっていった。僕自身技術の知識はないし、一から勉強しなければアプリ開発を進めることもできない。会社のみんなに給料も支払っていかなければならないと広告代理店事業を行うも売り上げは良くて40万。そんな状況では会社を大きくしていけないと営業活動に毎日飛び回っていた。」 そんな中飛び込んできたのは、不動産サービスでアンバサダーマーケティングを取り入れたいという声。
細田 「そこから徐々にアンバサダーマーケティングは広がっていき、取り上げたいという声も増えて。大学生アンバサダーの採用もオペレーションも最初のうちは全て一人で行っていた。経験はあるといってもそれだけでは自社のサービスにはなっていかない。ネクスターの"アンバサダーマーケティング"をなんとかかたちにしたい。そう尽力するあまり急性胃腸炎で倒れたりもして(笑)」
体調を崩しても休んでる暇はない。 重いからだを引きずって、それでも信じて取り入れてくれた企業と活動してくれるアンバサダーたちにつらい所を見せる訳にはいかない。 笑顔を常に絶やさないよう、前へ前へ。 つらい日々を乗り越えるうちに社内にも人が増え、仕事も増えた。 やっと人並みの給与がみんなに支払える、細田はそう思って少しほっとしたそうだ。

「失敗してもいいじゃないですか。もう一回やり直しましょうよ。」

ネクスターは3期目にして初めて資金調達する。 同年11月にオフィス移転、世田谷区の羽根木に初の自社オフィスをかまえた。 普通のオフィスビルとは違い、1つ1つが戸建てのようになっているネクスターオフィス。 ガラス張りが特徴的なオフィスでくつろげるソファーの応接室、ビリヤード台にデスクとしても使える卓球台。 来客の際や社員にはエナジードリンク飲み放題と夢に描いていたような自社オフィス。
細田 「僕の部屋にみんなが集まっていたときに自社オフィスをかまえたらこんなオフィスにしよう、そう話していたことが現実になって。3年前(創業期)に話していたことが現実になってようやく実感が湧いた。ここから大きくしていこう、大きくしていくのは自分だと。けれども前へ前へと進めば進むほど日に日に増えていく社員や期待にいろんな意味で押しつぶされそうで。」
順風満帆に成長しているように見えたネクスター。 しかし現実はそう甘くない。 今まで幾度となく乗り越えてきた困難より比べ物にならない脅威が襲いかかる。 このとき会社の売り上げが伸び、資金調達したネクスターは再度アプリ開発に力を入れていた。 もしここで最高のプロダクトができたら一気に会社は大きくなる。 そんな想いを馳せて。
細田 「それまでひっきりなしに声がかかっていた仕事の案件が一時期ぱたりとなくなった。同時に社内のオペレーションも不備が出始め、納期ぎりぎりまで奔走する日々。アプリ開発も上手くいかない。良いものを作りたいと思っても会社を経営する側として選択を迫られたことが多くあった。」
まだ肌寒い春先、細田は様々な岐路に立たされ何が一番会社にとって最良なのか考えていた。 相方の古賀と意味もなく9時間、外を散歩しながら話した。 考えても考えてもまとまらない、創業期に自室で過ごしたあのときのようだったと細田は語る。 そんな細田を創業期からいるメンバーのある言葉が救った。
細田 「失敗してもいいじゃないですか、もう一回やり直しましょうよって。あんなカッコいいオフィスじゃなくても例え細田さんの部屋に戻ったとしてもいいじゃないですか、俺は一生ついていきます。そう言ってくれたメンバーがいて。言われた時は思わず泣いた。ダメだったらもう一度やり直せばいい、そんな風に思うと自然に前を向けたような気がして。」
そこから再度、仕事の発注が増え、今までにやったことのない大きな案件もおこなうこととなる。 4期目に突入した6月、出会いと別れを繰り返し、社員数もまた去年の倍近くまで増えた。
細田 「つらい時期を一緒に乗り越えて会社のためにと働いてくれる仲間、僕を救ってくれる人たち。人々は笑うかもしれないけど、何があっても崩れない絆があるとわかったときまた1つ強くなった。この人のためなら何だって出来る、そんな仲間。いつだってたくさんの人が支えてくれたことを思い出し、自分にできることをしよう。そう思って経営面に力をいれるようになった。」
大きな組織ではわからなかったことかもしれない。 "ベンチャー"で、"少数精鋭"で、"経営者との距離が近い"。 そんな環境から生まれた絆が会社を大きくしていく力となっていることは明白だ。

地方創生のパブリックカンパニーへ

辛い時期を乗り越え、迎えた2016年。 "若者"をターゲットとし、"若者"と事業を拡大してきたネクスターが目指すのは 「地方創生のパブリックカンパニー」だと言う。 地方創生大臣というポストが新しくでき、国家予算も大きい今トレンドの地方創生。 ふるさと納税などが話題となりこのワードを聞いたことがない人はいないはずだ。 しかし何故、ネクスター株式会社が地方創生をうたうのか。
細田 「地方創生に必要なことは地方の人に頼ることではない。東京のエネルギーを地方に分散し足りないものを補う。今、地方に必要なものは"若者"と"トレンド"であると考えた。そのときネクスターならどちらも今までに培ってきたものがあると思って。今までに築き上げてきたもので日本全体が元気に、それで地方が活性化できればこんなに嬉しいことはない。」
アンバサダーマーケティングや協賛事業で培ってきたリソースをしっかりと仕組み化することができてきている。 いつも若い世代でにぎわう社内はトレンドをいち早く掴み、自分たちの想いを熱くディスカッションしている。 ネクスターの社内と同じ状況が地方にもつくられたら活性化は間違いない。 2016年、新たな資金調達達成を目標とし、社員数を30人まで増やす。 2017年、100名の社員がいつも自分の個性を活かしながら働いている。 2018年、地方創生のパブリックカンパニーへ。 創業時、語りあった夢が達成されるのもそう遠くはないはずだ。 つらかったこと、大変だったことの方が多かったけれど、このメンバーだったからこそ乗り越えられたのだと確信する。 その1人になれたことに少しだけ自信を持って。 未来の話をしよう。 Next player is ...