幸せに“しよう”ではなく“なろう”――たこ焼き屋からはじまった飲食総合会社の誕生物語

居酒屋や焼肉など、さまざまな業態の飲食店を30店舗以上経営、更にはワイナリーや青果、魚の卸、海外出店など多様な事業展開をする『総合飲食企業』となったO.B.U Company。「幸せに“なる”」ことを追求し、飲食を通じてhappyを提供するそのはじまりは、1坪の小さなたこ焼き屋とある男の出逢いでした
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たった1坪のたこ焼き屋に込めた夢

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当時の「てっちゃん堂」
東京ディズニーシーやユニバーサルスタジオジャパンの開園を全国民が心待ちにしていた2001年。佐賀県鳥栖市にも、ある若者たちが心待ちにしていた小さなたこ焼き屋が誕生しました。

―――その名も「てっちゃん堂」。

「いつか自分たちの居酒屋をしたい」と夢を抱きオープンした若者たちの、1坪のたこ焼き屋。その若者のひとりが、現在の当社マネージャーである大川博司です。

大川 「仲間と居酒屋をして、店舗を増やして、それぞれが店長になって――。そんな目標があったので、お金を貯めなければと思っていました。今思えば、本当に目の前のことしか考えていなかった。

飲食がしたかったから、ではなく、仲間とできることが当時それしか思い浮かばなかったんです。ハチャメチャでしたが、楽しかった。とにかく、若い勢いとパワーしかありませんでしたね(笑)」

若い勢いとパワーが乗ったたこ焼き屋は、地元の学生やサラリーマンなどに好評を得て、評判は上々。不器用ではありましたが、一生懸命に真っすぐにたこ焼きを売り続ける彼らのもとには、多くのお客様が訪れてくれました。

お客様がお客様を呼び、そのお客様が働く仲間となり、一緒にたこ焼きを焼いている……なんてことも。賑やかな店には、たくさんの人が集まってくれたのです。

―――そして、1年後。

たこ焼き屋は一気に5店舗へ。そして、1,000万円を現金で貯めた彼らは念願だった居酒屋をオープンします。

2002年10月、福岡県筑紫野市。
居酒屋1号店「Restaurant bar dining木鶏(現・MOKKEI)」。

彼らの夢への物語がはじまります。

「縁の下で支えていきたい」――たこ焼き屋との出会いに感じた親心

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代表取締役 寺川欣吾
時は戻り――2001年。

たこ焼き「てっちゃん堂」1号店が鳥栖にオープンしたと同時期。もう一軒、別の飲食店がオープンしていました。

そこで出逢う男こそ、後にOBUのDNAを築き上げる、現在の当社代表である寺川欣吾です。寺川は、それまで勤めていた某大手旅行会社を退職後、仲間と共に置き薬の会社を立ち上げたものの、やはり飲食がしたいと諦めきれず、鳥栖市でカフェをオープンしました。

場所はたこ焼き屋のわずか500mほど先。「てっちゃん堂」のオープン直後から、ごくごく自然に、大川らが毎日足を運ぶようになるのです。

「寺川さん、一緒に店をしましょうよ!」

飲食店を経営している先輩として慕われていたのか、面白いと思ったのか……客として訪れ、顔を合わせるたびにそう誘われるようになり、その度に「できたらいいなぁ」なんて取り留めのない話をしていました。そのうち、あっという間に1号店の木鶏がオープン。なんと2号店も控えているのだと耳にします。

寺川 「たこ焼き屋からお金を貯めて、更に2号店。驚いたけど、心配な気もしていました。10歳以上も離れている若者たちですので、親心に似たようなものだったかもしれませんね」

それもそのはず、オープンはしたもののやはり素人集団の飲食店。当時は料理もオペレーションもぐちゃぐちゃで、注文した生ビールが30分来ない…ということもザラだったのです。

「今日はここがダメだった。次はこうしよう――」

ことあるごとに、彼らからそんな話を聞く日々。一生懸命で真っすぐ、そしてしつこい程に自分を誘ってくれる彼らに、寺川の心が動かされるまで時間はかかりませんでした。

寺川 「彼らに夢を叶えてほしいけど、自分が経験したような挫折はしてほしくない。それは、“テレビの中の野球チームを見守る”とかではなく、“球場の外野スタンドから見守る”とかでもなく、“同じチームとして一緒に、良い時も悪い時も彼らを縁の下で支えていきたい”というような気持でした。僕の経験が役に立つのであれば――。そう思ったんです」

―――寺川欣吾、入社。

それは2003年の冬。最初の出逢いから一年ほど経ったときの出来事でした。

―――そして、それから1年後。

当時の代表が飲食業から撤退することを機に、寺川が経営権を購入、代表へ。社名を変えて法人化することにより、「てっちゃん堂」は「O.B.U Company」として生まれ変わりました。

不屈のプロアスリートに見た言葉の力――幸せに“なる”DNA誕生

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当社の“DNA”と寺川の想いが詰まった、社員用の「OBU本」
「家族の絆を超えた、最強の他人集団」。
これは、寺川が会社を表す際、良く使う言葉です。

法人化当時、木鶏をはじめとする飲食店はすでに5つ。店舗も増え、働く仲間も増え、そしてその家族も増え……。“最強の他人集団”の大黒柱となった寺川は、守るものが増えた責任を自覚し、「益々気合を入れて頑張らなければ―――」そう思っていました。

そんなとき、なにげなくつけたテレビで印象深い光景を見るのです。これが、O.B.Uとしての最大の転機となるとは知らずに……。

そのとき(2004年)、アテネ五輪の真っただ中。当時史上最多のメダルを獲得した日本代表、そんな中でも大活躍をした競泳陣の特別番組が放映されていました。そこで、ある言葉を何度も耳にします。

「アテネの空に日の丸を―」

それは、日本競泳陣のスローガンでした。数々の選手やコーチが、全員口を揃えて同じ言葉を言うのです。アテネの空に日の丸を掲げなければならないと思って諦めなかった、と――。

更に同時期、ラグビーの試合を見ていた時も同じような光景を目にします。

「―ALIVE!! ―ALIVE!!」

当時、社会人ラグビー(トップリーグ)の中でもほぼ最下位だったサントリーのチームを、就任後のその年に同率首位まで引き上げた清宮監督のかかげたスローガンでした。どんなに倒れそうになっても、懸命に踏ん張る選手たち。その全員が、お互いにこの言葉を掛け合っていたのです。

寺川 「それまで、企業理念なんて形だけで必要ないと考えていましたが、“あれ?企業理念ってこういうものなんじゃないか?”と、ようやく気づいたんです。どんなに苦しい時でも、辛い時でも、そのチームの一番大切にしている言葉が思い浮かぶ。心が震えるそんな合言葉が僕たちのチームにも必要だ、って」

これこそが私たちの最大の転機。企業理念の誕生です。

O.B.U企業理念 ―――――「Be happy~幸せになろう~」

幸せに“しよう”ではなく、“なろう”と表したその言葉は、ともすれば自分本位で、傲慢に聞こえるかもしれません。しかし、私たちはこう考えます。お客様が美味しいと喜んでくれて自分も嬉しい。「ありがとう」と言ってもらえて自分も幸せ。―つまり、お客様の幸せと従業員の幸せは必ずリンクしているのだ、と。

寺川 「僕は、“会社は社員を幸せにする場”だと想っています。みんなを“幸せ”に導くことがO.B.Uの責任だと想っています。合っているかどうかはわかりません。ただ、僕はずっとそう想っています」

こうして誕生した企業理念は、私たちの価値基準として、風土として、そして血として。一人ひとりに受け継がれ、脈々と流れています。

寺川 「いろんな性格で、個性もキャラも濃くて豊かな従業員たち。そんな人達が“飲食業”という括りと、“BeHappy”という、たったひとつの言葉だけで繋がっている。もし、企業理念が無かったら……もうとっくに潰れてしまっていたかもしれませんね」

この企業理念があったからこそ、全員が迷わずに、真っすぐに、やるべきことをやってこられました。結局最後は精神論。OBUが何よりも大切にしている強靭なDNAは、たまたまテレビで見た“不屈の精神のアスリートたち”から誕生したのです。

“就職したい企業”を目指して挑む、本物の「良い店」づくり

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居酒屋1号店の木鶏。リニューアルして現在も二日市にて営業中
―――法人化から12年経った2017年現在。

O.B.U Companyは、居酒屋や焼肉、串焼きなど、さまざまなジャンルの飲食店を30店舗以上経営し、さらにはワイナリーや青果、魚の卸、海外出店など多様な事業展開をする、他社ではあまり類を見ない「総合飲食企業」となりました。

寺川 「“やっと12年”という見方が正しいのでしょうが……親バカですがやはり、『よく12年もったな』というのが率直な感想です。もちろん当時に比べると、料理も接客も意識も、すべてにおいて成長は感じられますが、すべての店舗が100点か?と聞かれると、まだまだ、というのが正直なところで……」

当然ですが、繁盛しているお店はお客様が喜んでくれています。それはつまり、業者様も、地域の方も、そしてもちろん従業員も――すべての人が喜ぶ店作りができているのです。

寺川 「OBUは、そんな“良い店”、“人に喜んでもらえる店”作りをしていかなければなりません。そして、その地域に新たなhappyを生む。これは、永遠の課題かもしれませんね」

OBUでは、可能性は無限大です。やりたいと思い、行動したぶんだけチャンスがあります。何といっても、今歩んでいるのは、先人の“素人たこ焼き集団”がゼロから創り上げた、数多くの道なき道の上なのですから。これからの道を創るのは私たちなのです。

寺川 「飲食業界のイメージを向上していきたい、と思っています。たとえば、今だったら“OBUで働くか公務員になりたい!”と親御さんに言っても、公務員を勧められるかもしれない。しかし、いつかOBUの方を勧められるような、そんな日が来ればいいなぁ、と思っています」

たった1坪のたこ焼き屋から始まった若者たちの夢の物語。この物語は、揺るぎない企業理念を軸に、これからもたくさんのページを増やし続けていきます。

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