過信からの失敗と反省からの成功を経てーー オプトグループCOOは日本の次代を見つめる

オプトグループの創業メンバーであり、グループCOOを務める野内敦。インターネットの黎明期から多くの新規事業に携わってきた彼のポリシーは「謙虚さ」で、たとえ事業が成功しても、“おごらない”ことを自らに課しています。その背景には、「成功するはず」と確信した新規事業に失敗した過去がありました。
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“がむしゃらに”働くために、既定路線をあえて外れる

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▲創業当初、メンバーたちとの風景。中央左が野内、その右がCEOである鉢嶺です

「周りから少し浮いた存在だったのかもしれません」。そう話すのは、オプトホールディング(以下「オプトHD」)のグループCOOであり、創業メンバーのひとりである野内敦。大学時代に工学部で建築を学んでいた野内は、周囲の学生とは違った動きを見せます。

野内 「当時から、社会に出るとコミュニケーション力がすごく重要になるという意識があったんです。ですから、あえて学外に目を向け、事業会社のアルバイトをして営業に連れて行ってもらったりしていました」

そんな野内が最初の就職先として選んだのは、市街地の再開発などを手がける大手デベロッパーの森ビル。事業成長のさなかにあった同社で、野内は一級建築士を取得するなど専門性を伸ばしながらも、あえて希望してマーケティングやセールスなどの部門を経験します。

野内 「森ビルでも、私なりに何か新しいことを仕掛けたいと思っていましたが、すでにビジネスモデルが確立されている会社でしたから、私の気持ちだけで動ける状況ではなかった。そうしたことに心のどこかでフラストレーションを抱えていたんだと思います」

そして野内はここで大きな決断をします。現オプトHDのグループCEOである鉢嶺登らとともに1994年にオプトの前身となる会社を設立したのです。

旧知の知人であった鉢嶺との3年間の構想をへて、FAXのダイレクトマーケティングを手掛ける会社を設立するものの、野内が正式に入社したのは1996年。この空白の期間について、「本当にキャリアを大きく変えてベンチャーに進むべきなのか?という疑念を感じていたから」と語った野内。しかし、ある日、鉢嶺から野内に送られた手紙が決断の背中を押したのです。

野内 「手紙で明言されていたのは、『ダイレクトマーケティングで勝負をする』という鉢嶺の強い決意でした。当時、私もアメリカの状況などからダイレクトマーケティングは将来絶対に伸びると確信しており、一緒にこの領域で勝負したいと思うようになったんです」

インターネット黎明期に肌で感じた、大きなビジネスチャンス

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▲インターネット黎明期に様々な事業にトライするも、バブルの崩壊も経験した野内

オプト入社後、自らの考え、自らの意思で動き、思う存分、力を注げる、“がむしゃらに”働ける環境に充実感を感じていた野内。1998年には新たにWEBマーケティンググループを立ち上げ、メール経由でパソコンや携帯電話などを販売するビジネスを仕掛けます。

野内 「当時はインターネットの進歩を感じていて、ものすごいチャンスが来ていると日々ワクワクしていましたね。画面の向こう側にいる人たちにアクセスして、商品やサービスを販売できるわけですから、ビジネスの幅が大きく広がります。本当に革命的でした」

こうしてITを用いたマーケティングで成功経験を積み重ねてきた野内は、さらに大きな勝負に出ることになります。それが、「住宅のマーケットプレイス事業」。インターネットを通じて住宅を売買できる仕組みをつくろうとしたのです。それは、野内が取締役に就任した1999年のことでした。

野内 「当時は携帯電話の販売など、小さな事業をいくつも経験し、『こうすれば成功する』という勝ち方も見えていました。そこで、さらに高い利益率が見込まれる住宅を扱おうと考えたんです。当時はまだ競合も少なかったこともあり、『絶対にうまくいく』と思っていましたね」

計画の立案から資金調達、営業など、新規事業を野内が中心となって動かし、1年後の2000年4月には「e-sumai.com」としてサービスが形になります。ITの特徴を生かし、不動産業界が抱えていた情報を適切に整理できたことで、野内はさらに成功への自信を深め、組織を急拡大していきました。

ところが……。野内の自信は2000年代初頭に巻き起こったネットバブルの崩壊を前にして、あっさりと打ち砕かれたのです。

“うまくいくはず”だったビジネスの失敗要因は、自らの過信にあった

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▲事業における成功、失敗を繰り返した野内は今、投資家としてその経験を若手に伝え続けています

2000年末。e-sumai.comはローンチして1年を待たずして、直接赤字が1億円を超える状況になっていました。準備していた資金は、日を追うごとに失われていくことに。当時は、将来の事業成長まで耐えられるだけの資金体力もなく、野内は難しい判断を迫られます。

野内 「状況を変えるために手を打っても、かえって人件費やプロモーションで赤字がかさんでしまう……。今から考えると駄目なスタートアップの典型ですよね。
施策を試すこと、数字をつくることだけに躍起になってしまい、現場社員とのビジョンの共有や、細かいマネジメントをおざなりにしてしまった。組織づくりの面がとにかく甘く、独りで踊っていた感が否めませんでした。決しておごっていたわけではありませんが、いかなる時も『謙虚』でいなければいけないと気づいた時でもありました」

事業撤退も視野に入る状況にありましたが、野内はe-sumai.comを当初の成果報酬モデルから広告モデルに、網羅的な住宅サイトから、デザイナーズ住宅というカテゴリー特化型のサービスにピボットしたことで、ピンチを切り抜けます。

野内 「住宅サイトでは建物の外観の写真が前面に出ているものが多いですが、ユーザーに興味を持ってもらうにはむしろエントランスやリビングの雰囲気が大事です。これをサイトデザインにも活用しました。コンテンツにこだわって深掘りするほどユーザーの満足度が高まるというのは、このときの学びですね」

こうした工夫が実り、e-sumai.comは徐々に軌道に乗りはじめます。さらにその後、GMOグループの「まぐクリック」とジョイントベンチャーを組み、株式交換などのエクイティ戦略も駆使したことで、2006年の事業譲渡時には大きな利益をもたらすまでに成長を遂げました。

このように、事業をピボットしたことで失敗を取り返した野内は、2005年にオプトの子会社として彼が設立したクラシファイドで、再び不動産事業にチャレンジするのです。彼にとって、このチャレンジはいわゆるリベンジマッチ。

野内 「クラシファイドでは、とにかく社員とのビジョンの共有を大切にしていました。e-sumai.comのときに、ひとりで突っ走ってしまい、組織をうまく構築できなかった、あんな失敗を二度とすまいと。ユーザーが後悔なく住宅を購入できるマーケットプレイスをつくるんだという想いを強調し、『誰を助けたいのか』ということを見失わないように、私なりにしっかりと、しつこく伝えていきましたね」

野内が経営に携わっていた当時、クラシファイドには「常に謙虚でおごらない」や、「正直であれ」「悪い欲に負けない」といった行動規範が掲げられていました。これらはもちろん、野内が苦渋を舐めた過去への反省が表れたものです。

野内 「クラシファイドは創業から2年を経て事業の成果が評価され、ヤフーと資本提携を実現するに至りました。これはたしかに大きな成果ですが、だからといって『成功』と言い切ってはいけない。最終的に何が成否を分けるのかは長期的なスパンで見なければ分かりませんから」

グループのCOOには、日本の次代を考えるという職責がある

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▲グループの繁栄だけでなく、日本の次代を考える。これがグループCOOとしての職責です

新規事業の成功と失敗、それぞれを経験した野内は、以降もオプトベンチャーズやオプトインキュベートなど新会社を立ち上げ続け、2017年よりグループ経営体制の強化に伴い、オプトHDのグループCOOに就任。

野内は、オプトグループが地に足をつけて事業展開し、社内外のベンチャーによる新規事業創出を支援していくために「グループの一体感をつくること」。そして、「2030年へ向けてグループを飛躍的な成長に導くこと」、この2つがCOOとしての自らの役割であると考えています。

野内 「オプトグループとして、かつて成し得なかったような大きな産業を生み出す、そのために『グループの一体感』というビジョンをグループ内に訴え続けています。分散されていたグループのアセットを集約して、可視化する。たとえば、長年の事業活動の蓄積によって、我々は企業のあらゆるレイヤーとの接点をつくることができた。これは貴重なアセットです。
ここからあらゆる顧客ニーズを汲みとり、多様なサービスを顧客に提供していくことはもちろん、事業そのもの経営そのもののデジタル化を支援していくのです。
それに自分が担当している部分だけなく、社員みなが自分ごとのようにグループのアセットにアクセスできる状態をつくり、そこから新たな事業が生まれてくる状況にするのがゴールです。
2017年にグループ改革をはじめ、徐々に筋肉質になり、方針、戦略もシンプルになってきたと思っています。でも、今を良しとしたら、ここがピークなってしまう。だから、いつも今の状態をどう壊して、どう変えるのか、そう考える癖は意識しています」

20数年もの長きに渡って経済が停滞し、少子高齢化に伴う人口減少社会に直面している日本。野内は、日本においてまん延する閉塞感から脱却するためには、ベンチャー企業が活躍し新たな産業を生み出す必要があると考えています。そのための“新産業創造エンジン”こそが、オプトHDの役割なのです。

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