東京のクライアントが9割 —— でも福岡から絶対に離れないペンシルの創業物語

ウェブコンサルティング ——。胡散臭い言葉に聞こえるかもしれない。だが、そのウェブコンサルティングに特化し、順調に成長を続け、創立から22年を迎える企業がある。福岡に本社を置きながら、全国の大手クライアントのウェブ戦略を支援する株式会社ペンシルだ。その歴史は、ある人物の意外な言葉からはじまった。
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大阪の建具職人と感覚派コンピューターとの出会い

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アメリカ・シリコンバレーに出発する23才当時の覚田
恩送り ——— 自分が受けた恩を、別の誰かに送ること。
そんな恩送りがきっかけで会社を立ち上げた人物は、そう多くはないだろう。

1964年4月9日。日本国民が今か今かと待ちわびる東京オリンピック開幕の半年と1日前、大阪で建築業を営む一家の長男として生まれたのがペンシルの創業者、覚田義明だ。建具職人の父と経営者の母。大きくなったら当然、父の跡を継ぐものだと思っていたし、事実そう決心していた。

しかし、高校の建築科を卒業してはみたものの、すぐに跡を継ぐ気にはなれなかった。気づいたら20歳。そろそろ“オトナ”らしく振る舞わないといけない時期なのかもしれない。覚田はようやく家業を継ぐ決心をした。それまで見よう見まねで手伝っていた父の仕事も、本格的にやってみると案外面白かった。得意の奇抜な発想で売上にだって貢献できた。

「これはこれで間違ってなかったのかもな」。そう思っていた矢先に出会ったのがApple社のMacintoshだ。

Macはそれまでに触れてきた機械やコンピューターとは全く違った。感覚的に使うことができて、自分が思うように動いてくれる。説明書やマニュアルは必要ない。Macへの興味と建具職人へのそれが反比例するように、どんどんMacにのめり込んでいった。

「これを仕事にしていきたい ———」。そんな思いが芽生えるのに時間はかからなかった。

家を継ぐか、コンピューターの道か……。その決断を前に、両親に頼み込んで行かせてもらったシリコンバレーで、Apple社やMac Expo、また、スタンフォード大学でコンピューターを使った授業を視察して目の当たりにした。

それは、CPUやハードディスクなど日本で議論される技術寄りの話とは違い、コンピューターを使えばこんなにすごいことが実現できるという、コンピューターをツールとして活用し、夢を語っている風景だった。

家を継ぐか、コンピューターの道か。その答えがはっきりと見えた。

東京でもダメ、大阪でもダメ、福岡でもダメ

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オフィスのいたるところに当時のMacintoshが飾られている
日本に戻って真っ先に探したのはMacに携わることができる仕事。今では誰もが当たり前に使うMacやそのソフトウェアを当時からトータルビジネスとして展開していた、福岡に本社を置くとある会社に応募した。

東京の雑誌部門     ——— 不採用。
大阪の販売部門     ——— 不採用。
福岡のソフトウェア部門 ——— 不採用。

当然だ。大卒・理系・英語ができること。入社条件に何ひとつ当てはまっていなかった。どうしても諦めきれない覚田は最後の望みをかけ、当時グループを統括していた、福岡本社にいる大社長に手紙を書いた。

長髪を後ろで束ね、ヒゲを生やし、登山靴……。「胡散臭い」という言葉がぴったりな姿で福岡に現れた覚田をなぜか気に入った大社長は、入社試験もなしに彼を採用した。高卒で建築科しか出ていない男に「チャンス」と「環境」が与えられた瞬間だった。

家業では“専務”と呼ばれていた覚田も、平社員としてゼロからスタート。Macについては誰よりも詳しいと信じていたのに、社内にはもっと詳しい人がたくさんいた。それが悔しくもあり、嬉しくもあった。

悔しさをバネに、自分を成長させてくれるこの環境でとにかくがむしゃらに働いた。成績はみるみる上がり、入社半年足らずで課長に昇進。気づけば30名の部下もついていたのだった。

入社から2年経った頃、大社長に思いをぶつけた。

「チャンスと環境を与えてくれたあなたに、いつか恩返しをしたい」

大社長の答えは覚田の予想とは違っていた。

「そんなもの与えたつもりはないけど、そう思っているならその恩を次の世代に送ってくれ」

恩返しではなく、恩送り ———。

自分がチャンスと環境を与える側になるということだろうか。そうだとすれば、その対象は自分を成長させてくれた街、「福岡」しか考えられなかった。福岡の次の世代に仕事を創出し、福岡をもっと発展させていくこと。大社長の言葉をそう理解した25才の覚田は、10年後、35才で福岡に「学校と研究所を創ること」を宣言した。

その後も人一倍働き、大社長の秘書に抜擢された。会社をひとつ任されるまでにもなった。しかし、その会社は2000万円の借金とともにつぶしてしまった。

後にも先にも預金残高600円の通帳なんて見たことはなく、人生のどん底。気づけばあの宣言から5年経っていた。

5年も経ったのに、なにも実行できていないことに気づいた覚田は、お金こそなかったが、幸いまだ持ち合わせていたやる気だけを武器に動き出した。そんな覚田を応援してくれる人は不思議と多かった。

大家さんは家賃の支払いを待ってくれた。コピー機の営業担当はリースの保証人になってくれた。そして、ある人は休眠会社を譲ってくれた。たくさんの人がまた覚田にチャンスと環境を与えてくれた。

覚田はあのときの宣言を実現するため、1995年2月、ペンシルを創業し、譲り受けた休眠会社を使って会社を登記した。

サイト制作からコンサルティング会社へ

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1995年当時のペンシル
ウェブコンサルティング会社ペンシルも、当初はサイト制作会社としてスタートした。1995年といえば、新語・流行語大賞のトップ10に「インターネット」が選出された年。そんな時代背景を受け、サイト制作会社が次々と登場し、そして、次々とつぶれていった。価格競争で制作単価は安くなる一方。これじゃ良いサイトは作れないし、会社も業界も発展しない。

覚田 「だったらもっと付加価値をつけて、あえて高いサイトを作ろうと思ったんです。そして、“200万円以下のサイトは作らない”と決めました」

当時の相場の何倍もする価格に呆れる者もいたが、面白がって発注してくれる人もいた。できあがったのは、たった6ページのサイト。それでも、クライアントは大喜びだった。クライアントを満足させたのは出来上がったサイトそのものだけでなく、それ以前の制作工程だったからだ。

覚田 「サイトの目的は何か、出来上がったサイトを使ってどんなことを行い、何を実現したいのか。それを達成するためにはどんなサイトや技術が必要なのか———。制作前にクライアントと一緒になって話し合いを重ねました。

当時、サイトを作ること自体が目的になっていた企業が多かった中、大事なのはコンセプトを明確にすることだと気づきました。ペンシルのコンサルタントが一番大切にする“コンセプトワーク”です」

こうして、ペンシルは「脱・サイト制作会社」を宣言し、ウェブコンサルティング専門会社としての新たな歴史をスタートした。ウェブの全ての領域をコンサルティングするペンシルが目指すのは、“スーパードクター”だ。

覚田 「風邪だと思っている患者に風邪薬を処方するだけじゃだめ。風邪が肺炎を引き起こしているかもしれないですから。表面上だけではなく根本的な解決をするために、細かな問診や血液検査を行い、レントゲンを撮って本当の問題解決を図ります。

ウェブも同じ。クライアントはSEOに課題があると思っていても、問題は別のところにあることが多いのです」

22年目の決断、新しい歴史の始まり

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覚田義明と倉橋美佳
研究開発型ウェブコンサルティング会社。自らをそう称するペンシルは、コンサルティングに特化し、多くの成功事例を残しながら成長を続けてきた。創業から22年が経ち、移り変わりの激しいIT業界において、“老舗”という言葉で表現されることも多くなった頃、覚田はある決断をする。

——— 代表取締役社長からの退任。

2016年6月、ペンシルは新体制を発表した。覚田が代表を退き、後任に入社13年目の倉橋美佳が就任するというものだ。まだ52才。現役を引退するには早すぎるとの声もある中、覚田は代表権のない取締役会長に就いた。

覚田 「芸術大学出身の倉橋はウェブコンサルタントに必要な芸術的感性とロジカルな部分とを最高のバランスで持ち合わせていて、入社当初から誰よりも尖っていましたね。顧客第一主義を貫きながら、どんどん新しいことにも挑戦する。

そんな倉橋を次の社長にしたいと早い段階から決めていて、ずっと口説いていたんです。20周年という大きな節目を超え、ペンシルとしても覚田義明としても次のステージに進むべきタイミングだと感じました」

覚田から絶大な信頼を受け社長の座についた倉橋は、覚田のDNAを受け継ぎながら、海外事業や働き方改革など、社内外を問わず新たなフィールドにも力を入れている。覚田が創り上げた学校と研究所「ペンシル」は、彼が託した次の世代によって、福岡を、そして日本を代表する企業になるべく、新しい一歩を踏み出したばかりだ。

覚田は若い経営者の育成に注力するため、一般社団法人ペンシルアカデミーを設立した。あの時に宣言した、新たな「学校と研究所」のはじまりである。彼の恩送りは道半ばだ。

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