天の声が聞こえた!使命感で走り続ける男の先に、障がい者雇用のあり方を見る

パーソルグループの特例子会社であるパーソルサンクスは、約200名の障がい者を雇用しています。その中でそれまで我を貫いてきた男が「これは自分がやらなければいけない」という使命感のもと、パーソルサンクス「とみおか繭工房」に取り組んできました。きれいごとだけではすまない障がい者雇用のあるべき姿に迫ります。
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YES/NOをはっきり伝えることで切り開いてきたビジネスキャリア

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▲原田には強い現場志向と意志がある © 2018 KMSM

2018年9月、群馬県富岡市にある「とみおか繭工房」では、配蚕(納品)されたばかりの小さい蚕が元気に桑を食しています。

この繭工房はパーソルホールディングスの特例子会社であるパーソルサンクスが運営しており、さまざまな障がいのある社員が富岡市の地場産業である養蚕(ようさん)業に従事しています。

「とみおか繭工房」の運営責任者である原田大は、自らを“我がまま”と称しますが、一貫した現場主義の考えと強い意志のもと、これまでのキャリアをつくってきました。

1992年に新卒で金融機関に入社しますが、4年で退職。その後マーケティングリサーチの会社で約2年マーケティングを学び、1998年にパーソルテンプスタッフに入社しました。

ここから原田の“我がまま”が余すことなく発揮されます。官公庁向けの販路を拡大しながら、入社3年目に社内ベンチャー制度に応募し、新規事業案を見事通しました。しかし、事業化を前に白紙撤回を願い出たのです。

原田 「当初考えていたことからさまざまな条件が変わってきてしまい、どうしても成功イメージが描けなくなってしまったので、白紙撤回させてもらったんです。
自分が納得できるものが、納得できる環境でできないのであれば絶対に成功しないと思っていましたし、もともと失敗したら辞める覚悟でやっていました」

新規事業に対する会社の支援を棒に振ってしまったことから、退職の意を固め、転職活動をはじめた矢先に拾う神が現れます。

原田 「テンブロスというグループ会社の社長が『うちに来てくれ』といってくれたんですよ。
ほかに社内異動の話もありましたが、このテンブロスがシニアの派遣事業をやっていて、自分にとってはニッチマーケットで面白いことができるとピンときたんですね。誰もやっていないことができる!と」

そうしてテンブロスに入社した原田は、官公庁向けのシニア派遣の開拓に従事。

しかし、8年ほど経ったころ、社長が交代することになります。それにともなって会社の方針が変わり、官公庁マーケットを順調に伸ばしていたものの、原田は一般事務領域への異動を言い渡されたのです。

事務領域では自分の価値を発揮できるイメージがなく、ここで2度目となる退職の意を固めましたが、ここでもまた拾う神が現れます。

障がい者の雇用支援を行なっているパーソルサンクスの現社長、中村淳から「うちに来ないか」と声を掛けられたのです。

パーソルテンプスタッフ入社当時の直属の上司であった中村の誘いであればと転籍を決め、障がい者就労支援事業や障がい者福祉サービス事業の立ち上げなどで貢献してきましたが、2016年12月、とうとう退職に至ります。

原田 「自分を引っ張ってくれた中村の後任でゼネラルマネージャーになったんですが、やっぱり現場が好きだったんですよね。やるべきことと、やりたいことがずれてしまって。会社の方針が変わってきてしまったこともあり、退職に踏み切りました」

そうしてパーソルグループとの20年間に及ぶ縁が切れたと思われましたが、3カ月後、再び中村から連絡が入ったのです。

我がままな自分の最後の奉公、障がい者とともに地場産業を救う覚悟を決める

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▲蚕のえさとなる桑の手入れをするメンバー © 2018 KMSM

パーソルサンクスの中村の発案により、地場産業で障がい者の雇用を生み出す事業が動き出したのが2016年6月。

いくつか候補がある中で、群馬県富岡市で伝統産業の衰退が著しい養蚕業に取り組むことが決まったとき、現場責任者として白羽の矢が立ったのが原田でした。

原田 「この話をいただいたとき、絶対に自分が引き受けなければいけないと直感で思いましたね。ここ富岡は私の地元で、実家が養蚕農家だったということもあります。
これまでのキャリアはやりたいことをはっきり伝え、自らの意思で選択してきましたが、こればっかりは『やりなさい』って天の声を聞いたような気がしました。パーソルへの最後の奉公としてもやらなければという使命感が一番強かったですね」

腹をくくっていざスタートしたところまではいいものの、到底一筋縄にはいきませんでした。まず繭をつくるためには蚕を育てなければいけません。蚕を育てるためにはえさとなる桑を確保する必要があります。

しかし、近年養蚕業の衰退にともない桑園は激減しており、造成地確保と未使用の桑園確保のため地権者との交渉に奔走しました。

そして何よりも悩んだのは、障がい者にどのような仕事を任せるかです。

原田 「そもそも健常者スタッフの中にも養蚕を知っている人がいないので、自分たちが覚えながら同時に障がい者メンバーにも教えていくという、手探りでの並行作業でした。
事前に何をするのかがわかっていれば作業フローもつくれますが、とにかく何もわからないので『今日何しよう』『今日はこれをやろう』という世界でしたね」

試行錯誤の養蚕業は失敗続きでした。蚕を育ててもその先の繭の生産につながらず、立ち上げ初年度は3回養蚕にチャレンジしましたが、結果はすべて失敗に終わってしまったのです。

原田 「最初は地元の人たちが歓迎してくれていたんですけど、繭が取れないことが続いたので、おままごとのように見られていたかもしれません。障がい者の雇用が目的だから繭が取れなくても仕方ないよね、と」

はじめる前は、幼少期から親の背中を見て養蚕業の過酷さを知っているだけに、無理なのではという考えが頭によぎる瞬間もありました。ただ、これだけ失敗が続いても、「もうダメかもしれない」という思いにはなりませんでした。

原田 「困ったときは地元の養蚕農家に片っ端から相談に行くんです。そうすると皆さん本当に親切に教えてくれるんですよ。まだまだ乗り越えている道半ばですけど、打つ手はあるなと思っています」

また、「とみおか繭工房」として障がい者のメンバーにどう働いてほしいかというポリシーも見えてきました。多くの障がい者雇用では、一部の業務を切り出して、ひとつの同じ業務だけを繰り返し行なってもらうことが多いのが実情です。ただここではそのようには考えていません。

原田 「基本的に養蚕に関わる作業は全部やってもらおうと思っています。正直なところ、物理的な事情もあります。
養蚕は生き物が相手ですし、繁閑の差が激しいから、蚕の成長がピークのときには障がい者のメンバーもフル稼働しないと回らないんですね。頑張ってもらわなければいけない状況ともいえます。けど、そうすると結果的に可能性が広がるんです。
『障がい者は何ができるの?』と彼らの可能性をつぶしてしまうような声をよく聞きますが、そうではなく、『ひとりの個人の特性として何ができないのか』と考えるようにしています。
基本的に全部任せるスタンスでいることで、職域が広がっていき、彼らの成長へとつながっていくと思っています」

できることを着実に取り組んでもらう。でも「障がい者だから、ここからここまで」と範囲を決めない。

そういった想いが「とみおか繭工房」には詰まっているのです。

「とみおか繭工房」で自分らしく働く人たち

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▲「とみおか繭工房」で働く、(右から)宇佐美勝敏・中島寿里

実際に「とみおか繭工房」で働く障がい者のメンバーは、どんな思いで取り組んでいるのでしょうか。

宇佐美勝敏(かつとし)は、以前は精密部品や鉄工所の工場で勤務していました。機械の操作や検品作業、操作のプログラム入力などを担当していましたが、なかなかうまくいきませんでした。

宇佐美 「障がいがあることはわかっていたので、群馬県障がい者職業センターに行ったときにとみおか繭工房を紹介されました。
もともと大学時代から農業に興味があって、本当は就職活動も農業分野を探していたんです。あと、地元の伝統産業に関われることも光栄だと思って入社しました」

暑い日も寒い日も屋外で作業することの大変さはあるものの、辛いと感じたことはありません。

宇佐美 「桑や蚕の成長を毎日見られることが楽しいです。山の景色が広がる中での作業もリラックスできます」

今後は自分たちが生み出す繭の生産量を増やすことはもちろんですが、養蚕に加えて野菜づくりに取り組み、日本の食産業に貢献していきたいと、強い意志をもっています。

中島寿里(じゅり)は、以前は老人ホームで清掃業務に従事しており、休みが変則的で体力的にも厳しい環境でした。「とみおか繭工房」で働くことは、そういった就業環境を改善する以上のものを得られているといいます。

中島 「最初体験実習のときに、蚕を見てかわいいなと思いました。小学校のときに見たことがあったので、この仕事をやってみようと感じたんです。
ときには厳しいこともあるけれど、みんな優しいし、バーベキューで交流をするなどすごく楽しいです。親も喜んでくれています」

中島はこれから多くの繭をつくっていくことに意欲を燃やしています。

現実は厳しい、それでも出口はある。そのためにも自分の使命まっとうする

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▲自社桑園にて作業する原田 © 2018 KMSM

今なお、課題は山積みです。その中でも今後特に力をいれていきたいと考えているのは、繭の活用をどう広げていくかということ。

これは養蚕業全体の課題ともいえます。ひとつの施策として、パーソルグループのノベルティとして活用することは進んでいますが、原田はもっと社外のお客様に、繭とそこから生まれるシルクのよさを伝えていきたいと考えています。

原田 「繭の価値を適正に理解してもらえるようにしたいんです。たとえば繭は成分として優れているので、化粧品や製薬メーカーでの活用がはじまりました。
まだ詳細はお伝えできませんが、天然素材であるシルクをもっと活用していこうという大きなストリームがこれから起こります。そういった販路開拓が、直近の大きなミッションですね」

また群馬は桐生織という絹織物の生産が盛んな地域があります。養蚕業と織物業がタッグを組むことで、群馬の文化継承や地域貢献にもつながっていくと確信しています。

さらには、この障がい者雇用の未来をつくることにもつながるのです。

原田 「障がい者雇用をしている特例子会社のほとんどが実は赤字。どこも収益化が課題となっています。
私はこの『とみおか繭工房』を黒字にするために、社外で価値あるものと認めてもらい、利益を生み出すことを突き詰めていきたいですね。
それが結果的に障がい者雇用を守ることになるし、養蚕の伝統や技術を守ることにもつながっていきます。社外で販売した商品が売れることで障がい者メンバーの自信や誇りとなってくれたら嬉しいです。
流行りの『人の効率化』ができない分野なので、人がいる分の利益をどうつくっていくかという発想でやり、『うちの障がい者雇用事業は黒字です』とさらっといえるようにしたいです」

天の声によって障がい者雇用事業の現場に立ち続ける原田は、確固たる信念のもと、障がい者の活躍・事業の黒字化・養蚕の発展を追い求めています。

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