お笑い芸人の道からビジネスの世界へ。場所が変わっても決して変わらないもの

プラスバイプラス(以下、PXP)の中国支店営業部で活躍する坂田英俊。彼は元お笑い芸人という異色の経歴を持つ。さまざまな経験を経た2019年現在、支店の中で、あるいはPXPの中でどのように在りたいと思っているのか。そして彼は何を大事にしているのか。素直な想いを語ります。
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自分ひとりでは生きられない。感謝の気持ちをいつも心に

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▲学生時代はバスケに熱中

中1から大学4年まで10年ほどバスケットボールをしていました。ポジションはシューティングガードで、ずっとレギュラーでした。バスケットボールをやっていた時期の一番記憶に残っていることをひとつ挙げるとしたら、毎回同じところに負けてベスト8にしかなれなかったことですね。トーナメント、くじ運もあるんですけど、そこに絶対勝てなかったというのが印象に残ってます。

勝ちたかった。追いついては来たんですけど、やっぱり僅差で負けてた。いつもココやなみたいな。トラウマですね。毎回トーナメント表とか試合前に渡されるんですけど、勝つ、勝つ、勝つって辿っていって、ここ当たるやん、またここや、って。最後は悔しい気持ちもなくなってきて(笑)

そういう意味でなかなか悔しい想いをしたバスケ時代だったんですけど、チームの居心地はすごくよくて。マネージャーは中学はいなかったですけど、高校・大学とも同じメンバーで活動してて、マネージャーの女の子も仲良かったので、私やるわって。7年間一緒のチームでやっていました。

マネージャーとはめちゃくちゃ仲が良い。お友達。バイトも一緒だったので。京都に帰って会うくらいの仲でしたね。仲良すぎて、ゼッケンとか洗濯してくれるマネージャーに対して、よろしく、みたいな感じで投げてました。

そんなある日、監督に「マネージャーが一番偉いんや。マネージャーが率先して、世話してくれたり、いろいろしてくれるから、お前らがのびのびバスケに専念できるんや」と怒られました。

最初はあんまりわからなかったんですけど、言われたらそうやなと。一緒に投げた友達と話してて、めっちゃ監督怒ってたな、なんで怒ってたんやろ?って話していくうちに、たしかにマネージャーっていろんなことをやってくれているし、ケガしたときも、雑用もやってくれるし、マネージャーがおらんかったら俺らなんもできへんよなってなって。そこから畳んで渡すようになりました(笑)。

そんなマネージャーとは今でも連絡はたまにとってます。彼氏できたんか?とか、最近どうなん?とか(笑)。そういう体験は今の自分にもつながっていて。私自身いろいろな人に助けられて生きていると思っています。妻や両親、兄弟、PXPのメンバー、いろいろな方に助けられているので、本当に感謝しかありません。

とくに、奥さんには一番感謝しています。20歳のときから一緒で、2019年現在自分は34歳なんで14年くらい一緒にいるんですね。でも意見の食い違いとかもないんです。言うことはお互い言うんです、こうしたほうがええんちゃう?みたいな。でも言い合いにまではならないというか。それは有難いですね。あとは性格もありますね。ふたりとも怒らない性格、これに限るというか。だから衝突はないです。

夢を追い続けた日々が「引きずらない」「気を遣える」自分をつくった

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▲お笑い芸人時代の漫才風景。右側が坂田

最初の仕事は、お笑い芸人をしておりました。M-1やKOCといった賞レースに出たり、若手のライブに出たりしておったんです。ライブのシステムが、事務所にチケット代を支払ってチケットを貰い、それを自分でさばかないとマイナスになるので、朝から晩まで外でチケットを売るためにひたすら人に声を掛けていました。

あとは、某有名先輩芸人によく可愛がっていただいており、事務所の仕事以外。たとえば、友達と遊ぶとかアルバイトより優先でその方との時間をつくったりして。じゃあそもそもなんで芸人を目指したのか。きっかけは、大学のときにおったおもろいやつ。すごいおもしろかったので、授業中に前の席におったんですが、トントンと叩いて、「一緒に漫才やらへん?」「いいよ」「いいの?」 みたいなところからスタートして、自分らでネタをつくって2007年のM1に出ました。

自分らでわからないなりにネタをつくって、それで3回戦まで行ったんです。それでこれはイケるんじゃないかと思い、大手のお笑い事務所に行くことにしました。M1に出たときのコンビは解散してて、相方は別のやつで。地元の友達によく飲んでいる仲間がいて、「実はおれ、芸人になりたいねん」 って言ったら、「俺も実は思っててん」と。「マジで?」とそれでコンビになりました。

結局、東京に行くことにしました。大阪か東京どっちに行く?ってなったときに、「大阪だったら近いし、京都から実家が近いし甘えてまうし東京行こうか?」 って言われたので、なるほどと。僕は最初大阪行く気満々だったので、お前が言った東京について行くわと言った感じです。

芸人としての活動期間は約9年ほどです。芸人になって良かったことは、いろんな先輩方とつながれて、いろんな経験をさせてもらえたこと。普段絶対に知り合う人じゃないので、そういう方たちと遊んだりできるというのは良い経験が出来たと思います。ある有名な先輩芸人さんに可愛がってもらっていて、ふたりで沖縄行ったりとか、その方が仲の良い先輩方とディズニーランドに行ったり、バーベキュー行ったりしてました。

苦労したというので言うと、先輩ごとで守らないといけないルールが違うことです。怒られたことについてはノートに書いて、二度としないように気を付けていました。たとえば、ある先輩は黒のフリスクが好きなので、常に持っておくとか。食事は御馳走していただけるんですけど、映画だけは割り勘とか。人それぞれ感性が違うので、人の金で観たら文句は言えへんやろ?というようなことです。

このときに学んだのは、怒られても引きずらないということ。嫌なことがあっても引きずらない。笑いに変えるというか。そういう考え方をするようにしました。

このことは今でも同じで、怒られても引きずらないようにしています。芸人の仕事はとても楽しかったですが、9年続けて自分の夢か、彼女の人生かって天秤にかけたとき、彼女の人生の方が大事で、芸人の道をあきらめました。

大切なことはとてもシンプル。昔からずっと変わらないもの

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▲入社当時の坂田

新しい仕事を探すことになりましたが、とくにやりたいこともなくて、土日休みの仕事ならいいかなという感じで。とはいえ働くモードではありました。というのも、結婚も考えていたんです。だから早く働かなあかんなと。

最初は土日休みの仕事ならなんでもいいかというくらいの感じでした。奥さんが土日休みなので、土日休みの仕事を探してって言われてたんです(笑)。そんで4社くらい面接に行きまして、こんなことを言うのはおこがましいんですが、PXPは自分の中で波長が合うと思って。PXP以外の3社はたんたんと面接をこなしていく感じの面接官だったんですけど、PXPはとにかく明るくて。

面接のときのマネージャーの澤悠介さんの印象がとても良かったんです。事務所に行ったときに、ほかの方もすごいあいさつしてくれたので、皆さん明るい人なんやなっていう印象で、そのまま入って。澤悠介さんも明るかったので、話していて元気をもらえるというか。それでこの会社は楽しそうだと思い、入社させていただきました。

入社当時、会社に期待していたことは、しんどいことはもちろんどんな仕事をしていても、芸人やっててもしんどかったですし、ほかの仕事も厳しいことはあるんですが、その中で楽しいことがあればいいかなって、やりがいがなかったらしんどいですから。

そうやってPXPで働くようになって。その中で大切にしていることは、笑顔とあいさつと気遣いです。携わってる仕事とは関係なく、昔から大切にしておりました。

きっかけは、昔から明るい性格なんですが、芸人やりだしてからは余計です。とくにあいさつと気遣い、ゴリゴリ縦社会なので、ここをおろそかにしたらダメだと思いました。芸人をしていたときは、先輩に可愛がられるタイプで。先輩に可愛がられて、ライブに呼んでいただいたり、プライベートでも遊んでいただいたりと、いろいろ経験させてもらいました。

どれだけおもしろい実力がある人でも、笑顔とあいさつと気遣いが出来ていないと、日の目は見れないなと肌で感じたんです。ですので、仕事のメンバーに対してやお客様にも、笑顔とあいさつと気遣いは今でも心掛けています。

ちょうど先日、福岡で展示会に参加したのですが、似たようなシチュエーションで自分の気遣いが役に立ったのかなという話がありました。2日のうち1泊目はホテルの部屋は別々だったんですが、2泊目は空室がありませんでした。

自分を含めて、中国支店の廣瀬賢二さん、中部支店の池田正和さん、四国支店の栗田吉隆さんの4人で一部屋になってしまいました。最初は正直「めちゃくちゃ嫌やな~」と思いました(笑)。自分以外はみんなマネージャーですからね。結果的には楽しかったんですけど。

その部屋で飲むためにスーパーのお総菜を買ったり、お肉買ったり、お酒買ったリ準備をしてたんです。僕は後輩なんで、焼いたり、お酒なくなったらつくったりというのがあって3人ともに、「めちゃくちゃ気効くな」って言われました。

芸人をやってたときからそんな感じでやってたので、別に特別なことをした感覚はなかったんですけど、それが評価に結びついたのは嬉しかったですね。これは今、夫婦生活にも生かされてると思います(笑)。

PXPにとっての、ムードメーカーでありたい

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▲いつも明るく!がモットー

今はそのようなことを自分の肝において頑張っていますが、今後の自分が掲げるビジョンというか挑戦として、plusCAD水道Jをもっと拡販していきたい。関西支店の畑祐三さんにすごく期待していただいている部分はあるので、自分の中でそれをもっと頑張って行きたいというのは出てきました。

これは水道工事の各種製図に特化したソフトで、驚くほど早く申請図面を作成できるんです。 それはplusCAD水道V もだったんですけど、plusCAD水道VとplusCAD水道Jは全然違っています。操作性がまったく違うことはもとより、plusCAD水道VはJWデータをDXFに変換しないといけません。

もともとJWCADを使っていて、plusCAD水道Vを使ったけど、「操作方法が全然分からなかったわ」と言われるお客様にplusCAD水道Jがはまったりします。plusCAD水道JはplusCAD水道Vと違ってJWCADそのものなので、わからないことがあればネットなどでスグに調べることが出来るんです。なので今後、plusCAD水道Jをもっと広めて行きたいという気持ちは出てきました。

あともうひとつ、これは仕事っていうよりビジネスマンとしての目標ですね。どんな会社であろうが行き着くところは人だと思ってるので、この人と一緒に働いてよかったと思ってもらえる人になりたいです。そのように考える理由は、自分にもしんどいときとか厳しい、嫌なことももちろんありますが、この人がいるから働ける、この人がいるから毎日仕事楽しみやなというのが自分の中であって。中国支店はすごく仲が良いので、そういう人がいると、仕事も楽しくなるので、結局人やな、というのがあります。

仕事の内容ももちろん重要なんだけれども、たとえば何かそこでつまずいたり、うまく行かないときや、そのことだけだとくじけてしまいそうなときでも、自分の信頼できる人や仲間がいれば、何か乗り越えられる糧になるんじゃないかと思うんです。逆にそういう人がいなかったら多分辞めています。

支店長の廣瀬賢二さんもとても良い人です。自分の家族のことも気を遣ってくれますし。厳しいときもありますが、飲みに行ったときも含めて、普段はおちゃらけたら笑ってくれる人なので。気遣いをすごくしてくださり、たまにあるんですけど、廣瀬のマナーアップ講座みたいな。「なんですかそれ?」って鍛えていただいています(笑)。

自分自身は周りの人たちにとって、坂田はいつも明るく元気だという認識でいてほしいです。坂田が暗いとメンバーも暗くなるというくらい常にムードメーカーでありたいと思っております。

ですのであまり落ち込んだりということもありません。もちろん反省はしますけど、反省して直さなあかんな、という気持ちはありますし、ただそれと暗くなるは別というか。それは意識はしてないです。性格的な部分もあるんですけど、暗くはならないです。

反省するときも、自分が落ちている状態で反省しても入ってこないので。そんなん非効率じゃないですか。それやったら、次こうしたらもっとうまく行くやんみたいな感じで反省したほうが、うまく行くんちゃうかな?みたいな考えです。それが人によっては反省してへんのちゃうか?って取られることもありますけど。

この間も支店の事務所で、面談テーブルがあって、そこで支店長から私が厳しいことを言われて、終わった後に次のメンバーの番で、「次の方どうぞー!って医者かい!」とひとりで言ってました。怒られたのに。自分の中では別に暗くなってないので、支店長にしたら、反省してんのか?ってなりますよね(笑)。まじめなときは静かになりますけどね。

自分の中で心掛けていることは、人って鏡って言うじゃないですか。僕が明るくなったら、メンバーのみんなも明るくなるというのを意識しています。みんなが明るいのは俺のおかげや、みたいな、俺おらんかったら絶対暗いやん、くらいの感じです。

奥さんにも話すんですが、PXPはすごい人が良いんですよ。前任の支店長の話とか、現在の支店長廣瀬賢二さんの話もですし、だから奥さんもすごいPXPのことが好きで。そういう会社って嬉しいなって。自分が働いているところを、全然知らない人が好きになるというのは。

まさにプラスバイプラスって感じですよね。すごい皆さん良い人なので、これからも一緒に頑張って行きたいという気持ちがあります。

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