世間知らずなエステティシャンが「OL」へ転職、 3年で「秘書」に抜擢されるまで

美容専門学校を卒業した後、エステティシャンとして勤務し約2年ーー。中村文香が門を叩いたのは、「渋谷で働く」「ネイル自由」「服装自由」「髪型自由」そんな言葉と、楽しそうな従業員の写真で直感的に選んだ、何をやっているかはわからない会社(=リアホールディングス)でした。そんな彼女の怒涛の数年間を語ります。
  • eight

周りより一足遅れて…初めての社会人生活

5cfab7d8a20db6fa562b0f148814488714129076
先にお伝えしておきますが、私はエステという仕事を短い期間で辞めてしまったので、この業界について語れるほどの身分ではありません。そして今も昔も同じように「エステティシャン」という仕事は本当に素敵な仕事だと思っています。なのでこれからお話しすることは、あくまで私個人の過去の出来事です。

「四年制の大学に行ったら私はきっとその時間のほとんどをあそんだり無駄に過ごしてしまうだろう」

当時18歳。進学を考える時期にそう思い、今も今後も、もし仮にその仕事を一生しなくても自分のためになったり、母にマッサージを教えてあげられたら喜んでくれるはずだと感じ、美容専門学校へ入学しました。

2年後の20歳、学校卒業間近の夜中、母がうなされている声で起きました。父が急いで病院に連れていくと、診断結果は卵巣がん。父は家事ができない九州男児なので、私が家のことをしなければと内定をもらっていたサロンを辞退。卒業後は働かず家のことをしていました。そんな私を見るたび母が「私のせいでごめん」と言うことがつらくて悲しくて……。

母の手術が終わり体調も落ち着いた時期に「諦めたわけじゃない」「お母さんのせいじゃない」と母に伝えたい気持ちから、改めてエステサロンで働くことを決意。エステティシャンとして某サロンに入社しました。

「美」を追求していらっしゃるお客様に対しては自分が"商品"になるので、常に体重・スリーサイズは把握し、理想の体型であるよう毎日気を遣っていました。仕事自体は大変ながら毎日学びがあり充実していましたが、人間関係があまり良好ではなかったことや、時折エステティシャンらしからぬ発言をする方などが目についたりすることがあり、好きで入った業界なのに…なんとも言えないもやもやした気持ちが次第に大きくなりました。

働きはじめて約2年が経った頃、「本当に納得いくサロンを作るならば自分で作る以外ないのかもしれない」「自分が本当に納得したと思える・言える仕事をしよう」ーー。

そう感じ、思ったことを素直に店長に伝え退社を決意。今思うと自分勝手な考えだなとも思いますが、そのときの私はその環境を変えるまでの力がないからやろうともしない、失敗したくない、だからそこではない環境で、改めてイチからスタートしたいと思ったのかもしれません。

「ネイル自由」「服装自由」「髪型自由」 -飛び込んだ会社は…

6784ac9c2c842ec970712d557a02165506098614
入社当時のオフィス風景
そもそも性格的に頑固で完璧主義で、自分にも周りにも厳しく、曲がったことや嘘が嫌いな私。次の仕事として考えたのが「OL」でした。OLは「コピーとっといて」「お茶出しておいて」といった、頼まれたことをやるというイメージだったため、頼まれごとをやるだけで完璧な仕事ができるというかなり安易な考えで「きっと自分の性格に合う!」そう確信し求人サイトを開きました。

エステ業界にいた時はネイルが出来なかったり髪色も抑えていたので、反動で自由にしたい気持ちから規則が緩い場所を探し……。ちなみに今までアルバイト経験はほぼ皆無。求人サイトもろくに見たことがなく、そもそも家でパソコンなんていじったことがありませんでした。

たまたま見た求人サイトで「ネイル自由」「服装自由」などの書き込みと、海であそんでいる楽しそうな従業員の写真が目に付き……「楽しそう」それだけで応募しました。

面接は約30分。あたま20分くらいはどういった気持ちで取り組んでいる会社か、これからどうしていきたいかという意気込みを語られ、業務内容の説明はゼロ。最後にされた私への質問は「専門学校卒業後の空白の期間は何をしてたか」、そして「パソコンは打てるか」このふたつ。1問目はありのまま話し、2問目で「全くできないですがみんなが1ヶ月で覚えることを私は3週間で覚える自信があります」と全く根拠のない言葉通り"自信"だけで回答。

なぜか即採用が決まり数日後アルバイトとして入社をしました。入って発覚したのは「従業員が7~8名」「起業して1年のベンチャー起業」「事務員ゼロ」。これも当たり前がわからない私にとっては「へー、こういうものなんだ」程度の感覚。ですが、仕事をしてから全てのイメージが覆されました。

まず電話がすごい鳴る(その当時、当社はコールセンター業も行っていました)。どうしていいかわからないのに事務員が私しかいないので出るしかない。……出る。でもお客様から言われていることがわからない。折り返しにしてひとまず電話を終える。先輩がいないので右も左もわからない私は都度社長に質問に行くのですが……。「なんでも聞いてね」と言っていた社長に質問すると「自分で調べた?」「俺わかんないし、まずは自分で調べてから聞いて」と……。

そのとき、なぜ自分がやり続けたのかよくわかりませんが(笑)、せっかく入社した会社だからどれだけキツくても大変でも最低3ヶ月はやろうという気持ちと、なんだかここで辞めたら負けた気がして納得いかなかったのでしょう。わからないことだらけなのに、自らやらないと一日の仕事が終わらないーー。毎日戦いの日々でしたが、写真に載っていた通り従業員の人たちはとても気さくで、「ここの人たちは話しやすくて好きだなぁ」と思えたことが唯一の救いでした。

3ヶ月もすると一通り業務に慣れ、「まずは3ヶ月続ける」という気持ちはなく、「ここが足りないからこうしよう」「これを作るにはどうやって作るんだろう」と日々周りを見ながら自分で調べて進めていく癖がつきました。そんな毎日が心地よく、入社1年でアルバイトから社員雇用にしてもらうことになります。

楽しいもワクワクも成長も安定も「自分で作ればいい」

1b86fc7a06b466e62a44d7f516a21591c3f439be
採用された当初代表が私について書いたブログ。初心を思い返す大切な記事です
「5年再発しなければほぼ再発はない」ーーそう言われていた母の発病から5年が経過した頃。

私は会社で引き続きせわしなく働いていました。毎日目まぐるしくすぎる時間にヘトヘトになりながら、でもその疲れがうれしくて楽しくて。帰ったら両親にいつも会社の話をしていました。

ある日、普段通り仕事をしていると、急に代表から呼ばれました。入社してから何度も私とぶつかってくれた私にとってお父さんのような人です。先程お伝えした通り、私自身頑固な性格なので、アルバイト時代から代表であれ誰であれ、言っていることに納得がいかなければ都度「理解できません!」とくってかかっていました。その度に、ときには兄弟のように言い合ったり、ときには父のように諭してくれる、そんな関係の代表なのですが……。

何かと思いすぐに社長のもとへ向かい話を聞くと、「あのさ、あれ。色々都合がいいから名刺の肩書き秘書にしといて」。“色々都合がいい”というのは事実といえば事実だったのかもしれませんが……(笑)ふわっとした言葉で、誰にも知られぬうちに一般事務職から秘書へ。こんな昇格の仕方他の会社ってあるんですかね?

とにもかくにも、そういう運びとなり。両親は大変喜びました。私としても今までの過去がすべて報われたような、今までが間違っていなかったと自分を認められるような、そんな瞬間だったのかもしれません。名刺を見て、ひとりでこっそり泣いたことを覚えています。

入社したときを思い返すと、恐らく10名入ったら9名は辞めるような会社だったかもしれません。「先輩がいない」「誰も教えてくれない」「何もない」「不安」……。でもこれって白紙のキャンパスみたいなもの、ある意味自分で好きな色を塗れる!好きなようにカスタマイズできる!こうやって自分で切り開く力がついたら、きっとどんな環境になっても察知したり自ら作り出すことのできる人材になっているはず。

物も人もマニュアルも、「ある」が当たり前じゃないから一生懸命作る努力をする。それを身を持って体験したからこそ、今すでに「ある」ものに感謝できる。それが本来身に付けるべき力であり、自分や環境を豊かにする感情だと実感。

【未熟で未完成なものからしか学べないことがある】今思えば、そのときの何もない環境や誰も教えてくれない環境は、とても貴重な経験で、今ある私を創りあげてくれた大切な時間でした。

「誰でも変われる」 "リアホールディングス"という場所で伝え続けたい

02d910414a1ce041fc121426a8d5105efb2df129
私がリアホールディングスに入社したのは設立1年のとき。

2017年7月には、当社も10期目を迎えます。どこの会社よりも優れる自社サービスがあるわけでもないですし、従業員もほとんど新卒入社の子なので年齢層も低く、どこにも負けない知識やキャリアがあるわけでもありません。

そんな当社もグループ会社で2014年よりスタートした新卒紹介事業では、約2年をかけようやく他社様にも引けを取らないサービスの構築ができました。2017年度では500名の内定承諾数を達成することができ、さらに2020年度には約4倍の承諾目標を掲げ、ついに業界トップ3を狙える位置まできました。

私自身もそうですし、入社した人のほぼ100%が現在の業務未経験からのスタート。ここまでに至った理由も、当社でしか学べないと自信を持って言える部分である【「ない」ものを嘆くのではなく「ある」ものに感謝し、「ない」ということを己のできない理由にしないこと】。たとえば「A社はいいよな」や、「B社だとあれだけ設備が整ってる」など、隣の芝生が青く見えることはもちろんあると思います。

ですが、「だから自分にはできない」「うちの会社では無理だ」これはイコールではありません。見方を少し変えるだけで自分の世界は大きく変わります。人の短所もそう。悪く見ようと思えばそう見える部分も、見方を変えれば長所になりえます。そんな考え方を私自身この会社で数え切れないほど感じ学んできました。

「人は誰でも変わることができる」

まだまだ成長過程の当社ですが、この時期だからこそ見える景色や感じれる気持ちがあります。型にはまっていないからどういう形にも変えることができる。ベンチャーって"自分らしく"も"変わりたい自分"も、『想い』があれば全てを叶えることができる環境です。22歳の世間知らずな小娘が、未経験OLアルバイト1年で社員に、そして3年後には秘書になれるように……。

--この記事を書こうと考えたとき、事業内容や従業員の雰囲気、会社の理念やビジョン等、何を書こうかと悩みました。ですが、きっと私が見てきた/感じてきた"想い"をそのまま言葉にすることが一番伝えたいことが伝わる気がして、私の社会人生活の『思い出話』を綴りました。

今年から人事も兼任することになった私のここからの社会人生活。今までいろんな人に支えてもらった分、当社メンバーはもちろん、お取引先様やこれから出会うさまざまな学生さん。悩み苦しんでいる状況があったとき、きっとその人自身で変えられる力があるはずだからこそ、抜け出すヒントになるような少しの手助けをできる人間でありたいなと。

D"REA"Mという夢の中心に身を置く会社で、【無限の可能性を形にする】会社の一員として、かつ"代表選手"という誇りを持って。

関連ストーリー

注目ストーリー