経験も資金もなかったRetty創業期に社長・武田和也が“人を巻き込むリスク”を考えなかった理由

実名グルメサービス『Retty』の創業メンバーは、プログラミング未経験のふたり。サービスをリリースするまでには、いろいろな人たちの協力がありました。経験はまるでなく、資金も十分にある訳ではない創業間もない状態で、なぜ人を巻き込むことができたのか。社長の武田和也が振り返ります。
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「まずは共同創業者として」前職メンバーの長束を誘った理由

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▲2010年にRettyを創業した武田(右)と長束(左)、オフィスには創業時から現在に至るまでの写真が飾られている(2017年11月)

アメリカでRettyの構想ができた後、日本に戻って会社を作る前に一時帰国して、現取締役の長束を誘いました。彼は、前職のネットエイジ(現・ユナイテッド)で僕がマネジャーをしていた時のメンバーです。

長束を誘ったのは、性格が正反対なのがよかったし、何よりもすべてにおいて信頼できるから。起業したら、きっと想像しなかったようなことが次々に起きるだろうと思ってて。そんな不測の事態を乗り越えるためのスキルはあとからでも身に付けられるけど、ベースの人間性は簡単に変わりません。

彼は僕が起業しようとしていることは知っていて、「武田さんが会社をやるならお金出しますよ」みたいなことは前職で一緒に働いていたときから冗談で言っていました(笑)。でも誘ったときはびっくりしたんじゃないですかね。彼は当時まだネットエイジにいて、仕事に集中して面白さが増してきた良い時期だったから、相当迷ったみたいです。

一緒にやってくれる確信があったっていうよりは、頑張って誘ったっていう方が正解かな。飲みに行って、結構口説いた気がします。結局、誘ってから1ヶ月ぐらい経ったころ、僕がアメリカに戻っているときに返事を聞きました。

起業した当初の会社名は、『TopNotch』。アメリカで友達に「かっこいい社名にしたいんだけど、何かいい名前ない?」って聞いたら、「トップに刻むって意味だし、アメリカ的にも意味合いとしてはいいよ」って言うから、じゃあそれでって(笑)。登記するうえで必要だったから、ひとまずの仮の名前です。

資本金400万円は親に借りて、机や備品は「余っているモノください」ってネットエイジから全部もらって。それで赤坂でオフィスを借りました。家賃が6万5000円くらいで相当安かったのが決め手です。あとはミッドタウンの裏で六本木に近く、エンジニアを採用しやすそうなエリアだったのも理由ですね。

フリーランスのエンジニアが“無償”で未経験者の先生に

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▲オフィス兼武田の住居だった赤坂にて、開発を始めたころの長束(2010年12月ごろ)

オフィスは4階にあって、僕はそこに住んでいました。長束は3階に住んでいましたが、ホテルをマンションに改築した物件なので、キッチンも洗濯機もない。普通の生活ができない、とにかく住みにくい部屋でしたね(笑)。

ふたりともプログラミングは未経験だったから、まずは『PHPの教科書』っていう本を買いました。とりあえずはゼロから作りはじめたけど、そんなに甘い話ではなかった。「これは時間がかかるぞ」と思って、いろいろなエンジニア向けの勉強会に潜り込んで、先生を探しました。

それでフリーランスのエンジニアの廣瀬さんという方に出会いました。「よく分かんないけど、頑張りそうだから」って、手伝ってくれることになって。神奈川の大和から赤坂まで、わざわざ2時間かけて通い、長束の隣でずっと無償で教えてくれました。

「やるしかない」っていうのが大きかったですが、長束は性格的にハマった感じでしたね。もともと長束がWebサイトで、僕はiOSアプリを作るっていう役割分担だったんですよ。でもiOSアプリの作り方を調べた結果、これはすぐに作るのは無理だな、と。人を探して、その人に作ってもらった方が早い。そう思って「採用でバリューを出す」って方向に僕は早急に切り替えました(笑)。

採用の仕方は今も当時も変わっていない

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▲エンジニアが集まるiOSのイベントでプレゼンをする武田(2011年9月)

会社を作って半年でRettyをリリースしましたが、その間、廣瀬さん以外にもたくさんの人が助けてくれました。

現執行役員の内野との出会いもこのころです。「いい人がいたら紹介してほしい」っていろいろな人に声をかけていたら、友人が紹介してくれました。職人気質で、サービス作るのが大好きな人。第一印象から何も変わらないです。

彼は当時他の会社でサービス開発をしていたので、終業後の夜に赤坂で一緒に働けるように、勝手にオフィスの下に部屋を借りて住んでもらいました(笑)。おかげで開発は相当進みましたね。内野と出会って本当に良かったと思いました。

リリース後もスカウトを兼ねて、エンジニア向けの勉強会に行っていました。今では「スカウトお断り」って注意書きがされるようになったので、あまり大きな声じゃ言えないですが……。そこで会ったフリーランスのエンジニアの方もふたり手伝ってくれていました。勉強会で僕に会ってしまったがために、巻き込まれてしまって.....。彼らには足を向けて寝られません。

優秀なエンジニアが集まるiOSのイベントに、WindowsのPC持参で参加したこともありました(笑)。しかも「アメリカのAppleストアの現状」みたいな、みんなが興味を持ちそうな話を考えて、プレゼンまでしたんです。技術のことは分からなかったけど、どうにかエンジニアの方たちと仲良くなろうと必死でしたね。

手伝ってくれたエンジニアの人たちはみんな、「どうなるかは分からないけど、面白そうだから一緒にやる」っていう感じだったんじゃないかな。

当時のボロボロのマンションのやたら暗い一室で、みんなが黙々と作業をしている。そんななかで「なんだこの怪しいところは?」って立ち向かえる人と、フェードアウトしていく人に、自然と分かれていくんです。考えてみれば、あのころから採用の仕方はあまり変わってなくて、まずは実際にオフィスで一緒に働いてもらう。言葉にするのが難しいんですけど、正式に採用する場合は、同じオフィスにいるイメージが湧くかどうかを強く意識しています。

うまくいくことは決定事項。巻き込むリスクは頭になかった

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▲未経験ながら、サービス開発を続ける武田と長束(2011年9月、移転した新宿のオフィスにて)

半年後にリリースしなければ、7〜8か月後には資本金400万円が尽きて潰れることが分かっている。タイムリミットがあるなかで、何かに保険をかけるでもなく、目の前のことにすべてを突っ込んでいたから、「どうにかリリースしなければ」って必死でしたね。

しかしそんな状況でも、人を巻き込むリスクはまったく考えなかったです。うまくいくとしか思ってなかったから、何とも思わなかった。

ロジカルに考えると何の説明もできないし、どう考えても根拠がないんですよ。でも「いける」って思い込んでいる。というか、うまくいくことはもう決定事項なんです。

不思議なのが、アメリカでRettyの構想を考えていたときも、ボロボロのマンションでリリースに向けて準備していたときも、ユーザー数が3000万人を突破した今も、「絶対に成功する」っていう感覚がまったく同じなんです。何も変わらないんですよ。

Rettyが大きくなってきて、一時的には成功してるように見えると思うんです。でも課題は山のようにあって、今でも毎日ヒーヒー言いながらやってます。そんななかでも、創業メンバーとか関係なく、最近入った人も、これから新しく入ってくる人も、みんながある意味バカになって「絶対に成功する」っていう思いを持っていてほしい。ベンチャー企業にとってこのマインドはすごく大事だし、みんながこういう風に思えれば、なんだって乗り越えていけると思ってます。

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