「やりたいこと」を「できる」に変える――さくらインターネット20年の軌跡と未来

私たちさくらインターネット株式会社は、各種サーバーを主としたホスティングサービスを幅広く提供し、多くのお客さまからご愛顧いただいています。1996年の創業から20周年を迎えた今、これまでの道のりを振り返るとともに、当社の“これから”について、創業者でもある代表取締役社長 田中邦裕の想いをお伝えします。
  • eight

世界中と瞬時につながる、インターネットの世界に感じた大きな可能性

D5790a18e0e23a702d6bba3679d7edeba3fcbe89
代表取締役社長 田中邦裕
さくらインターネット株式会社の創業は、日本のインターネットバブルがはじまりつつあった1996年。現在、当社の代表を務める田中邦裕が、京都の高等専門学校に在学している最中のことでした。

彼はもともと、ロボット設計のバックエンドやネットワーク、サーバーなどに興味を持っていました。そして1994年にインターネット・ブラウザに出会い、通っていた学校のネットワークを通じて海外のサーバーに自由にアクセスできる、ということに衝撃を受けたのです。

さらにロボットコンテストの試合のため、東京・秋葉原を訪れたときのこと。何気なく、秋葉原の店頭にあった端末を操作してみた田中は、ある新鮮な驚きをおぼえました。

「そのとき、その端末に地元に置いてある自分のサーバーのIPアドレスを入れてみたんです。手元から世界中のサーバーに、また世界中どこにいても個人のサーバーにアクセスできる……そのことをはじめてリアルに体感して、感動したんですよね」(田中)
当時、学校内のコンピューターから、あこがれの気持ちでアクセスしていたインターネットの世界。東京という離れた場所から自分のサーバーに接続することで、インターネットの双方向性――つまり、世界中のWebサーバーと地方にある自分の小さなマシンが、自由かつオープンにつながっていることを実感し、その大きな可能性を予感したのです。

折しも、当時の日本はGDP成長率が低下しており、閉塞感が漂っていた時期。しかし海外に目を向けると、コンピューター産業の市場拡大などを背景に、米国は経済的な成長を遂げていました。

コンピューティングには、将来的な可能性がある。そう感じた田中は、それまで友人を中心に貸し出していたサーバーを、より多くの人に提供するというサービスで起業することにしたのです。1996年12月、まだ18歳のときでした。

株式上場を目指してがむしゃらに走り続けた、苦悩の創業期

B7462f58e43a1610b94775fa90b27294b31548ba
創業当初の田中邦裕(左)と、オフィス風景(右)
ちょうどインターネット・ITバブルの時期も重なり、創業後の当社は順調に成長していきました。そして人手が足りなくなるたびに補充採用をしながら、事業を安定させるため、どんどん人的リソースを投入していったのです。

さらに上場に対する憧れもあり、田中をはじめとするメンバーは、ベンチャーキャピタルからの資金調達を受け、株式上場を目指すことを決意しました。

しかしその頃、組織の中で最初のほころびが生じはじめます。

いつの間にか、上場すること自体が事業の「目的」にすり替わり、夢を抱いて集まってくる社員たちも、単なる人手、リソースと見られがちになっていきました。

「社内の雰囲気と、自分の想いの方向性の違いを感じるようになってきたのはその頃からです。エンジニアを中心にした自由な雰囲気の会社を目指していたのに、規則が最優先されてがんじがらめになっていたというか……」(田中)
とはいえ一度はじめた上場への努力を、そう簡単にやめるわけにはいきません。それでも自分の中で膨れ上がる違和感を抑えられず、創業から4年後の2000年、田中は自ら代表取締役社長の座を降りることにしたのです。

「ロックバンドでいう、“音楽性の違い”みたいな感覚でした。私自身もまだ22歳で、視野が狭かったのかもしれません」(田中)
ただ、彼はさくらインターネットから完全に離れることはせず、副社長兼エンジニアという立場で、現場に関わり続けました。

しかしその後まもなく、インターネット・ITバブルの崩壊が訪れます。当社にも「冬の時代」が到来。金融機関からの出資を受けられなくなり、資金が底をつく中、給与などに不満を抱き去っていく社員も出はじめました。

「数年の間は、本当にギリギリで厳しい状況が続いていましたね。お金さえあれば、こんなことにはならないのに……と、悔しい思いでいっぱいでした」(田中)
それでも田中をはじめ、当時の社員たちが懸命に踏みとどまったのは、「お客さまに迷惑はかけられない!」という使命感からでした。そして絶対にあきらめないその姿勢が、ピンチを切り抜けるチャンスを生むことになったのです。

苦境の中でリニューアルしたふたつのサービスが、会社の大きな転機に

Fabcca2aaac993df5e25e49bc4848881630da6ec
2005年、マザーズ上場時の記念写真
当社がさまざまな苦境を脱することができたのは、今もさくらインターネットを支えるふたつのサービスによってでした。まず私たちは、2002年に「さくらの専用サーバ」サービスの全面リニューアルに注力。すると、後に大企業へと変貌を遂げる企業さまから、相次いでお申込みをいただくことができたのです。

とにかくお客さまが困っていることをお聞きし、できる限りの対応をしていくうち、いくつもの企業がブレイクしてみるみるうちに成長していきました。

「いわゆる “棚ぼた”で運がよかっただけかもしれませんが、落ちてくる棚の下にいなければそれは起きないんですよね。つまり、いつでもチャンスをキャッチできるような努力をしていたからこそ、つかめた運だったと思っています。経営努力は決して成功のための十分条件ではありませんが、必要条件ではありますから」(田中)
また、さくらインターネットの創業事業である「さくらのレンタルサーバ」サービスの見直しも、大きなターニングポイントとなりました。

奇しくも、Web2.0バブルのさなかでレンタルサーバー提供の競合会社がひしめきはじめた頃のこと。特に周囲では低価格帯のサービスが目立っていたため、当社のレンタルサーバー事業の売上は年々低下していたのです。そのため私たちは、値下げか、現状維持かの選択を迫られることに……。

そうした状況下でくだした田中の決断は「リニューアルした最高のサービスを現在の8分の1という低価格で提供する」というものでした。

「正直なところ、確かな勝算はありませんでした。でも、ユーザーが満足するかしないか、でいえば絶対に満足するだろう、という自信はあったんです。それに、我々にとってレンタルサーバー事業は企業の原点ですからね。これで勝負したいという想いもありました」(田中)
そこで競合他社を凌駕する「月額125円〜(当時)」という料金体系に踏み切った結果、リニューアル早々、予想以上に多くの申込みをいただき、社内は急激に慌ただしくなりました。お客さまからの支持を得て、当社は再び上昇気流に乗ることができたのです。

サービスの立て直しに成功し、私たちさくらインターネットが念願だった東証マザーズへの上場を果たしたのは、2005年のことです。

「やりたいこと」を「できる」に変える、そのきっかけを提供し続けたい

7390bdadbdc5cbcabead1ecc34d520672178c427
2011年、北海道・石狩に開設した国内最大級のデータセンター
その2年後、ずっとエンジニアとして当社のサービスを支えてきた田中は、再び代表取締役社長に就任しました。

その背景には、上場後の混乱や悪化してしまった財務状況を改善するため、というやむを得ない事情もありました。しかし経営が再び軌道に乗りはじめると、田中はトップダウン的な経営をせず、社員たちが自由にイキイキと働き、自発的に仕事に取り組める会社を作りたいと考えるようになります。自分が20代の頃、株式上場を目指していた時代には叶えられなかった「自由な社風」を実現するためにーー。

そうした当社の変化を象徴するできごとのひとつが、2011年、北海道・石狩に国内最大級となるデータセンターを作ったことです。当初はあまり乗り気ではなかった田中も、現地を訪問した瞬間に“ここでなら働いてみたい”と、その環境のすばらしさを体感。新たなデータセンターの開設に踏み切りました。

「エンジニアには常に自由な発想をしてもらいたいですし、実際に自由な働きかたを好む人も増えています。都会が好きなら都会で、自然の多いところで働きたいならそのような場所で働けるよう、社員の選択肢を増やしたかったのです」(田中)
創業から20年。さくらインターネットは、今また新たな進化を遂げようとしています。これからの主役は代表の田中をはじめとする経営陣ではなく、現場で働く大勢の社員たちになっていくでしょう。

しかし彼が創業当時から抱いている、「やりたいことを叶えるための手段を提供したい」という想いは、今も変わらず当社に受け継がれています。

「たとえば、サーバーの運用がボトルネックになって、お客さまが世に出そうとしているサービスが実現できないなんて、これほどもったいないことはありませんよね。これから先の時代、ITやインターネットは、すべての産業において絶対に欠かせない重要な“手段”になっていくはずです。だから私たちはこれからも、お客さまの“夢”を実現させる手段として、インターネットのサービスを提供していきます」(田中)
さくらインターネットは、インターネットを「人々ビジネスにチャンスをもたらし、世の中を変える文化」として捉えています。大勢の人たちの「やりたいこと」を「できる」に変えていくーーそんな存在であり続けたいのです。

関連ストーリー

注目ストーリー