「挑戦する人たちの後ろ盾になる」弁理士業界の革命児が、苦節の人生から導いた使命

正林国際特許商標事務所は1998年の創業以来、弁理士業務の新たな道を模索し、日々チャレンジし続けています。こうした文化が根付いた背景には、所長弁理士である正林真之が経験してきた壮絶な苦難の日々がありました。今回のストーリーでは、彼がその人生を通して学んできたこと、弁理士という仕事や事務所に対する思いをお伝えします。
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理不尽な仕打ちによって進路を断たれ、弁理士の道へ

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正林国際特許商標事務所 所長・弁理士 正林真之
「なぜ、自分はこんな目に遇わねばならないんだ……」

若かりし日の正林真之は、その理不尽さにうち震えていました。今でこそ、弁理士約50名を抱える正林国際特許商標事務所の所長としてその名を知られる正林。しかしそのキャリアの歩みは、壮絶な挫折からはじまったのです。

正林「もともと、私は理学部の大学院で研究者を志していました。しかし、そこでいきなり徹底したパワハラに合い続けたんです。ある程度の経験年数や人脈が必要とされる業界では、必ず強い権力を持つ人間が現れます。そして未来ある若者を、自分の地位や既存の権益を脅かす存在として排除しようとしたり、それこそ“ちょっと気に入らない”程度の理由で潰したりするんですよね。私がいた研究所も、まさにそんな世界でした」
「死」という言葉すら頭をよぎったという、あまりにも理不尽な仕打ちの数々。正林は道半ばにして、大学院を中退せざるを得ませんでした。彼はこの経験から人間不信に陥り、組織に入って働くことをあきらめ、独立開業型の資格を取ることを考えはじめます。

主な独立開業型資格は、全部で5つ。弁護士、公認会計士、不動産鑑定士、税理士、そして弁理士です。その中で、理学系の専門知識を活かせる資格は弁理士しかありません。それが、正林がこの道を選んだ理由でした。

ただ実際仕事をはじめてみると、正林は弁理士として出会うクライアントに対し、強烈なシンパシーを感じるようになります。

弁理士に特許申請を依頼するような人や企業は、そもそも既存の枠組みを越え、新たなものをどんどん取り入れる素地や、イノベーションを起こすアイデアを持っています。しかし残念なことに、そういった人たちは、往々にして現状維持を志向する組織の中からはみ出してしまうもの。そのためクライアントの多くが、他人に理解されにくいという苦悩を抱えていました。正林は、そこに自分が辿って来た運命と似たものを感じたのです。

正林「自覚は全くありませんでしたが、私自身、高校時代の先生に“遠心分離機から外れた試薬”と言われたことがあります。要は周りと違えば、叩かれる。今までのことを刷新しようとすると、潰されてしまう……中世のように異端扱いされて殺されてしまう時代に比べれば幸せだと思いますが、それでも生きにくい人はたくさんいるんです。自分の仕事を通して、そういった人たちの力になりたいと思いました」
大学院中退という挫折によって、はじめは仕方なく取得した弁理士の資格。しかし結果的にこの仕事が、正林の人生を切り拓いていくことになりました。

7年間のサラリーマン経験で、再び厳しい道を歩む

研究者の道をあきらめ、弁理士としての道を歩みはじめた正林。しかし彼が現在の正林国際特許商標事務所を築くまでには、またしてもイバラの道が待っていたのです。

正林「はじめは特許事務所に勤務しながら、まずは弁理士の資格を取りました。脇目も振らず勉強したおかげで、やがて試験に合格し、大体の将来設計がみえてきたんです。もしそのときの事務所の居心地がよく、うまくいっていたら、そのまま独立しなかったかもしれませんね。でも残念ながら、所長と折り合いが悪くなってしまったんです」
新人時代は特に問題がなかったものの、正林が資格を取り、幹部候補生になって経営に近づけば近づくほど、所長と意見や方針が合わなくなっていきました。

正林「結局退職することになり、そのときに所長から『お前は絶対に独立しても成功しない。俺が保証する』とまで言われました。だからそのときは、いつか絶対に見返してやる……という気持ちしかなかったですね」
その後も彼は、仲間と事務所を共同経営したり、跡取りとして家族経営の事務所運営に加わったりしましたが、どれも上手くいきませんでした。

正林「共同経営では、メンバーの足並みを揃える難しさを実感しましたね。せっかく集まっているのに、その相乗効果を得ることができなかったのです。またその後跡取りとして入った事務所では、長年家族で経営しておられた環境と、あまりにも保守的な考え方になじめませんでした。そのときの経験から、今は事務所のメンバーと適切な距離感を保つことを意識しています。チームワークが最大化され、なおかつ息苦しくない距離があることが大切です」
独立するまでの7年間、苦難が続く日々の中で正林が得たものは、弁理士としてのスキルと実務経験。そしてサラリーマン、いわゆる“雇われる側”の心理でした。この時代に心に刻んだ数々の教訓を糧に、正林は独立を決意します。

「特許の申請」から「知的財産の活用」へ――弁理士の大きな転換点

1998年3月、正林は池袋の小さなマンションの一室で事務所を開業。ただその当時、弁理士の仕事といえば特許の申請が中心であり、日本にはまだ「知的財産」という言葉すらありませんでした。

しかし事務所の開設とほぼ同時期に、特許を取り巻く状況が一変します。当時のアメリカではすでに、政府の資金で研究開発された発明であっても、その成果に対して大学や研究者が特許権を取得することが法律によって認められていました。その考え方が、90年代後半になってようやく日本に入ってきたのです。

正林「アメリカでは、この法律によって産学連携が促進され、産業界で特許の価値が向上しつつありました。特許ではなく『知的財産』と呼ばれることにより、単に“認可されるもの”という価値観から、“企業の財産”へと、認識が大きく変わることになりました」
当然、弁理士の仕事も大きく変化するはず……正林はそう考えました。しかし弁理士業界では、この新しい考え方がなかなか受け入れられませんでした。

正林「弁理士会に対してあれこれ提言していたら、一方的に私の役職を全部取り上げられてしまったこともありましたね。でも、業界が大きく変わろうとしているのですから、簡単に引き下がるわけにはいきません。そこであえて、弁理士会の副会長に立候補したのです。この状況を変えるには、自らが派閥から外れた立場で上層部に食い込むしかないと思いました」
正林はどの派閥にも属していませんでしたが、長年にわたって弁理士資格取得のための講師をしていたため、そのもとで学んだ後輩たちが多くいました。そうした人たちの後押しにより、彼は副会長に当選。その後5年間にわたって、弁理士業界の新しい可能性を追求するために力を尽くすことになります。

正林「私は運が良かったのだと思います。いろいろな試練がありましたが、最終的に支えてくれた仲間がいたので、志を通すことができました。だからこそこれからは、周囲から厳しい扱いを受けながらも、日々努力し続けている人たちを応援したいんです。そういう人たちに必要なのは、強い後ろ盾にほかなりませんから」

あらゆる苦難を経てたどり着いた場所で、信頼できる仲間とともに

正林国際特許商標事務所がスタートして10年。決して“順風満帆”とは言いがたい年月でしたが、正林はその都度、目の前のハードルを粘り強く越えてきました。

正林「弁理士の仕事の究極の形は個人事業です。私はその覚悟を持った上で、事務所内でコラボレーションする距離感が適切だと思っているのですが、それを伝えるのはなかなか難しかったですね」
業績が順当に伸びはじめたのは、2005年頃からのこと。以後、当事務所では「特許を申請して、取得する」という従来の弁理士業務に留まらず、「特許を活用する」「企業の財産を守る」という視点から、次々と新しいサービスにチャレンジしています。

2016年現在、所属する弁理士は約50名にまで増えました。全員がそれぞれの専門分野を持ち、さまざまな案件で活躍しています。

正林「自分が『この人だ!』と思った人材が、のびのびと仕事をしているのを見るとうれしいですね。どんな人にも、必ず適所があるんです。だから私は、彼らの話に耳を傾け、活躍の場を一緒に考える。その姿勢は、所内でマネジメントを担当するミドルマネージャーにも徹底しています」
かつて自分自身が“遠心分離機から外れた試薬”と称され、心ないバッシングや、理不尽な仕打ちに直面してきたからこそ、弁理士として、イノベーターや先進的な考えを持つチャレンジャーを助けたいと思う。長い間、人との距離の取り方に悩んできたからこそ、所員たちの活躍を適切にサポートしたいと願う――正林は数々の試練を自らの使命に変えることで、現在の正林国際特許商標事務所を築いてきたのです。

正林「今、この事務所が成り立っているのは、ひとえにメンバーに恵まれたから。だから私は、外でどんなことがあっても、この事務所に戻るとホッとするんですよね。所員たちのことが好きなんです。私は、自分の人生に未練はないと思っていますが、事務所のメンバーと別れることだけが寂しいと感じます。それだけ、大切に思っていますね」
ようやく心から信頼できる仲間と、大切に思える居場所を得た正林。幾多乗り越えてきた苦難の日々を糧に、これからも弁理士の仕事に新しい風を吹かせていくのでしょう。

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