いつの時代も、弁理士は「非常におもしろい仕事」――元特許庁OB・芝哲央が見つめる未来

正林国際特許商標事務所には、現在200名の所員が在籍しています。そのバックグラウンドや経歴は十人十色。その中のひとりである弁理士の芝哲央は、国家公務員として特許庁に30年以上勤めた経験を持つ大ベテランです。彼は長年携わってきたこの弁理士業界、そしてこの事務所の仕事をどのように捉えているのでしょうか。
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知的財産を管轄する特許庁で、「審査する側」として過ごした30年

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日本の公的機関で、知的財産や特許を管轄している「特許庁」。正林国際特許商標事務所(以下、正林事務所)の弁理士・芝哲央は、その特許庁でおよそ30年にわたり、国家公務員としての役割を果たしてきたベテランです。

「自分は将来、国家公務員になる」――芝哲央がそう意識したのは高校時代のこと。官公庁に所属する先輩たちの姿を見て、国家公務員への道が、脳裏にしっかりと焼き付けられたといいます。

「当時から数学や物理が得意でしたので、技術系の仕事をしたいと考えていました。国家公務員になり、官公庁に勤めることを考えると、最新の技術に触れられる特許庁がおもしろそうだと感じたのです」(芝)
1978年、大学院の修士課程を卒業した芝は、特許庁に入庁。特許庁の仕事は、その名の通り特許を扱うほか、実用新案・意匠・商標などを審査することです。芝はここで、主に特許の審査官、審査基準作成などに携わってきました。

「特許は非常に複雑な制度で、数多い判断基準があります。その基準に則した法律の改正、ガイドライン作りなども、特許庁の重要な仕事のひとつです。他にも情報管理や国際関係の分野など、さまざまな業務がありますが、私自身はその審査基準の構築に長く携わってきました」(芝)
芝は特許庁の職員として、そうした「審査する側」の立場から知的財産に関わってきました。技術面、法律面など、各方面の最新情報が集る場所、特許業界の中心に身を置いて、そのアウトラインをつくってきたのです。

当事務所の所長である正林真之は、そんな彼の経歴を現場で存分に活かしてもらうため、正林事務所への入所を望んだのです。

ベテランの特許庁OBが、正林事務所の弁理士になって驚いたこととは?

入庁から30年がたった2007年、特許審査第一部長となった芝は、次のキャリアを考えるようになったといいます。そういう中で知ったのが正林事務所だったのです。芝は所長の正林とも以前から顔見知りであり、入所の話はすぐにまとまりました。

そして2009年、芝は民間の弁理士に転身し、正林事務所の一員となりました。

入所後は特許庁時代の経験を活かし、弁理士たち向けに勉強会などを実施。特許の審査にまつわる行政アクションの解釈や、法制度や判例の解説などをはじめ、アドバイザーとして活躍しはじめます。

その一方で、正林事務所の事業に触れ、今までになかった新鮮な想いを抱くこともありました。

「例えば、当事務所では特許に関する調査や評価の部分を事業化していますが、正直なところ、私はそれが新規事業として利益を生むようになるとは思ってもいなかったんです。事業が軌道に乗り、成果につながりはじめたときは少し驚きましたね。その他にも、私ではなかなか思いつかないような事業に取り組んでいると思います」(芝)
また、正林事務所の思い切った採用方針も、芝にとっては印象深かったそう。

「当時、正林は私以外にもさまざまな専門分野を持つベテランの方を採用していました。まだ具体的な仕事がそれほどないにも関わらず、です。でも結果的に、それが後の成長によい影響を与えたことは間違いありません。人材の増強に関しても、そうした積極的な投資やチャレンジを常に行なっていたのが興味深かったですね」(芝)
こうして芝は正林事務所という新しいフィールドを得て、自らの経験から得た知見を、弁理士たちに伝える役割を果たしていくことになったのです。

弁理士業界の変遷を振り返り考える、今の特許事務所に求められること

知的財産は、世界経済と深く絡み合っており、時代とともに変化していくものです。長い間、特許庁でその変化を見つめてきた芝は、現在、弁理士業界の状況についてどう捉えているのでしょうか。

芝が弁理士業界に入ったのは1980年代。当時は日本の経済の絶頂期で、日米貿易摩擦が起こっていたころです。経済的競争力の低下に悩んだアメリカは「原因は知的財産の保護が不十分なためである」とした通称「ヤング・レポート」に基づいて、米国通商代表の知的財産政策を実施することになりました。

「1982年にアメリカが特許や関税などの特定分野の事件を管轄する裁判所である、巡回区控訴裁判所を作りました。そこで知的財産を重視する判決をたくさん出したところから、知財を取り巻く状況がガラッと変わってきたんです。それにともなって、日本も知的財産権制度を整えていく必要性が出てきました。具体的には1980年から2000年頃までに世界基準の特許型へと法改正が行なわれ、日本の知的財産制度も大きく変化することになったんです」(芝)
そうした変化のなかで、特許の申請件数や内容も変わり続けてきました。日本経済が好調だった頃は、特許の出願件数も非常に多く、大企業の中には年間2万件近い出願を行なっていた企業もあったのです。

「しかし当時の特許はビジネスで活用するというよりも、エンジニアのモチベーションアップや、技術力向上といった目的の方が重視されていました。技術開発を行い、特許を出願することが奨励されていたと聞いています。しかし特許の出願数は、2000年頃をピークにじわじわと減り続けているのが現状なんです」(芝)
特許そのものの数を追求する時代が終わると、今後はそれを「どう活かすか」が重要になります。日本の産業界が成熟しつつある現状を踏まえると、今後申請される特許は、より厳選された高い技術に絞られていくはず。

こうした状況の変化を、芝は特許庁時代につぶさに見てきました。そしてその経験は今、これから弁理士や、弁理士事務所がどうあるべきかを考えるための指針になろうとしています。

弁理士の仕事は「高度な知識力」——専門職のおもしろさを伝えたい

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弁理士を取り巻く環境は、現在進行形で変化し続けています。特許の出願件数が徐々に減っているほか、企業内に所属するインハウスの弁理士も増えてきました。企業の知的財産部自体が持つノウハウやナレッジも、非常に高度になってきています。かつてのように、特許の出願申請手続きができる、というだけでは、もはや弁理士の仕事が成り立たない時代がきているのです。

そんななか、私たち特許事務所はどうあるべきなのか。

「弁理士は、申請する側の企業が望むことを実現できるよう、常に戦略を立案していかなければなりません。特許申請ができる唯一の専門家として、あらゆる最新の情報をキャッチアップしていく必要があります。知的財産制度の法改正はもちろん、外国の制度も順次変わっていきますから」(芝)
高度化する弁理士業務をこれからも引き続き担っていくために、弁理士自身、弛まぬ研鑽が不可欠です。そうした厳しい状況を鑑みてもなお、芝はこの弁理士業務を「非常におもしろい仕事」だと感じています。

「弁理士の仕事には、実は非常にアグレッシブな面もあるんです。特許の申請業務は、高度な知識力の産物。いかに戦略的に知的財産権を勝ち取れるかは、サポートする弁理士の手腕次第です。高度な知識と経験、そしてさまざまなスキルを必要とするこの仕事は、要求される知的レベルも高く、大変おもしろいと思いますね」(芝)
弁理士の仕事を、これからもさらに「おもしろく」していくために。芝は今後も正林事務所の弁理士として、彼のなかに蓄積された知識と経験を、後輩たちに受け継いでくれることでしょう。そしてそれは、正林事務所の仕事に、確かな“裏付け”を加えてくれるはずです。

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