ロシア文学から特許業界へ!人生をかけたキャリアチェンジ――弁理士・岡野智子の格闘

正林国際特許商標事務所には、非常に多様なバックグラウンドを持った弁理士が所属しています。そのなかには、全く別の世界から弁理士業界に飛び込んだ人物も。今回は、ロシア文学や映画の世界からの大きなキャリアチェンジに挑み、ゼロからこの道を歩んできた弁理士・岡野智子のストーリーをお届けします。
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きっかけは、大好きなロシア映画の配給の仕事から

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通常、弁理士を目指す人は大学の出身学部が理系であったり、もともと技術的な研究開発職に就いていたりすることがほとんど。しかし、弁理士の受験資格に学歴や学部の制限はありません。そのため中には、一見すると特許とはまるで縁がないような世界で経験を積んできた弁理士もいます。

正林国際特許商標事務所(以下、正林事務所)の弁理士・岡野智子もそのひとり。彼女が卒業したのは、文学部の中でもニッチな露文学科。広大な大地を持つロシアに魅せられ、大学ではロシア文学を学び、卒業後はロシア映画の配給や宣伝に携わっていました。

「きちんと会社に就職するのではなく、映画関係のアルバイトをしたり、フリーライターをやってみたり……20代はフラフラといろいろなことをやっていました。ただ、ロシア文学や映画に関わる仕事はニッチすぎて、食べていくのが難しかったんです。そこでなんとか自立するための基盤をつくろうと、30代を目の前にして次のステージを探っていました」(岡野)
そんなとき、偶然出会ったのが「弁理士」の仕事。きっかけは、映画の配給にまつわる権利関係の業務を担当したことでした。

「ロシア映画を配給している会社は規模が小さく、海外と取引をするにも、法律や知的財産の専門家が誰もいなかったんです。かといって資金もなく、外部の弁護士さんに頼ることもできなくて。私は幸い語学が得意だったので、手探りでどうにかその仕事をこなしていました。そこではじめて『知的財産』に触れ、こんな世界があるのか、と興味を持ったんです」(岡野)
そこで岡野は今までの生活を改め、大きくキャリアの方向転換をすることを決意します。ロシア文学や映画の世界から離れて、知的財産の専門家としての弁理士を目指すことにしたのです。

その第一歩として、2002年、彼女は小さな特許事務所に転職。そこで事務職として働くかたわら、弁理士の資格試験の勉強に取り組みはじめました。

「資格ナシ・経験ナシ」のまま飛び込んだ業界で、待ち受けていた試練の日々

ひとまず弁理士の世界に飛び込んではみたものの、当初の仕事はあくまでも事務。岡野はどうにかして特許の実務に携わり、経験を積むことができないかと考えていました。しかし文系出身であり、弁理士の実務経験も資格もない彼女を、受入れてくれるところはそう簡単に見つかりませんでした。ただひとつ、正林事務所を除いては。

あるとき、友人からたまたま正林事務所を紹介された岡野は、所長の正林真之と面談する機会を得ます。特許事務所で働きはじめて、3年がたった2005年のことでした。その席で、彼女は「事務職ではなく、実務に携わりながら弁理士の資格取得を目指したい」という気持ちを正直に話しました。

「今までどこにも雇ってもらえなかったのに、正林所長はものすごくフランクに『いいよ』って(笑) すぐに『じゃあうちにきて、やってみたら?』という感じで私を受け入れてくれたんです」(岡野)
当時の正林事務所は、事業が急拡大している真っ只中。次々に新たな人材を求めていました。そこで正林は、岡野のやる気と可能性を買って、チャンスを与えたのです。

しかし、彼女にとっての本当の試練は、そこからがはじまりでした。

「この事務所は徹底した実力主義なんです。だから入ってからは苦労の連続でした。何の経験もなく入所したので当然かもしれませんが、最初は本当に何もできなくて。周りの人は『何でこんなヤツを採用したんだ』と思っていたのではないでしょうか」(岡野)
弁理士経験ゼロの岡野に唯一できたのは、豊富な語学のスキルを活かすこと。右も左もわからない状況のなか、まずは外国関係の仕事で、なんとか自分にもできる仕事を見つけていきました。

「周囲の人たちにも本当に申し訳なく思っていました。とはいえ、ここであきらめてしまったら、自分は何者にもなれないまま終わってしまうという危機感がありました。なんとか仕事ができるようになりたい一心で、目の前の業務に取り組んでいましたね」(岡野)

語学スキルを活かし、なんとか見つけた「居場所」からの脱却

正林事務所では、採用する所員を経験や資格の有無だけで判断することはありません。現場の仕事も、個人の裁量に委ねられる部分が多くあります。しかしそれはある意味、仕事の質に対する厳しさの裏返し。所員は、自ら主体的にスキルを身につけ、成果を出していくことが求められます。

「私が入所してからしばらくは事務所が急速に拡大していて、人の出入りもひっきりなし。新人だからといって、とても誰かに手取り足取り仕事を教えてもらえるような状況ではありませんでした。ここが多様性を受け入れてくれる職場であるのは間違いありませんが、その分厳しさもあると思います」(岡野)
自分の実力不足に何度も心が折れそうになりながら、岡野は仕事を続けました。そして5年後の2010年、ついに念願だった弁理士の資格を取得します。

「5年間、長かったですね。でもこれでようやく日本国内の特許の仕事ができると思い、本当にうれしかったです」(岡野)
国内の特許業務に携わるには、当然ながら弁理士資格を持っていることが必須。そのため彼女は資格を取るまで、語学力を活かして海外の仕事に取り組んでいました。そして周囲からも「海外仕事の担当」と認識されるようになっていたのです。しかし岡野は、その状況にもの足りなさを感じていました。

「たまたま英語のスキルがあり、そのおかげでこの事務所の中に居場所をもらえたことには感謝しているんです。でも弁理士になったからには、やはりどうしても国内の特許申請業務ができるようになりたくて」(岡野)

人それぞれ、その人なりの得意な分野があるなら、それをさらに伸ばせばいい。その方が効率がいいことも重々わかっていました。それでも岡野は、「今できないことをできるようになる」ことにこだわり抜きました。粘り強く、一歩ずつ。地道に仕事の幅を広げ、次第に国内の仕事も任されるようになっていきました。

「100%の仕事を受けられるように」自ら描く理想の弁理士像を追い続けて

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文系出身の弁理士の場合、通常は特許ではなく、意匠や商標、著作権などに関わるケースが多いもの。しかし入所から10年の月日がたった2016年現在、岡野は正林事務所の弁理士として、繊維包装や住宅関連製品、日用品などを中心とした特許申請業務を手がけています。

「特許の仕事は“職人の世界”なんですよね。だから、その業務ができるかできないか、能力があるかどうかがすぐ見えてしまう。はっきりしていて、嘘がつけないんです。それはそれで気持ちがいいところだと思っています」(岡野)
まったくのゼロに近い未経験からのスタートだったにも関わらず、ずっと特許の仕事にこだわり続け、常に上を目指そうと努力してきたのは、彼女がこの仕事に面白さを感じているからに他なりません。岡野をつき動かす原動力になっているのは、その“面白い仕事”ができるようになりたいという強い気持ちと、弁理士としてのプライドでした。

「たとえば有名な絵本『スイミー』で、小さな魚たちが力を合わせて大きな魚に立ち向かっていったように、所員一人ひとりが得意な分野を活かしてお互いに補い合い、組織として『プロフェッショナル集団です』と見せる方法もあるのでしょう。この事務所には優秀な同僚がたくさんいるので、私があえて特許に固執することもないのかもしれません。でも資格をとった以上、目標としては100%、自分ひとりで仕上げられるようにならないと」(岡野)
自分の得意な分野、武器となるスキルを持ちながらも、それに安住せず、理想の弁理士像に近づこうと粘り強く努力する岡野。そんな一面を見抜いていたからこそ、所長の正林は何も経験のなかった彼女を事務所に迎え入れたのかもしれません。

自らが理想とする“職人”としての姿を目指して。「弁理士・岡野智子」のあくなき挑戦は、今もなお続いています。

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