発明の父として知財の“ゆりかごから墓場まで”を見届けるーー特許庁OB・林浩の愛情

クライアントが所有する知的財産を発掘し、その評価するのも弁理士の仕事のひとつ。正林国際特許商標事務所では、主に特許庁出身の熟練弁理士が活躍している分野です。林浩は特許庁で働きはじめた頃から、将来弁理士として活躍する青写真をすでに描いていました。念願叶った今、あらためてその軌跡を辿ります。
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”生涯現役“を胸に特許庁へーー公の利益を求め、国内外を奔走する日々

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日本の特許の審査・管理を行う公的機関・特許庁で32年のキャリアを持つ林浩。彼は、特許権を付与する審査・審判官の仕事をはじめ、さまざまな外部機関で知的財産にまつわる業務に携わってきた、いわば“知財のスペシャリスト”です。

幼い頃から機械が大好きだった林は、どこへ行くにも百科事典を肌身離さず持ち歩く子どもでした。特に発明や過去の技術が紹介されている項目を見つけては、夢中になって読み耽っていました。

彼が幼少期を過ごした1960年代は、ちょうど高度成長期の真っただ中。カラーテレビや電子式卓上計算機といった新しい技術製品が多数登場したのもこの頃です。特に1964年は東京オリンピックや東海道新幹線の開通など、日本が先進国へと成長を遂げたことを象徴づけるイベントが相次ぎました。

何もなくても、努力と知恵があればきっと明日は幸せになれる——そんな時代の熱気に包まれて、林は幼心にも「日本の発展には、科学技術を更に伸ばさなければいけない」と強く感じていたのです。

林 「特許庁を志したのは、公の利益を求めたいとの思いがあったのと、常に最新の技術に触れられると思ったから。そして将来は弁理士になる道もあり生涯最前線で仕事ができる。勤めたらずっとその道で頑張るという価値観で選びましたから、後悔しないようにと」

林は入庁してから5年間、コンプレッサ、ポンプなどの特許審査を担当。そのあと外務省国際連合局に出向し、世界知的所有権機関(WIPO)における外交窓口や、国連の司法・刑法を扱う仕事を任されることに。2年間の任期の中で、彼は審査業務とひと味違った角度から特許を眺める経験をしました。

林 「国も文化も違う人たちと働くなかで、世界のスケールで知的財産を扱う大切さを知りましたし、各国で特許の審査の基準がそれぞれ異なるがゆえに、海外での権利取得がいかに難しいかも学びました」

技術の権利には“旬”があります。新しいものほど価値がある世界だからです。しかし海外で事業展開をしようとすると、国ごとに出願手続きをしなければならず、結果が出る頃には旬の時期を過ぎてしまうことがあります。

林は外務省で、世界各国における特許権のスタンダードを決定する仕事に携わりました。そして特許法条約の外交交渉や特許協力条約規則の改定等に関わるなかで、各国の審査官がお互いの国の考え方や情報を共有し、できる限り同じ結果になるように審査する取り組みが必要であることを知ります。

任期を終えて特許庁へ戻り、改めて特許の審査・審判業務に取り組むようになると、 “世界の市場で価値のある技術かどうか”を視野に入れて審査対象を分析するようになりました。

知財の“ゆりかごから墓場まで”を経験し、知見を活かせる正林事務所へ

7年ほど審査・審判業務に携わった後、今度は開発研究部長としてISTEC(国際超電導技術産業センター)に2年間出向することになった林。

ISTECは産学官の共同研究所として設立された公益財団法人です。エネルギー問題を解決する物理現象として注目されている「高温超電導技術」にまつわる権利を守るため、林は知的財産権の取得・保護から、論文の管理、そしてノウハウの秘匿まで、技術が生まれる場所で当事者を守る立場で働くことになりました。

そしてその次に待ち受けていたのは、知的財産高等裁判所(知財高裁)での首席調査官としての仕事。この時期にはプレイングマネージャーとして、裁判の調査業務をやりながら知財高裁、地裁に在籍する21名の調査官をまとめる役割を担いました。

林 「ある特許権を取ったときに、どんなトラブルが起こる可能性があるのか、特許権者や侵害者がどんな動きをするのか、そして裁判所がどう判断を下すのか。裁判で難航している事件の行く末をいくつも見たおかげで、一連のプロセスにおける高い予測性を身につけました」

こうして林は、ひとつの発明が生まれその権利の出願手続をするまでをISTECで、出願された技術を審査し権利を付与するまでを特許庁で、さらに権利が発生してから起こるさまざまな問題を解決するまでを知財高裁で見届けてきました。

たとえるなら、発明という名の子どもの“ゆりかごから墓場まで”を見守ってきたといえるかもしれません。その彼が2015年7月、正林国際特許商標事務所(以下、正林事務所)で弁理士になることを選んだのは、これらの経験を最大限に活かせると感じたからでした。

ベテラン弁理士と特許庁OBーーチームワークで知財に寄り添う正林事務所

林 「特許庁時代、所長の正林とは接点がありませんでした。ただ、弁理士に転身した先輩たちからいろいろ話を聞くうちに、正林事務所は自分のような、発明のゆりかごから墓場まで寄り添った経験を持つ人間を求めているのではと思いました」

出願や審判手続を代理するだけではなく、知的財産にまつわるあらゆる相談に対し、アドバイスとサポートを行えるのが正林事務所の目指す新しい弁理士の役割です。特許の出願よりもっと手前にある、企業の持つ技術を発掘する仕事もあれば、権利侵害の裁判までとさまざまです。

林 「いちばん惹かれたのは、トラブルが起きる前に未然に防ぎ、どのように利益につなげてもらうかという姿勢でクライアントと向き合っていたところでしたね」

異なるバックグラウンドを持つ弁理士を集め、専門性を持ち寄ってクライアントの課題解決にあたるという仕事の進め方もまた、林の目にとても新鮮に映りました。

林 「特許庁出身者は、実際に権利をどう使えば利益につながるかをアドバイスできる知見が不足していますし、発明を発掘するところも弱い。だから企業や事務所で長く活躍されてきた弁理士や技術の方々との仕事は学びが非常に多いです。逆に私たちも違った角度から彼らと協力でき、コラボが生きていると思います」

正林事務所に在籍する特許庁OBが得意とするのは、発明及び権利の価値評価にまつわる業務です。特許のみならず、商標や意匠の専門とするメンバーがそろい、知的財産全般をカバーできるのが強みです。

彼らは、企業が持っている技術や権利にどれほどの価値があるかをレポートとしてまとめ、投資やM&Aを行なう際や、侵害裁判の賠償額を見積もる際の指標としてクライアントに活用してもらっています。

林 「OBの多くが昔からの知り合いで、気心が知れています。必要に応じて互いにサポートしあえる一方で、同じ特許庁でやってきた同士だからこそ、下手な仕事ができない緊張感があります。背筋をスッと伸ばしてもらえる、ありがたい存在ですね(笑)」

ベテラン弁理士と特許庁OBーー。キャリアの違う弁理士とともにクライアントに寄り添える正林事務所で、彼は弁理士として目指す場所を見つけました。

企業の “技術の可能性”を“現実”へーー「知財の父」を目指して

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林は弁理士になった今、若き日の決意である“生涯現役”を胸に「クライアントの知的財産に寄り添いたい」と強く願っています。

林 「発明が子どもだとしたら、発明を生んだ技術者はお母さん。では、お父さんは誰か?といえば、それは弁理士だと思っています」

正林事務所にとって弁理士とは、眠っている技術の発掘や、今ある知財をどう“現実の利益”にするかを総合的に考え、クライアントの最大の利益を模索する役割を担う者。いわばこれから成人する子どもの可能性を信じ、厳しい現実社会の生き抜き方を教えるのが仕事です。

林 「手のかかる子ほどよく育つといいますけど、やはり難産で生まれた発明が、世に出て大きな利益を生んだりすると嬉しいです。クライアントから依頼された仕事は、愛情を持ってしっかり見守りたいと思っています」

私たちのミッションは企業の “技術の可能性”を“価値”へ変えていく知的財産のコンサルタントとして、クライアントに寄り添っていくこと。この思いは私たちの成長をうながし、より高い貢献を生み出す原動力となっています。

“知的財産の父”を目指してーー。知的財産の“ゆりかごから墓場まで”を見届けるため、彼は今日も深い愛情をもって技術に向き合っています。

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