一度退職した私のことを、ずっと気にかけてくれる温かさに打たれ、再入社しました

2008年4月にスタッフサービス・エンジニアリングに入社した土肥淳一(とひ・じゅんいち)は、大手自動車メーカーなどに7年配属された後、自己都合で一度退職しています。しかし会社を離れてからも、担当者から近況や家族を案じる電話がしばしば。そんな温かいフォローに、2度目の入社を決意します。

仕事や将来のことより、野球を優先していました

▲野球を通して学んだことが、今の自分を形づくっています

広島に生まれ、広島カープが好きで、小学校2年からずっと野球一筋。高校卒業後も野球を続けたいと思い、親に内緒で強豪私学の野球テストを受けました。合格してから親に相談したのですが、学費が賄えないといわれ断念。進路に困ってしまいました。

そんなときに声をかけてくれたのが、地元の野球名門高の部長です。「今度、専門学校で野球部を立ち上げることになったから来ないか」と。これでまた野球ができると思い、ふたつ返事で入学を決めました。その部長からもらったのが「なんとかする選手になれ」「一生懸命でなく一所懸命に」というふたつの言葉。これがその後の人生のバイブルになります。

専門学校を出てからは幼なじみの先輩に誘われてシステム会社で働いたり、専門学校の部長の紹介から塗料メーカーで仕事をしたり……。思えば野球以外のことはずっとおろそかにしてきたような気がします。本当は何をやりたいのか、将来どうなりたいのか、真剣に考えるようになったのは40歳目前。少しだけかじったシステムやCADのスキルを磨き、ちゃんとした技術を身につけようと、初めて自分で転職先を探しました。

まさかあの大手自動車メーカーで、自分が働けるなんて

▲未経験ながら、日本を代表する大手自動車メーカーでエンジニアデビュー

技術を身につけたい。将来にわたって稼げる術を手に入れたい。そう思って2008年に入社したのが、スタッフサービス・エンジニアリングでした。経験の浅いエンジニアや、これからエンジニアを目指す人まで幅広く受け入れ、配属先である大手企業のプロジェクトの中で育てていく。そんな企業姿勢に惹かれてのことでした。

最初の配属先は、なんと日本を代表する大手自動車メーカーでした。仕事は工場内教育資料のWeb化にともなうOAサポートやヘルプデスクで、プロジェクト期間は3年。担当営業の方から「勤務地が愛知になりますが、大丈夫ですか?」と聞かれましたが、妻も賛成してくれたので、未知の土地へ引っ越すことにしました。

その3年間で技術的な知識はもちろん、これまで自分に足りなかったビジネスマンとしてのスキルも身につきました。一流メーカーならではの仕事の仕方を勉強させてもらったことは大きな糧となりました。それらを武器に、その後は大手金属メーカーの生産計画・管理システム開発や、車体メーカーでの社内システムの構築・運用など、さまざまなプロジェクトを経験してきました。

愛知から三重、静岡と勤務地も転々としましたが、いずれも「引っ越してでもやりたい」と思える仕事でした。そしてどの配属先でも心がけていたのが「なんとかする選手になる」ことと、「自分に与えられた業務に一所懸命に取り組む」こと。結果、最後の車体メーカーではユニットリーダーまで任されるようになりました。

辞めてからも関係は途切れませんでした

▲「エンジニアと担当マネージャー」という以上の関係を築けたからこそ、今がある

約7年、エンジニアとして順調にキャリアを積んできましたが、1本の電話で退職することになりました。以前、勤めていた塗料メーカーの役員が「今、会社がピンチなんだ。助けてくれないか」と。お世話になった方ですし、私で力になれるならと思い、引き受けることにしたのです。

勤務先は九州。1年目は福岡、2年目が熊本でしたが、運悪く熊本の赴任3日目に震災が起こってしまいました。ライフラインも止まり、物流も滞って仕事が回らなくなったのです。それでも「なんとかする選手に」という教えの通り、厳しい環境の中で2年近く営業として頑張りました。

実は、この期間も愛知と三重でお世話になったスタッフサービス・エンジニアリングの亀谷さん(当時の担当ブロックマネージャー)から年に数回、電話をもらっていました。仕事は順調か、熊本は大丈夫か、家族は元気か……。辞めた人間のことをここまで気にかけてくれるなんて、本当に温かい会社だと思いました。

だから、塗料メーカーがなんとかピンチを脱したとき、真っ先に頭に浮かんだのがスタッフサービス・エンジニアリングのことでした。もう一度、エンジニアとして働きたい。できればスタッフサービス・エンジニアリングに戻りたい。そんな気持ちを亀谷さんへ正直に打ち明けると、すぐに福岡での面接を設定してくれました。

ちょうど50歳、新たな気持ちで再スタートです

▲ひとりのエンジニア、ひとりの人間として関わってくれるからこそ、戻ってきたいと思えた

スタッフサービス・エンジニアリングに再入社したのは2017年6月、ちょうど50歳のとき。福岡での面接では、三重でお世話になった小谷さんが再入社を後押ししてくれました。そして配属してくれた先は、なんと地元広島。2019年現在は大好きな地元で働けています。もう52歳になりましたが、エンジニアとしてのキャリアは9年ほど。まだまだ学ぶことがたくさんある、もっと成長できる部分がある、そう思っています。

これまで自慢できるような人生を歩んできたわけではありませんが、人との縁だけは大切にしてきました。今は再度つながったスタッフサービス・エンジニアリングとの縁が宝物です。この先何年、エンジニアを続けられるかわかりませんが、今後は自分の成長だけでなく、一緒に働く若いエンジニアたちの成長も応援したいと思っています。技術的なことは教えられなくとも、どんな局面にぶち当たっても「なんとかする」という心構えなどは伝えられるはずですから。

また、これからエンジニアを目指したいという人や、転職を考えている人にも、ぜひスタッフサービス・エンジニアリングをお勧めしたいですね。

世間ではエンジニアを駒のように扱う会社もあると聞きます。でも、スタッフサービス・エンジニアリングはひとりの人間として認め、その関係をずっと大事にしてくれるんです。エンジニアとしてのキャリアプランや人生を、一緒になって考えてくれる──そんな会社、なかなかないと思いますよ。

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