アジアの教育支援現場を走り続けて38年。現場にかける想い

カンボジア、ラオス、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、アフガニスタン、ミャンマー、ネパール、タイで、子どもたちへの教育支援や緊急救援活動を行うNGO、シャンティ国際ボランティア会。1981年の創設当初から現場一筋38年。学生時代は「山に登ることしか考えていなかった」八木澤克昌が、この道を長く続ける想いとは?
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山登りに熱中していた学生時代。「山のキャンプ」から、「難民キャンプ」へ

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▲スマトラ島沖地震の支援現場、2009年

今から遡ること39年前。1980年に、カンボジア難民の緊急救援活動として、「曹洞宗東南アジア難民救済会議」(以下、JSRC)が設立されました。

1981年に、緊急救援活動のプロジェクト終了にあたり、JSRCでボランティアとして活動していたメンバーの有志が、それまでに行っていた活動を継続させるために立ち上げたのがシャンティ国際ボランティア会(以下、シャンティ。当時名称「曹洞宗ボランティア会」)です。

大学を卒業したばかりの八木澤克昌は、シャンティの前身となったJSRCにボランティアとして参加していました。

そして、シャンティ創設当初から現場一筋38年。これまでタイやラオス、カンボジアの事務所所長を務め、2019年現在は、アジア地域ディレクターと、ミャンマー(ビルマ)難民事業事務所所長として、活動に取り組んでいます。長い現場経験から、国際協力の道に進むべくして進んだように見える八木澤ですが、高校時代から熱中していたのは、ほかでもない山岳部での活動でした。

八木澤 「 NGOや難民、スラムといったキーワードに、もともと興味があったわけではありません。冒険家の植村 直己さんに憧れて、高校では山岳部へ。山を登ることしか頭にない学生時代でした」

栃木県の田舎出身で、当時、周囲に大学に進学する人は少なく、自身も大学に行く気がなかったと言う八木澤。しかし、大学に行くチャンスに恵まれ大学へ進学。選んだのは、社会福祉学部でした。大学でも、高校時代から引き続き山岳部に所属し、アルバイトと登山に没頭する日々。しかし、4年生の時に、転機が訪れます。

八木澤 「大学 4年の時に、ネパールのヒマラヤを訪れたんです。山に登るために雇ったポーターが、小学生ぐらいの小さな子どもで。まさに児童労働ですよね。自分は社会福祉を大学で学んでいるのに『何をしているんだろう……』と思いました。それが最初の大きなきっかけになりました」

さらにその後、5600メートル級の山を登っているときに、自身が命の危険に瀕するという経験をします。

八木澤 「高いところに登るなんて自己満足だ、と気づきました。さらに、帰国した直後、突然交通事故で兄が亡くなったんです。身代わりになってくれたのかな、と思いました」

命の危険を感じた登山から、日本に帰ってきた直後の悲しい出来事。当時八木澤が22歳、兄は26歳。生と死を感じる日々でした。

そんな中、八木澤はカンボジアの難民キャンプの状況をニュースで目にします。そこにも、生と死が隣り合わせの日常が映し出されていたのです。

八木澤 「居てもたってもいられず、兄の死で悲しむ両親に『福祉の勉強に行ってくる』とだけ告げて、JSRCのバンコク事務所にボランティアとして向かいました。
その時は、山のキャンプも難民キャンプも、同じ “キャンプ ”かな、と思っていたんです」

こうして、八木澤の支援現場での活動が始まりました。

「共に生き、共に学ぶ」を体現するスラムでの生活

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▲1981年。カオイダン難民キャンプでの活動中の様子
八木澤 「 5年間活動した後、あまりにも英語ができないので、奨学金をいただいて 1年間留学に行かせてもらいました。当時日本にはなかった国際協力分野の勉強をしている中で、『国際協力が、必ず日本の将来を支える職業になる!』と確信しました」

当時は「NGO」という言葉も浸透しておらず、すべて「ボランティア」と称されていた時代。留学を経て、より国際協力の仕事にやりがいを感じた八木澤はバンコクに戻ります。そして東京事務所での勤務を経て、再びバンコクへ。1992年からは、家族でスラムに住むようになります。

八木澤 「スラムの生活がわからなければ、仕事ができないと思ったんです。現場を知るために 1番いいことは、実際に自分も住むこと。シャンティのミッションである『共に学び、共に生きる』とは、そういうことだと当時思っていたんです。
今思えば、若気の至りだったような気もしますが……(笑)。山岳部出身ということで、山の精神が染みついているのか、『より困難なところ、より高いところに行きたい』という気持ちがあったというのは、動機としてひとつあると思います」

2019年現在も変わらずスラムに居を構え、日々の生活を送っています。スラムでの生活というと、過酷なイメージがありますが、暑い以外は大したことないと、明るく話します。

八木澤 「火事やごみ、どぶの汚れ、夫婦喧嘩、麻薬の問題などは日常茶飯事です。あとは、差別ですね。行き先を告げると、タクシーから乗車拒否をされることもよくあります。ただ、スラムの中では、人々が助け合っていてみんな驚くほど優しい。火事で家が焼けてしまった家族同士が助け合っている光景も目にします」

今では住民を巻き込んでスラムを綺麗に保つよう、ごみ問題の解決に向けた呼びかけなどに取り組む八木澤も、当時を思い出して胸が痛くなる言葉があります。

八木澤 「物心ついた娘に『私はスラム生まれスラム育ち。いつスラムから出られるの?お父さんは私の気持ちを考えたことある?』と言われたことがあって。その時は何も言えなくて……。一番つらかったですね。家族の支えがなければ、ここまで活動を続けられていなかったと思います」

現場で見える変化。ひとりの変化が、世界の変化につながる

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シャンティの活動の軸は、絵本です。日本で暮らす子どもたちにとって、絵本は身近な存在ですが、アジアの国々では決してそうではありません。

絵本を手にしたことのない子どもたちや、絵本に書いてある自国の言葉がわからない子どもたちも多く存在します。

八木澤 「活動を続ける中で、絵本の意味はあるのか?と聞かれることが多くありますが、現場にいるとその意味を強く感じます。
たとえば活動国のひとつであるアフガニスタンでは、イスラム教によって偶像崇拝が禁じられていて、絵本も禁止されていました。そこで、スタッフがイスラム教を徹底的に学び、根気強く『絵本は偶像崇拝ではない』と説得しました。
今では、かつて銃を担いでいた人が、絵本の読み聞かせをするようになりました」

また、ラオスでは1996年から、子どもたちのための総合施設「子どもの家」の運営を支援してきました。今では、シャンティの支援が入ることなく、「子どもの家」がラオス国内48か所に広がっています。

八木澤 「ラオスの子どもたちに自国の文化を知ってもらい、誇りを持ってほしいと始めた『子どもの家』の活動でしたが、最初は利用者の少ない日も多く、このまま続けられるのかと不安でした。しかし、徐々に広がり、毎週 500人ほどの小中学生が図書館を利用するほか、伝統舞踊や楽器、日本語を学ぶようになっていきました。そして、忘れもしない出会いがあったのです。
それは、小さい頃に『子どもの家』に通っていたスニタさんという女の子が、今では国営テレビのアナウンサーとして、ニュース番組のキャスターや子ども番組の司会などを行っています。彼女が夢を実現できたのも、『子どもの家』で絵本を読み、おはなしの読み聞かせを経験したからだと、スニタさんが伝えてくれました」

銃から絵本へ。手にするものが変わると、その人の人生は大きく変化します。一人ひとりの変化が、世界を少しずつ良い方向に進ませる、と八木澤も信じています。

これからも続く現場での活動。38年は「まだまだ」!

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家族の支えや理解もあり、八木澤のシャンティでの活動は、2019年で38年目になります。

3年以内に7割ほどが離職してしまうと言われる国際協力業界。特に若い人が長く続けることのできる組織にしないといけない、と八木澤は感じています。

八木澤 「ぜひ若い人には、現地に行って、現実を見てほしい。課題は多いけれど、そこには熱意があって、それを感じてほしい。私としては、現場から伝えて、つなぐことをやらないといけないと思っています」

苦労を重ねながらもシャンティでの活動を続けてこれたのは、“シャンティファミリー”の存在があったためです。

八木澤 「つい最近、Facebookで偶然つながって、1980年にカンボジアで活動しているときに出会った、当時先生をしていた女性と、39年ぶりにバンコクの空港で再会してすごく嬉しかったんです。継続してきて良かったなと思えました。日頃関わる人々、“SVAファミリー ”がいる限り、辞めるという選択肢はありません。企業勤めであれば、勤続 40年、50年は当たり前。
38年で驚かれるのは、日本の NGO業界が未熟だということです。
本来は援助の必要がない社会をつくることが目的です。ですが、人道危機や災害等さまざまな問題があるのも現実。この状況が続く間は、まだまだ頑張らないといけませんね」

現地の人の変化だけではなく、国際協力に関わろうとする人の変化、そして国際協力業界の変化。八木澤はこれからもさまざまな変化を生み出すことを思い描いて、現地での活動に取り組みます。

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