最低体重23kg... “食べる”なんてこの世から消えてしまえば良いと思っていた副編集長が、食の風景を繋ぐワケ

2015年11月に創刊した、つくる人と食べる人の想いをつなぐ会員制サービス『くまもと食べる通信』。その創刊に合わせて、関東から九州へUターンしたのが、副編集長 菅本香菜。
誰よりも"食"や"食卓"について関心や想いの強い彼女が、その想いを強めた幼少期の体験を、自ら語ります。
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100年後に伝えたい食の風景

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くまもと食べる通信 副編集長 菅本香菜
はじめまして。『くまもと食べる通信』の副編集長をしている、菅本香菜です。
生産者さんと食べる人を繋ぐ、"食べる通信"を製作しています。

『くまもと食べる通信』は、「100年後に伝えたい食の風景」をテーマに、毎月一人、特定の生産者さんのことを取材した情報誌と、その人のつくった食べものを自宅に一緒にお届けしている、読んで、食べて、つながる...という会員制サービスです。

2015 年11月に創刊したのですが、生産者さんの所に何度も足を運び、生産者さんの想いを聞かせてもらいながら言葉を紡いでいきました。私が書いた文章が素敵な写真やデザインと出逢って、1冊の冊子としてカタチになっていって...初めて迎えたその瞬間、すごくワクワクドキドキしたのを、今でも覚えています。

今回は、そんな私が「なぜ食卓を大事にしたいのか?」というお話しです。

ちょびっと思い出し泣きしながら、書かせていただきました。

過去の体験があるから、今の私の想いがあるので。

“食べる”なんてことがこの世から消えてしまえば良いのに

私は中学生の頃、友達付き合いがうまくいかず、何かと陰口を言われる的になっていました。そして、自分に自信が持てれば何か変わるかもしれない...と、ダイエットを始めたんです。

「数字は私を裏切らないはずだ。頑張れば、誰かが認めてくれるかもしれない。誰かが私の辛さに気付いてくれるかもしれない」とでも思っていたのだと思います。

確かに、頑張れば頑張るほど、体重は落ちていきました。でも、陰口はおさまりませんでした。ダイエットのつもりが、いつの間にか食べることが怖くなり、中学2年生の時、私は拒食症を発症してしまったんです。

私の体は、みるみるうちに痩せていきました。
身長は160㎝、最低体重は23kg。

脳は萎縮して、心臓の動きも人の半分にまでなり、「いつ死んでもおかしくない」とお医者さんから言われるまでになってしまいました。

そして、中学生の間に半年間の入院、高校はドクターストップで1年間の休学。ガリガリの私は、学校でも浮いた存在で、外出しても気味悪がられ、周りの人達から「あの子、病気かな?」「食べさせてもらってないのかな?」と言われ、大切な家族を傷つけたこともありました。

食べれば良いだけなのに、それができない。お母さんがせっかく作ってくれたご飯も、どうやって残すかばかり考えるように...

いつしか身体も心もボロボロになり、「わたしなんていない方がいいな」「“食べる”なんてことがこの世から消えてしまえば良いのに」と思うようになりました。

立ち直るキッカケになった、大切な人の言葉と支え。

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そんな闘病生活の中、母と車で病院に向かっていた時。ふと、母が言いました。

「お母さんね、香菜とまた一緒に美味しいねって、ご飯食べたいなぁ。また家族みんなで楽しくご飯食べるのが今のお母さんの夢なんよ」

ミラー越しに母の顔を見たら目に涙が少し浮かんでいて、それを見て私は大泣きしました。

「食卓なんて、食べないといけない場所なんて」と、大っ嫌いになっていた私。

思い返してみると、食卓には たくさんの思い出がありました。毎日の何気ないご飯から、母が張り切って料理してくれた誕生日パーティーまで、たまに行く外食も好きでしたが、やっぱり母の愛情が詰まった手作り料理が大好きでした。

「また、みんなで楽しくご飯を食べたい。お母さんのご飯を美味しく食べたい」心からそう思うことができました。食卓なんて...と大嫌いになっていたけれど、温かい食卓の思い出があったから私は救われたんです。

それから、家族や周りの人の支えもあり、少しずつ、本当に少しずつ私は食べられるようになっていきました。

そして、大学受験。生まれ育った福岡を出て、熊本の大学に通うことを決めました。家族は、まだ病気が完治していない私を一人暮らしさせるというのは、本当に心配だったと思います。

でも家族は、「香菜が選んだ道を応援するよ」と、私の意志を尊重してくれました。

結果、大学に入って、人付き合いも上手くいくようになり、どんどん食べることが楽しくなって身体もどんどん元気になって、拒食症は完治しました。家族との食卓も楽しめるようになって、本当に、本当に幸せです。

そして食べられるようになって改めて気付きました。

「食べることは生きること。そして、生きる喜び。それを共有できるのが食卓。食べものが命を支えてくれていて、温かい食卓は心を支えてくれているんだな」

一度、食べる喜びを失ったからこそ、とても大事なことに気付けたんだと思います。

『くまもと食べる通信』は、夢への第一歩

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くまもと食べる通信 共同代表 池田親生(写真左)と。
しかし家族と離れた私は、拒食症だった過去を、周囲になかなか打ち明けられずにいました。それでまた「弱くて可哀想な子なんだ」と周りの人達が離れていくことが怖かったからです。

そんな中、勇気を出して過去を打ち明けた1人が「その経験があるからこそ、できることがあるよ」と言葉をかけてくれました。当時から社会冒険家として様々な社会活動を行っていた、現在の『くまもと食べる通信』共同代表の池田親生です。

私は、それがきっかけで「食べる大切さと、食卓の大切さを伝えたい」という夢を持てるようになり、過去の経験も恥ずかしくなくなりました。周りの人達にも、自分の過去と自分の夢を伝えられるようになり、応援してくれる人がたくさん増えていったんです。

しかし、当時の私には、その夢をどんな仕事で叶えられるのかが分からず…就職活動中にいろいろな企業を見学しましたが、飲食店の店員も、食品メーカーもピンときませんでした。どうしようかと悩んだ末、「こんな仕事がしたい!」というものが見つかったときに、伝える力を身に着けておきたいと思い、営業の中でも難しいと言われる不動産販売の営業を選ぶことになったのです。

そして、九州から離れ、その不動産会社がある関東での社会人生活がスタートしました。

やるからには本気でやりたいと日々営業活動に専念し、新人賞もいただきました。刺激的で学びは多くありましたが、仕事に追われる中で、毎日クタクタになって家に帰り、食生活が乱れていきます。コンビニのお弁当で済ませたり、ひどいときはお菓子が食事替わりになってしまったり、パソコンを見ながらご飯を食べるような日々…。食べることがお腹を満たすためだけの“作業”のようになってしまっていました。

そして、食卓の楽しさを思い出したときの喜びを失いかけ、「食卓も、食べることも大事にできていない自分じゃ夢を叶えられない」と、何度もやるせない気持ちに。

そんな中、池田に再会し、大学時代に描いていた自分とは違う方向に進んでいることを打ち明けると、「それなら熊本に帰って、一緒にやらない?」と、池田が創刊に向けて奔走していた『くまもと食べる通信』の副編集長に声をかけてくれたんです。

食 べる通信のことは以前から知っていて、気にもなっていたのですが、改めて調べていると、とてもワクワクし、こんな仕事ができたら、自分が目指している夢に向かっていけそうだ...と心から思いました。それに、食べる通信を一緒に始めるメンバーは、熊本にいる大好きな人たち。

私は九州へ戻ることを決めました。そして、今の私があります。『くまもと食べる通信』は、私の夢への第一歩です。

身体も心も元気になる食卓の笑顔と、それを支えてくれる生産者さんの笑顔がひとつずつ増えていきますように...。

「生きててくれてありがとう」と、辛いときを乗り越えてくれた自分へ胸を張って言えるように...。

そして、支えてくれた方々や応援しくれる方々に“生き方”で恩返しできるように...。

まだまだ創刊したばかりで、夢を実現するのはこれからですが、みなさんの食卓にハッピーをお届けするため、一歩ずつ頑張ります。

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くまもと食べる通信 副編集長 菅本 香菜

つくる人と食べる人の想いをつなぐ会員制サービス 『くまもと食べる通信』
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