諦めた悔しさを忘れない。遠回りの女性起業家が手に入れた、人とつながるパソコン教室

兵庫県三木市でパソコン教室「パソノワ」を運営する大礼有里(おおれいゆり)さん。天職と心に刻んだパソコン教室の講師を一度あきらめ、転職した後、起業して新たにパソコン教室を開校しました。大礼さんが遠回りしてでもつくりたかった教室と、そこで生まれたつながりが照らすプログラミング教育の未来を考えました。

「決められた枠の中で生きていく」殻の中で模索した自分の強み

▲兵庫県三木市でパソコン教室「パソノワ」を運営する大礼さん

「男女七歳にして席を同じゅうせず」。男女は7歳にもなれば、互いにけじめをつけ、みだりに慣れ親しんではいけない。そう考える父のもと、大礼さんは三姉妹の長女として、また、家業の電器店の後継ぎとして、厳格に育てられました。

大礼さん 「男の子から電話がかかってくると、学校の連絡網でさえ『娘はいません』と切ってしまうような厳しい家庭だったんです。幼心にも大きな期待を背負っているという自覚があって、大学も就職も、親が満足してくれるところを選びました」

厳しさは愛情の深さ。そのことを知っていた大礼さんは大きな反発もなく成長し、1988年に20歳で就職した証券会社でも、自分なりのやりがいを見つけました。

大礼さん 「就職した頃はちょうどバブルの全盛期で、証券会社も株ブームに乗って大きく成長していました。就職先は小さな会社で、私は営業初の女性社員だったのですが、男性社員と同じようにお客さまを訪問し、窓口で証券を販売しました。人と接する仕事は楽しくて、やめたいと思ったことは一度もありませんでした」

しかしそんな大礼さんでも、バブルが崩壊した当時は資産を失ったお客さまから笑顔が消え、とても苦しかったと振り返ります。お客さまの失望や落胆は、大礼さんの痛みそのものでした。

その後、大礼さんは結婚を機に1995年に関西国際大学の事務員に転職。情報処理学科で使用するコンピューターやソフトの管理を担当しました。

電器屋を営む祖父の影響で幼い頃から機械が好きだったこともあり、学生の頃からパソコンは気になっていたという大礼さん。阪神大震災後の就職支援制度を活用し、3ヶ月ほどパソコンの操作やソフトの勉強をしてつかんだ仕事でした。

時代はまさしくWindowsが登場し、白黒のDOS画面が鮮やかな色彩を放つようになった頃。大礼さんも一太郎やLotus123の使い方を学び、ホームページを作成し、ダイヤルアップでインターネットをつなぎました。大手企業が取り組みはじめたホームページのモニターに応募するなど、生まれたばかりの世界を自由に楽しんだと振り返ります。

「本当はもっとここで働きたかった」悔しさがひらいた第二の人生

▲証券会社で勤務していた頃。バブルの成長期から崩壊まで、激動の時代を経験した

コンピューターの世界を存分に楽しんでいた大礼さんですが、その後、出産によりキャリアをひと休み。10年ほど育児に専念し、2008年に40歳でパソコン教室の講師として社会復帰しました。

新しい知識や技術を懸命に身につけていく生徒さんたちの成長。担当が変わっても、ずっと「先生」と呼んで慕ってくれることへのやりがい。人と接することが好きだった大礼さんにとって、パソコン教室の講師は「これ以外ない」と言い切ることができる仕事でした。

ところがそんな大礼さんを待ち受けていたのは、望まない人事異動でした。

大礼さん 「人事異動で、教室の担当から外れることになってしまったんです。本部に異動となり、何よりも大切にしていた生徒さんとの時間も持てなったことで、もうこの仕事を離れようと思いました」

「どんなにつらい状況でも、生徒さんとのつながりがあったら辞めることはなかった」と話す大礼さん。「やりがいも成果も、これからやっていく自信もあった」という言葉からは、今でも当時の悔しさがにじみます。

その後、大礼さんは兵庫県随一の温泉街、有馬温泉にある旅館に就職。将来的にはマネージャー職を見すえたフロント業務に携わりました。パソコン教室の講師からはまったく畑違いな仕事への転職ではあったものの、「自分の力でサービスのあり方を変えていけるのではないか」という気持ちに後押しされました。

慣れない職場でも、自分にできることやお客さまに喜んでもらえること、そして後輩の育成にやりがいを見出していた大礼さん。ところが転職して1年たった頃、一本の電話が大礼さんの運命を変えることになります。

大礼さん 「それまで一度もなかったんですが、ある日、前の職場の同僚から電話がかかってきました。内容は、講師が大量にやめてしまったという話。その時、真っ先に浮かんだのは、『生徒さんたちはどうしているのだろうか』ということでした」

ここで、大礼さんの頭に浮かんだのが、「みずから起業すること」。前職を辞めざるをえなくなった時、大礼さんは「パソコン教室は続けたいけれど、私には起業なんてできない」と思っていました。しかしその後の転職で大礼さんは、「未経験だった旅館の仕事にイチからチャレンジし、地道な努力を周りの人やお客さまに認めてもらえた」ことで生まれた自信を得ていました。

「今なら、自分が生徒さんたちの力になれるのではないか?」そう考えた大礼さんは起業を決意。自分の教室をつくるために動きはじめます。

人と人、人と地域がつながる教室づくり

▲プログラミング教室へ通う生徒たちと。子どもが加わったことで、教室には元気な笑顔がふえた

追い風が吹きはじめたのは、以前勤めていたパソコン教室が空き物件になっていたことを知ってからでした。駅前にあったその場所は、「大礼先生がそこで教室をするなら通いたい」と言ってくれる卒業生や、講師の頃から付き合いのあった店舗を管理する事務の女性など、起業を後押ししてくれた、たくさんの人とつながっていました。

大礼さん 「気がついた時には後戻りできない流れができていて、あっという間に教室をスタートする日がきました。卒業生を中心に生徒さんが集まってくれて、教室では生徒さん同士のつながりも生まれています。最近になってやっと、私がつくりたかった“人と人とがつながる教室”が見えてきたと実感しています」

シニアを対象としたパソコン教室「パソノワ」は、2017年1月にスタート。同年4月には小学生を対象としたロボット教室もオープンしました。

大礼さん 「プログラミング教室を検討しはじめた当初は、ロボットプログラミングで加盟していた大手のフランチャイズを検討していました。でも子ども向けプログラミング教材を開発していたTech for elementary(以下TFE)にも問い合わせをしたら、『ひとりでも多くの子どもたちにプログラミングを勉強してもらいたい』という、強い想いが伝わってきたんです。せっかくレッスンをするなら、同じように生徒さんのことを考えられるパートナーと仕事がしたいと思いました」

代表の尾市守と話したあと、すぐにTFEへの加盟を決めた大礼さん。プログラミングに対する地域的な関心はまだそれほど高くないものの、校門前で配布したチラシに興味を持った子を中心に、2018年2月現在、12名の生徒がプログラミングを学んでいます。

つながりの先に見えてきた、これからの夢

▲パソノワは学びだけでなく、人と人とがつながれる教室を目指している

パソコン講師の経験はあったものの、起業家としては世に出たばかりの大礼さん。多くの人の力を借りてオープンした教室の勢いを失速させまいと、「とにかく動いて人とつながる」ことを意識しています。

大礼さん 「教室の経営者として生徒さんを集めるだけでなく、三木市が運営する中小企業サポートセンターに登録して、同じ頃に起業した人たちや、起業家の先輩方と異業種間のつながりも積極的に深めています。そこでの知り合いから情報を得て、プログラミング教室を地元新聞に掲載してもらい、記事をきっかけにラジオにも出演しました」

商工会議所の主催する新年会や、総務省のプログラミング教育についての発表会など、積極的に参加してきた大礼さん。「はじめての場所に参加する時は、緊張のあまり行くと決めたことをいつも後悔してしまう」とは言うものの、「これまで知らなかった人とのつながりは、すぐ形にならなくても、いつか必ず何かが動くきっかけになる」と信じ、たくさんの人たちと交流を深めてきました。

大礼さん 「総務省の発表会では、2020年から小学校に導入されるプログラミング教育に対し、現場の先生方がとても戸惑っていることを感じました。その時に、パソコン教室で学ぶシニアの生徒さんたちが力になれるのではないかと思いついたんです。プログラミングそのものは教えられなくても、マウスなど基本のパソコン操作やトラブルからの復帰など、“少しパソコンに詳しい大人”が教室にいるだけで、授業はずっとスムーズになるのではないかと思います」

新しい場所に気後れしても、緊張しても、「今度は絶対にあきらめない」。強い決意を胸に、大礼さんは教室に集まってくれる大切な生徒たちの未来を、まだ見ぬ新しい世界とつなげています。

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