子どもの可能性を信じたい。己の道を切り拓いてきた男が伝えたい、たったひとつのこと

東京都あきる野市で、「チャレンジ学習塾」を運営する戸高礼司(とだかれいじ)さん。商社に勤め、世界を飛び回った彼は、人生の後半戦において自分の付加価値をどこに見出そうとしているのか。働くことも人と接することも「とにかく楽しい」と話す戸高さんの、教室で実践する子どもの能力の引き出し方に迫ります。
  • eight

走って、話して、働いた。プログラミングと無縁の時代に培ったもの

7876bff86790573ce8a0a7938bb65d408e0ed794
▲東京都あきる野市にある「チャレンジ学習塾」

2008年に31歳で起業し、2017年2月に「チャレンジ学習塾」を開講した戸高さん。勉強に苦手意識を持つ小中学生を対象とした学習塾と、プログラミング教室を運営しています。

子どものころは野球に熱中し、外で遊ぶことが多かったという戸高さんは、もし自分が現代に生きる子どもなら、プログラミングはしていないだろうと話します。

戸高さん 「子どものころは野球のほかに、探検が好きでした。みんなが知らない場所へ行って、新しいことを発見するのに夢中になりました。新しいことって、知的な刺激に満ちているんですよ。それを自分のようにアウトドアで得るか、プログラミングなどを通じてインドアで得るかの違いはあっても、その喜びはどんな人にも共通するものです」

幼少のころから確立されていた「人と自分を区別しない生き方」は、多くのシーンで戸高さんの人生を深めてきました。

戸高さん 「大学時代、アパートの隣の部屋にイギリス人が住みはじめたんです。彼は最初、日本語がまったく話せませんでした。そこでまず日本語を教えて、仕事探しを手伝って。英会話学校の講師の職を一緒にみつけたこともあります。将来のことなど、彼とたくさんの話をしたことは学生時代の一番楽しかった思い出です」

どんな人とも正面から向き合える戸高さんのコミュニケーションスキルは、アルバイト先でも発揮されてきました。

戸高さん 「学費と生活費はすべて自分で稼いでいたので、たくさんのアルバイトをしていました。長く続けた海鮮を扱う飲食店では料理長に鍛えてもらって、ハマチもひとりでおろせるようになりました」

厨房を任されるまでになった戸高さんは、その腕を買われてスーパーの鮮魚売り場に引き抜かれます。長髪を金色に染めていた戸高さんの包丁さばきを見て、「見た目とスキルのギャップがおもしろいからうちに来い」と採用されたのです。

まわりの友だちのように遊べないことを辛いと思うことはあっても、働くことは「楽しかった」と戸高さんは振り返ります。

タイムカードは必要か?電車ぎらいが挑んだグローバルの壁

Cef3b87e5213e9c77f6396b981d000b912ef58bc
▲個性あふれるキャラクターで、自分の道を切り拓いてきた戸高さん

ところが戸高さんは、学費の支払いの見込みが立たず、大学4年生の1月まで卒業が決まりませんでした。ようやく全額を払い込んで卒業の資格を手にしたとき、就職活動はすでに1年先の募集がはじまっていました。

戸高さん 「慌てて仕事を探しはじめたのですが、学費を支払ったせいで面接会場へ行く交通費もなくて。それでもとにかくと駅に向かったら途中で千円を拾って、それで面接会場までたどり着けたんです」

このエピソードは面接官に大うけ。その場にいた役員が戸高さんのバイタリティの高さに興味を持ち、次の日から仕事に来ないかと誘われます。

誘われるまま、同僚たちより3ヶ月早く仕事をはじめた戸高さん。それまでの社会経験もあり、2000年4月の正式な入社日には、すでにベテラン社員のように働いていました。

戸高さん 「就職先はIT商社で、入社1週間でアメリカの企業との合弁事業の担当になりました。海外に出向いて人と話し、新しいものを見つけてくる仕事は子どものころから好きだった探検の延長のようで楽しくて、夢中で働いていました」

現地へ赴き、帰国後も商品やサービスについてのやり取りを続けるなか、戸高さんは自分の働き方に疑問を感じるようになります。

戸高さん 「日本にある自分の会社にいても、Skypeなどを使ってずっと取引先と仕事をしていることが増えてきたんです。時差のある相手の勤務時間に合わせて、深夜に仕事をすることも珍しくありませんでした。それなのに、会社には定められた時間どおりに出勤してタイムカードを押し、みんなが同じ時間まで働くのが当たり前であることに疑問を感じましたね。毎日満員電車にゆられる必要はあるのかと、本気で考えました」

その様子は、まるで「複数の会社で仕事をしている」ような状態。これからの仕事は会社の枠組みを超えていくだろうと痛感し、社会のあり方や働き方は変わっていかざるを得ないだろうと感じていました。

日本の力を底上げしたいーー31歳で起業、アジアをめぐり、思いは故郷へ

A992d83a9a42735df417bb2b1a33602cbe4d4d87
▲「わかった!」に至る道のりは、自分の力で見つけさせている

2008年、よりフレキシブルに働ける環境を求めて31歳で起業した戸高さんは、イタリアで買いつけた商品をアジア各地で販売する仕事をはじめました。

中国・韓国・シンガポール・マレーシアなどアジア諸国を何度も訪問するうち、それらの国々で感じるエネルギーに大きな危機感を抱いたといいます。

戸高さん 「10年後、日本の経済力は少なくとも中国には抜かされるだろうと思いました。街をゆく若者は誰でも英語が話せたんです。当時の中国はまだ、先進国が発注したものを作る工場的役割の大きな国でしたが、まもなく自国で付加価値をつけ、自ら商品を売るようになるだろうと思いました」

今ある仕事を大国に取って代わられる前に、日本の付加価値を見つけなければならない。そう考えた戸高さんは、改めて日本のために自分ができること、自分にしかできないことを考えました。

そして、そのとき一番に浮かんだのは、「未来の空気を胸いっぱいに吸い込み、堂々と胸を張るアジアの若者のように日本の子どもたちを育てたい」という思いでした。戸高さんは人生の後半を、子どもたちとともに過ごすことを選び、学習塾をビジネスのメインとしていくことを決めます。

戸高さんは以前から、子ども向けプログラミング教材のTech for elementaryに関心を持っていました。学習塾を運営する知人がSNSで発信していた、学習塾にプログラミング教室を導入する経緯がとても興味深かったのです。教室での様子や、カリキュラムについては細かな実践報告を見ており、導入への不安はなかったと言います。学習塾と同時開講を決め、2017年4月、改めて教育ジャンルでのスタートを切りました。

戸高さん 「TFEには、講師がひとりでもレッスンができるところに魅力を感じていました。ゲームが思い通りに動かないとき、子どもたちはなぜ動かないかを考え、テキストを見直し、試行錯誤をくり返します。見守ってはいますが、TFEの教材はそこまでのプロセスをひとりで進められるようにできているんです。子どもたちは、『自分の力で進めた』と自信が持てますよね」

戸高さん自身、導入のための講習では「自分がプログラミングなんてできるのかと不安になった」といいます。その後も生徒が取り組むカリキュラムは、自分も事前にひと通りのことを学んできました。同じ道をたどったからこそ、子どもたちの迷いや不安にも「絶対に大丈夫」と言い切ります。

子どもがプログラミングで力をつけるために、大人は何をするべきか?

E3881b1966adde7a206603ba3ddefc4da9c13d0b
▲クリスマス会でのひとコマ。子どもたちとのコミュニケーションは最大の楽しみ

「プログラミング教育とは、手法であって目的ではない」と話す戸高さん。小学校での必修化を前に、どれだけの大人がプログラミング教育の意義を正しく理解しているのかと疑問を感じています。

戸高さん 「子どもはプログラミング教育を通じて、自分のアイデアを見直し、なぜできなかったのか、自分が目指すゴールは何かを考える力を育みます。それには熟考するだけの十分な時間と、正解・不正解で判断できないプロセスをいくつも重ねる必要があります。今の日本の小学校が、それを十分に受け入れる時間と設備の準備ができるのか。プログラミング教育が成功するかどうかは、そこがポイントになると思います」

戸高さんは定時にタイムカードを押すことでしか「働いた」ことを証明できない社会では、プログラミング教育がもたらす真の効果を、子どもたちが十分に享受できないと感じています。

戸高さん 「自分も含め、プログラミング教育にかかわる先生は、“子どもが自分で考えるための指導方法”を学ばなければいけないと思います。そのためにはTFEのように、子どもが自力で目標を達成するための手引きとなり、そこに立ち戻ることで新しい道を開いていける教材は不可欠です」

戸高さんは、作業が進まず涙ぐんでしまう生徒にも答えは教えません。これまでの経験で培った、人を見る目と教材への信頼。それを頼りに「絶対に自分でできる」と子どもを信じ、「君はどうしたい?」と問いかけます。

子どもたちは戸高さんの眼差しに守られ、自分が作りたい世界を実現するため、自分の力で作業を進めているのです。

関連ストーリー

注目ストーリー