「待っていました!」地域待望の教室が目指す、ものづくりで誰かの役に立つこと

大阪府茨木市で「プログラミング童子ラボ」を運営する八坂卓史(やさかたかふみ)さん。プログラミング教室は「教室の前に張り紙をするだけで、あっという間に定員オーバーになる」というほど地域に熱望されていました。八坂さんがここでの学習を通じ、子どもたちに身につけてほしいと願う“人間力”について考えます。
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プログラミング・児童小説・農業。思いはいつもモノづくりに向いた

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▲大阪府茨木市で「プログラミング童子ラボ」を運営する八坂さん

八坂さんは2007年に起業し、ホームページやデザイン制作、プログラム作成などのWebサービスをメインとした会社「リベラルアーツ株式会社」を立ち上げました。 「プログラミング童子ラボ」はそのサービスの一環として、2017年7月にスタートしたプログラミング教室です。

八坂さん 「私がはじめてパソコンに出会ったのは、1983年。15歳の頃です。それまで専門家にしか扱えなかったコンピューターがパソコンとして広く世に出はじめた時代で、“自分でゲームがつくれる”というところに魅かれました。パソコンに限らず、自分で何かつくることが好きだったんです」

八坂さんがパソコンに親しんだのは、グリーンだったモニターがカラーになり、ブザーの音だけでなく様々な音階がパソコンから流れるようになった時代。衝撃の瞬間に何度も立ち合いながら、これからの未来を感じたといいます。

一方で、人と人とは顔を合わせて話すのが基本。コミュニケーションを機械に頼るのは“デジタル人間”だと、パソコンはまだ社会に広く受け入れられてはいませんでした。

八坂さん 「それでも興味は衰えず、専門学校ではプログラミングやデジタル通信について勉強しました。これからの時代は、通信が大きなカギを握るように感じていたんです」

八坂さんは専門知識と技術を得て、1989年に20歳でNECのショールームに入社。同社の最先端の技術を集めたショールームでの宣伝業務や、広告制作の仕事を担当しました。

八坂さん 「東京へ転勤になった時、息抜きで児童小説を書いていたんです。公募に出したら採用され、出版されたこともありました。“本づくり”は楽しかったですね」

ものづくりへの情熱が再燃した八坂さんは、農業の制度改革にともなって誕生した「農業ビジネス田舎スクール」に入学。仕事を辞める覚悟で高知県での21日間のスクーリング(一定期間通学して、授業を受けること)に参加し、実際の農業を体験しました。

八坂さん 「自分で何かができる、という農業のやりがいは素晴らしいものでした。その時は本気で農業をはじめるつもりで会社を辞めたんです」

ところが農業は家族の反対で断念。京都でWebのベンチャー会社に就職しました。33歳の頃でした。

子どものために自分が果たせる役割は―—親子学から考えた支援のあり方

京都で再就職してからも、八坂さんには「児童書をまた書きたい」という気持ちがありました。

児童書を書くためには、子どものことをもっとよく知らなければならない。そう考えて、横浜にある通信制の八洲学園大学生涯学習部家庭教育課程に入学。そこで家庭教育について学びました。

八坂さん 「家庭教育とは、核家族化で失われた、おじいちゃんやおばあちゃんと暮らす中で自然と行なわれた教育を取り戻そうという動きです。子どもや親、子育てや思春期の悩みを研究し、親子のコミュニケーションをより深める方法や、子どもたちに “生きる力”をどのようにつけていけばいいのかを考えました」

大学での経験から、これからは社会的に子どもたちを支えたいと考えるようになった八坂さんは、地域の子育てを支援するため、リベラルアーツ株式会社を立ち上げました。会社名には、“子どもたちが知恵や知識を得ることで、自分の人生を切り開いて自由になれる”という意味を込めています。

一方で八坂さんは、子どもとの関わりの中で自分が果たせる役割を、公平な目線で考えていました。

八坂さん 「低年齢になるほど、子どもたちは女性ならではの優しさを求めていることが多いんです。子育て支援に、経験者であるお母さんたちに勝る人間はいません。そういった人たちが、ボランティアやサークル活動を通じて草の根の活動をしてくださっているのであれば、自分はもっと適した場所で支援をしようと考えるようになりました」

子どもに関わる事業をと考えても、まずは生活を成立させるための仕事も必要だったと話す八坂さん。結局いつも、Webの仕事へ戻ってしまうのだと笑います。

八坂さん 「リベラルアーツは、ホームページやデザインなどのWeb制作をメインとする会社になりました。ただ地域に根ざしたビジネスだったこともあって、地元に知り合いが増えていったんです。その中で、地域の子育て支援の拠点だった『寺子屋茨木童子』が撤退するという話を聞いて。空いたスペースにリベラルアーツとして入居し、寺子屋茨木童子を引き継ぐことにしました」

「待望のプログラミング教室」にとっての課題

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▲放課後のパソコン教室での経験が、プログラミング教室開講のきっかけとなった

寺子屋茨木童子を引き継いだ八坂さんは、それまでのWeb制作の業務に加え、寺子屋茨木童子で行なわれていた家庭教育支援や、貸しスペース「寺子屋茨木童子」の運営も続けました。

八坂さん 「寺子屋茨木童子では、以前からパソコン教室を運営していて、これからはプログラミングも必要になると考えていました。ただ地域活動に近い形で運営しているこの教室には、規則の多い大手の加盟条件と折り合わない部分が多くて。自分でカリキュラムをつくるしかないかと考えていた時に、子ども向けプログラミング教材のTech for elementary(以下、TFE)を見つけました」

代表の尾市 守に会って話した八坂さんは、ビジネスではなく、子育てや成長の場の手助けをしたいという強い気持ちを感じて加盟を決意。2017年11月から プログラミング童子ラボを本格的にスタートしました。集客は、「教室の前に張り紙を一枚しただけだった」といいます。

寺子屋茨木童子は駅からのアクセスが良く、近隣には高校や大学があります。地域の教育意識は非常に高く、生徒募集の張り紙を出すなりあっという間に定員を超えました。

八坂さん 「保護者には『ずっとプログラミング教室を探していた』という方が多くいらっしゃいました。プログラミング教育についての情報も行き渡っており、生徒の友だちにも通いたいと言っている子が何人もいると聞いています」

集客に苦労がない反面、この地域でのプログラミング教育には非常に高いレベルが求められているとも感じている八坂さん。生徒の中にはすでにプログラミングを習った経験を持つ子も少なくありません。

八坂さん 「教室を運営していくうえでの課題は、どのようにレベルに差がある生徒たち全員が満足できるカリキュラムを組んでいくかです。悩みもありますが、TFEの場合は教室ごとに抱える問題を運営が一緒に考えてくれますし、SNSでは全国の加盟教室とつながっていて、そこでの具体的な事例も参考になります。“みんな一緒なんだ”と思えることは心強いですね」

プログラミングを使って、人のために役立つものをつくろう―—教室のこれから

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▲プログラミング教室では、「ダメ」と言わない指導を心がけている

八坂さんは、今後小学校で導入されるプログラミング教育がスムーズに浸透するかどうかは「学校や先生が、どれだけ自由な発想や進度を受け入れられるかにかかっている」と考えています。

人生を通してパソコンに関わり、パソコン教室を5年経営してきた八坂さんは、この分野には生徒がどんなものをつくっても、何をしても受け入れる先生が向いているといいます。

いかにほめて受け入れて子どもの能力を伸ばせるか。“ダメ”と言わずにやってみたいことをさせてあげることができるか。それがプログラミング教育の入り口となる学校の役割だと感じています。

そして八坂さんは、その後の興味の受け皿となる教室の役割を、「プログラミングを通じて、どのような行動が人として、社会人として認められるのかに気づける人間力を育てること」だと考えています。

八坂さん 「世の中に認められるためには、人の役に立つことが必要です。この教室では、プログラミングを使ったものづくりを通して子どもたちが誰かの役に立ち、それによって必要とされる存在になれることを伝えていきたいと考えています」

人の役に立つためにはどのようなアイデアが必要なのか、それを実現するにはどうすればよいのか。ものづくりやサービスを誰かに求めるのではなく、自分で取り組むことのできる人間を育てたいと話す八坂さん。

幼い子の手を取り、抱き上げることを譲った八坂さんの役割は、これまで自分を支えてくれたITの技術を、プログラミングを通じて子どもたちに伝えていくことだったのです。

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