3名からはじまった会社が、200名規模に育つまで

建設事業、不動産事業に加え、再生可能エネルギー事業やアグリ事業などの新規事業にも参入し、事業の幅を急速に拡げている私たちトーヨーグループ。従業員3名の会社から200名超の規模にまで成長させた代表取締役の岡田吉充(おかだよしみつ)が、これまでの軌跡を話します。
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とにかく会社を大きくしたかった

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▲代表の岡田吉充

私は葛飾区で生まれ、柴又で育ちました

祖父は福島で、父は東京で事業を行なっており。私が大学生のときに祖父が亡くなり、福島の会社を父が引継ぎ、建売(建設してから売る)を中心に、建築と土木の仕事を行なっていました。

私の就職活動時はいわゆる売り手市場で、多くの企業から引き合いはありました。ただ、父は福島での事業拡大に注力しており、東京での人材不足が深刻な状況だったことから、東京の父の会社に入ることに。

この時にひとつだけ父に条件を出しました。それは、私には決算書を見せてもらうこと、会社を拡大させること。当時は父が福島に集中していたことから、東京には3人しか社員がおらず、仕事がしたくてこの条件を出しました。

当時、東京では仲介がメイン。物件を売りたいと来るお客様に不動産会社を紹介するという仲介が多く、昔のように建売や建築を受注することがほとんどありませんでした。将来を考えると、このままでは「ここに岡田あり!」と言われるようになるという野望を叶えることができないと感じました。

でも、その前に、とにかく仕事がしたいという気持ちが強かったのです。建売や建築受注を伸ばしたかったのですが、当時は福島に力を入れていたので、東京にはそこまでの資金がなかったことや人もいないので何ができるかを考え、コンサルタントや仲介で土地をあっせんし、注文建築の受注拡大を方針としながら、不動産管理の仕事にも目を向けましたね。

ピンチをチャンスに変え、それが躍進のきっかけに

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▲わずか数名規模でスタートした会社も200名超に。文字通りの急拡大です。

ちょうどバブルがはじけたころです。しかしバブル崩壊といっても大打撃を受けたのはまず大企業。中小企業は自分たちがはじけたわけではないのに、なにかと「やらない理由」を探し、新しい挑戦へ尻込みするなか、私はきっちり機会を創出し刈り取りも行なっていきました。

東京都住宅供給公社が行なっていた家賃や建設費の補助を受けたマンションの管理を民間企業に解放する都民住宅指定法人の制度ができるというので、この認定取得を目指しました。

大手向けの制度でハードルが高かったのですが、何とか指定法人の認定を取得できました。この数年後に高齢者向け優良賃貸住宅(高優賃)の制度ができて、これの管理受託にも力を入れ、当時、高優賃の管理戸数は岡田不動産が全国1位に。この二つの事業がトーヨーグループの大きなチャンスになり、飛躍の一歩となったのです。

「やれば何とかなる!」すべてはこのポリシーのもとに

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▲現場を大切に。現場に赴き、自身の目で確認することを続けます。

私は知らないということが嫌いです。人にできて自分にできないことがあるのはおかしいと思っていたこともあり、専門的なことや付随することも掘り下げて勉強をしていました。粘りと知識が今へと導いたと思っていますので、その経験から、とにかく知識を身に着けるようにと、社員に話し続けてきました。

「やれば何とかなる!」これが、私、そしてトーヨーグループのポリシーです。

このポリシーを貫いてきた結果、オーナー様に土地の提案・仲介をし、注文住宅の請負や賃貸マンションの設計、そのマンションの賃貸管理を行なうという一連の流れが生まれました。これがトーヨーグループのはじまりです。

その後、ゼネコンとして大型のビルや医療関係の建物などの受注も進みました。当時、大手ゼネコンと比べて、トーヨーグループは知名度や会社の規模や資金力に劣っており、どうやって伸ばしていくかを考えた結果、総合力を持てるようにすることを目標に。

大手に比べて実績が少ないことから非常に大変な思いもしましたが、蓄えてきた知識を活かして運営サポートや税務サポートをおこなうことで信頼を積み上げ、徐々に任せてもらえるようになったんです。

知識と粘り強さを武器に、逆風も乗り越え、着実に

当初は不動産業だけでなく建設も伸ばしていきたいと考えていました。ただ、潤沢なキャッシュが手元になかったことから着実に受注を積み上げていくことと平行して内製化を進めていき、新しい技法や施工方法を取り入れたりすることで自社の強みを構築しました。

そこからトーヨーグループでしかできない提案型の建設を請け負えるような仕組みにシフトしてきましたね。さらに、建設現場も自らテコ入れしました。現場の職人さんとの馴れ合いが蔓延すると、現場の緊張感がなくなり、無駄も増えてコストがかかるうえに品質も低下してしまう。

別にうるさがられてもいい、とにかく無駄なことはしたくない。だからこそ、自分で現場を見て、きっちり詰めていましたね。今は普通かもしれませんが、昔から協力業者からのお歳暮やお中元は受け取らず、商慣習だった賦金(ふきん)も無くし、仕事だけに集中できる環境を作りました。

順調に進む中でもちろん、外的な脅威もありました。姉歯事件、リーマンショックと、建設業界にとって次々と大きな向かい風が吹き荒れましたが、そんな時こそ当社にとってはチャンスだと捉えてきました。

大企業だから良いという時代が終わり、品質が重視される時代になったわけです。当社が建設業界で業績を伸ばしていけたのは、この業界のターニングポイントでも知識と粘り強さを武器に着実に事業を行なってきたからではないでしょうか。

しかし、根性だけではだめです。何があっても倒産しませんという大手に立ち向かうために、万が一のときは保険で対応できるスキームを保険会社に提案して作ってもらうなど、アイデアで勝負する、これが私たちが勝ち残っていくための術なのです。

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