「商社に興味は一切なかった」アメフト一筋の学生が選んだ「商社という道」

▲配属当初の富。テキスタイルを輸出販売する部署で経験を積んだ。
富 「商社にも繊維にもファッションにも、まったく興味ありませんでした」

こう話すのは2011年入社の富。5年間の中国への海外駐在経験を経て、身も心も繊維商社パーソンとして成長を遂げた彼だが、就職活動のころはまさか自分が商社に入社するとは夢にも思わなかったと言う。

大学時代4年間をアメフト部での部活動に捧げていた富は、部活のハードスケジュールもあり、就職活動に対してまったく真剣に向き合っていなかった。

富 「とりあえず内定がほしかったので、部活の先輩がいる企業しか受けなかったです。先輩にそれとなく話を聞いておけば『OB訪問しました』って言えるでしょ(笑)。最終的に豊島と某広告会社の2択になりましたが、“ヒゲを生やして仕事できるか”の軸で豊島を選びました」

運命でも直感でもなく、“なんとなく”で豊島を選んだ富。しかし入社してからは、怒涛の進化を遂げていく。

富が配属された部署は、海外にテキスタイルを輸出販売したり、国内の生地問屋に海外生地を販売したりする生地部隊。富の希望通りの配属だった。とくにこだわりのない富だったが、新入社員研修時の「営業現場研修」でのあるできごとから、この部署への配属希望を出していたのだ。

富 「営業現場研修で付いた先輩がとにかくおもしろかったんです。『浜松支店勤務のころ、サボって砂浜で寝てたら、たまたま通りかかった部長に見つかり大目玉食らった』とか『昼食にナポリタン食べてる最中に上司の説教が始まり、フォークに巻かれたナポリタンを口に運べず延々ぶら下げながら説教を聞いた』とか(笑)。

自由でフランクで適当なんだけど、おもしろくて魅力のあるエピソードが豊富で、豊島社員の人間臭さを肌で感じました。したたかに働きながらも、商売への情熱を持ち続ける姿に、未来の自分の姿を重ねることができたんです」

配属後、当時の部長からは商売のイロハを短期間でたたき込まれた。

富 「部長からは『24時間考え続けろ。ものごとのすべてを深く考えて掘り下げろ。俺の下で3年頑張ったら、3年間で10年分の成長を約束してやる』と言われたので、がむしゃらについていきました」

そんな富に、海外駐在の辞令が渡されたのは4年目の夏だった。

「異国でのチームづくりが結果につながった」誰も成し得なかったある秘策

▲駐在所のメンバーと富(写真真ん中)。常にメンバーとのチームビルディングを意識していた

海外駐在を志望していたわけではなかったが、当時の部長がガツガツ新規案件を開拓していく背中を追っていた富は、迷わず海外に行くことを決めた。富の駐在先は中国の上海市。繊維業が非常に盛んな国・中国での新たな挑戦である。

だが勢い勇んで中国に乗り込んだ富に代わり、駐在から戻る上司から受けた引継ぎは拍子抜けするものだった。

富 「上司からの引継ぎメールの中身を確認してみると、『◯◯のマッサージ店は最高』とか、『△△スナックのママは美人』とか、どこ引き継いでんねん!って内容ばかりでした(笑)。でもこれが商社豊島の社風。逆に、自分で全部考えて組み立ててみようと思えましたね」

しばらくは現地中国人スタッフの下につき、慣れない中国語や英語を覚えながらコミュニケーションを取り、徐々に仕事を覚えていった。

「当たり前が当たり前じゃない感覚」──これは駐在初期の富がとことん味わった感覚だった。

富 「お金を払ってこない取引先が普通にあるんですよ。そんなときは事務所まで取り立てに行き、5時間居座って最終的に支払ってもらいました。また、日本と違ってローカルスタッフは気に入らないことがあるとすぐ辞めてしまうので、気持ちのケアが大変でした」

孤軍奮闘する富は駐在から半年後、努力が認められ、ついに課のトップに立つ身となった。富はそこでふたつの変革を成し遂げる。

富 「ひとつ目は、中国アパレルへの内販です。日本生地のプライオリティーは相当高いのに、誰も内販に着手できていなかった。中国全土を行脚(上海・北京・厦門・杭州・武漢など)し、ひたすら現地のアパレルに生地を売り込む営業を続けました。

ふたつ目は、ローカルスタッフとの良質なチーム形成です。当時、スタッフ同士で仕事終わりに飲みに行ったり、プライベートを一緒に過ごしたりする日本人は周りにいませんでした。その風土を変えたかったので、とことんまで付き合ってチームのベクトルを高めることを実践しました」

誰もチャレンジしていない変革をやってのけた富は、ある決断をする。

富 「北京に事務所をつくり、そこに単身駐在させてください」

北京での孤軍奮闘が、駐在員の中でも突出した経験値の獲得へとつながる

▲中国のアパレルメーカーに対し、テキスタイルを提案営業する富とローカルスタッフ。

北京は上海から飛行機で2時間。北京は上海以上にアパレルの数が多く、市場としては魅力的であった。ただ気候が北と南でまったく違ったり、女性の平均身長が170cmもあったりと、同じ中国でも、より綿密なマーケティングを要する地域であった。

富は上海にいたころもエージェントを通じて出張ベースで北京に販売をかけていたが、エージェントの退職によりコネクションがなくなり、ついに単身北京駐在を決断することに。

富 「誰かが現地に張りついて、お客さんをグリップし続ける必要がありました。『今まで誰もやってこなかった経験』を積み重ねられていたので、自分ならできるという自信があり、志願したんです。

また、前例がないからこそ上司から口出しされることもないし、中国内販の話があれば『すべて自分に』振ってもらえるという旨味も予感していました」

北京駐在所といっても、ビルの一室にデスクがあり、現地で採用したローカルスタッフ1名と富がいるだけの環境である。前例がないことをしているという使命感は常にあったが、週一で現地スタッフと飲みに行ったり、日本から当時の部長(現人事部長)が北京まで来て話を聞きに来てくれたりと、孤独感や不安はなかった。

北京での営業活動をするかたわら、日本の商社からの駐在員が集まるコミュニティにも顔を出していた富は、あることに気付いた。

富 「他社商社の駐在員と自分とでは、仕事の中身や重さが全然違ったんです。自分と同じくらいの若手社員がいても『語学研修』的な立ち位置なので、ビジネスに関わらないまま日本へ帰る人がほとんど。

30代後半の総合商社の人でも、『口座通し』的なビジネスなので、本質をわかっていない人が多かった。自分ほど、ビジネスをイチから立ち上げて完結させ、現地のチームマネジメントを任されるほど仕事をしている商社パーソンは皆無でした」

若手のうちから多くの経験を積ませ、成長を促進させる豊島ならではの社風。それによって自分は同年代の中でも突出したのだと、富は実感したのだった。

そして2019年7月、5年間の海外駐在経験の末、富は日本に帰任することになる。

「クラウドファンディングと素材開発」富の知見を生かした新たなビジネス

▲クラウドファンディングや革新的素材開発など、日本でも引き続きさまざまな挑戦を続ける。

日本での富のミッションは「新たな売り方」を模索すること。富自身も、5年間の駐在経験により、その必要性をひしひしと感じていた。

富 「中国は環境規制が日本より厳しいので、環境配慮できていないアパレルの淘汰が進んでいます。また、スマホの普及率が圧倒的に高いので、個人がブランドをつくってアリババなどの ECモールで販売するD2C市場が伸びています。

中国の最先端事情を目の当たりにしたからこそ、日本市場の遅れや、反面これからの可能性を感じており、自分にしかできないことを考えて行動していますね」

そんな富の考える、新たな市場のひとつが「クラウドファンディング」だ。「在庫問題」は常にファッションビジネスにつきまとう。店頭で売れ残り余る在庫服は、翌年を待たずして泣く泣く処分されているのが現状である。

富 「既存のビジネスは、在庫を抱えるアパレルのコスト削減により、生産工場もわれわれ商社も疲弊しています。クラウドファンディングで商品を販売することは、『良いものをつくり、適正な価格で売りきる』ことにつながります。

そのため、在庫を残さず販売価格も上げることができ、生産工場・商社・アパレルブランドすべてがハッピーになる理にかなったビジネスです」

さらに、「革新的な素材開発」にも注力している。とある大学の繊維工学部と共同開発している素材は、経年により分解される未来の素材として注目されるものだ。他にも、子会社の紡績会社と共同開発したウールのパジャマは、年間を通して赤ちゃんでも着られる優れた機能性を有している。

富 「駐在経験で得た素材開発力を生かし、業界の枠を超えた市場の拡大を考えています。開発中の素材は、車のフィルターなどの部分にも使われるため、環境負荷の軽減という点で訴求することで、豊島が一歩抜きん出た存在にもなれる。

『サステナブルの根底は未来の子どもたちのため』という使命感があるので、エコプロ展示会などへも出展しています。今後も持続可能性のある商品開発とビジネスモデルの立案に努めます」

もともとは商社や海外にまったく興味がなかった富だからこそ。これからも変化に柔軟に対応しながら、繊維業界に革新をもたらし続けるだろう。