多様なヒトと情報が行き交うネット上のシルクロード 型やぶりな働き方のルーツを探る

株式会社トラベロコでは、全社員が世界各国に点在し、リモートで働いています。この常識外れな文化のルーツは、CEO椎谷と、トラベロコをつくりあげる過程で出会った共同創業者のスギモトヨシユキの働き方でした。非常識ともとれる当時の様子を振り返ります。
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「無限に広がる才能が生かせる場所を」 素朴な気づきが口火となった

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▲名古屋から東京出張中の椎谷

2019年2月現在、株式会社トラベロコは完全リモートワーク制で、世界各国に散らばる社員9人が働いています。なかには、居場所を転々と変えるメンバーも。

この常識外れな組織文化には、トラベロコをつくりあげてきた共同創業者のふたりの働き方が大きく影響しています。今回は、こんなトラベロコが生まれた背景と当時の様子について、CEO椎谷豊とCTOスギモトヨシユキが振り返ります。

「トラベロコ」は海外で「実現したいコト」がある日本人と、それをかなえるスキルがある現地の日本人(ロコ)をマッチングするプラットフォームです。

世界中の日本人がつながり、助けあえる「トラベロコ」は、代表である椎谷のささいなアイデアから生まれました。

前職で海外旅行情報サイトの運営に7年関わっていた椎谷は、現地の日本人ライターと協力しながら、新規サイトの立ち上げ、編集、運営、事業企画まで全体のディレクションをおこなっていました。

しかし、サイトを運営し読者に価値のある情報を届けることができていた一方で、取材してきたものを「文章」にするのが苦手な人はライターとして生き残れない、という現実に直面します。

椎谷 「たくさんの海外在住日本人の方と接するなかで、彼らは現地での多くの経験やさまざまなスキルなど、それぞれ独自の能力を持っていると知りました。
たとえば、パリ在住の犬好き、カメラが趣味で街歩きが日課の主婦など、本当に多彩な才能が無限に広がっていたんです。だからライティングだけでなく、それぞれの才能が生かせるような場所をつくるべきだと考えました」

これがトラベロコが生まれた最初のきっかけです。2012年、椎谷はこの気づきから少しずつ確実に「トラベロコ」のオープンに向けて動き出します。

エンジニア探しに粉骨砕身 適任の人材は“偶然”あらわれた

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▲左:スギモトCTO 右:椎谷CEO

今でこそ、CtoCのマッチングサービスは社会に浸透していますが、椎谷がトラベロコのアイデアを思いついた当時は、とても世の中に受け入れられる状態ではありませんでした。

椎谷 「周りの反応はパッとしないものがほとんどだったんです。誰に話しても『?』が続く状態で、なんどもアイデアを練り直しながら、1年ほどかけて、自分が腑に落ちる今のイメージまでたどり着きました」

トラベロコについて説明しても、周りの反応はイマイチ。しかし、必ず受け入れられる日がくると考えていた椎谷は、2013年4月、α版を公開します。

エンジニアではなかった椎谷は、知り合いのフリーランスエンジニア(現在トラベロコの社員)に頼んでサイトを制作。ワードプレスでつくったそのサイトは、現在のサイトに比べて簡易的だったものの、試行錯誤の結果どんどんイメージに近い状態になっていきました。

しかし、サイトの構築をおこなっていたエンジニアがほかの会社に入ったことを機に、開発者がいない状態が続きます。そんななか出会ったのが、現在のCTOスギモトです。当時からベトナムに住んでいたスギモトとの出会いは、まったくの偶然でした。

椎谷 「エンジニアを探すのには苦労しました。いろんな人に相談したり、慣れないイベントにも顔を出したりして。それでも決まらない時間が続き、悪戦苦闘しているなか、前職で取引先のマネージャーだったスギモトのことを思い出しました。
ベトナムに住む彼が偶然日本にくるタイミングで一度顔を合わせた際、『個人で開発もやっている』と話していたので、会うことにしたんです」

結果、ベトナムに住み、椎谷のことも知っているスギモトはトラベロコの開発者として適任でした。そして、スギモトがトラベロコの開発を引き継ぎ、二人三脚で歩んでいくことが決まります。

しかし、彼が住むベトナムとの距離は4千キロ。日本のITスタートアップの多くは、ガレージや小さなアパートで苦楽をともにするイメージがありますが、それとは真逆のやり方でトラベロコの構築に挑んでいくことになります。

それが2014年の4月でした。しかし、苦悩の期間が続きます。

“たった3回” 法人化するまでにふたりが顔を合わせた驚きの回数

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▲ベトナムオフィスでのスギモト

日本とベトナムは時差にすると2時間ですが、4千キロ離れた状況で、対面で会う機会は多く取れないのが現実です。しかし、前職で海外在住者とリモートで仕事をしていた椎谷と同様に、スギモトもそういった働き方に関して抵抗はありませんでした。

スギモト 「日本で 1年、ベトナムで 2年ほどリモートワークを経験していたので、開始時点で抵抗はなかったです。また、当時ベトナムでは旅行会社とシステム開発のダブルワークでしたが、システム開発はすべてリモートワークでした。
自分はまとまった時間、まわりを遮断して進めていくワークスタイルなので、むしろやりやすかったです」

それぞれリモートワークへの抵抗がなかったことで、二人の距離は大きな問題にはなりませんでした。しかし、スギモトが加わった2014年当時のトラベロコは伸び悩んでいたのも事実です。実際に、1年を通してトラベロコ上での取引数はほとんどなく、サイトにすら人がこない状況が続いていました。

スギモト 「トラベロコに参加する以前から、いくつかのインターネットサービスに立ち上げ含めてかかわってきていたので、取引数が少ない状態に対する焦りはあんまりなかったような気がします。
ただ、どういう機能をどういう形で実装するか、ユーザーやロコにどのように使ってもらうかという議論はかなりしていて、互いの意見が食い違い、険悪になることも少なくありませんでした」

伸び悩む期間があったとはいえ、ふたりとも本職があり、時間をかけてゆっくりと試行錯誤を重ねることができたことで、意見のぶつかり合いもひとつずつ解決していきました。

それから1年のあいだ確実にトラベロコの基盤づくりをした甲斐もあり、2015年になると徐々に利用者が増えはじめ、トラベロコは法人化するまでに至ります。

2015年12月、トラベロコが法人化するまでにふたりが対面で会った回数は3回のみ。創業時のこのふたりのスタイルが、トラベロコの働き方のルーツになりました。

時間と場所にとらわれない働き方を そして、トラベロコを“当たり前”に

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▲各地に点在するメンバーの仕事風景

2015年の法人化以降、少しずつトラベロコは育ってきました。海外に住む日本人を中心に認知が広まり、最近では日本でも知っている人が増えはじめています。「海外に行くときは必ず利用する」と言ってくださるユーザーも多く現れはじめたのはとても嬉しいことです。

椎谷の「海外在住者の活躍できる場所をつくりたい」という想いからはじまったトラベロコは、4千キロ離れたパートナー・スギモトとの協力のすえ、形になりました。そして、今では世界の国の9割をカバー、ユーザー数は13万人を超え、世界中の日本人をつなぐ、大切なプラットフォームになっています。

そして、トラベロコの創業期を支えたふたりの働き方は、気がつけば会社の文化になっています。現在、関係者は世界の50都市以上に点在し、全員がリモートでトラベロコに関わっています。

地球の裏側でマーケティングを担う人もいれば、台湾に住みながら新卒社員として働くもの、欧州で暮らす優秀なエンジニアもいます。そんな多くの関係者は互いに顔を合わせたことがありません。

このように型破りの働き方を実践する会社になりつつあるトラベロコについて、代表の椎谷は、これからも自由な働き方を求めつづけようと考えています。

椎谷 「トラベロコ自身も、ロコたちのような自由な生き方を求めて、『場所』『時間』にとらわれない働き方を続けたいと考えています。
トラベロコにかかわる人すべて(運営スタッフも含め)が、ロコとして活躍できるようになることが理想です。ただ、『自由』は人とかかわり合いのなかでこその『自由』です。自分で自分の『時間』や『場所』を決められない人は、社員といえどもトラベロコでは働くことができません。
トラベロコに関わるみんなが自律的に『自由』な働き方をすることで、トラベロコの理想に向かって進んでいけるような場をつくっていきたいと思います」

トラベロコはまだまだ長い道のりの途中です。日本人が海外に行くとき、トラベロコを利用するのが当たり前の選択肢になるには程遠いのが現状です。しかし、世界中の優秀な仲間たちと協力しあい、それぞれの知見を集結させることで、少しずつそんな世界に近づければと思っています。

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